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43話 優秀な侍女

 ステラが自分のことを思ってくれているのは、わかっている。助言はありがたいし、用心が必要だろう。だが、わかってはいても目を背けたい案件は心を沈ませる。ソフィアはズゥンと重い頭を垂れ、自室に戻った。


「おんや? ソフィア様、どうされましたか? どこかお加減の悪いところでも?」


 心配するルツに事情を説明するのが、ソフィアは億劫だった。ともあれ、着替えを手伝おうとする他の侍女らを退け、二人きりになる。鏡台の前に腰掛け、さっきのステラじゃないが、地の底から噴出したような深いため息をついた。


 ソフィアの髪をほどくルツの手が震えている。これは生理的な現象であって、緊張やら不安とは無縁だ。鏡の中のルツと目が合うと、顔をシワシワにして微笑んだ。細かい皺がたくさんあっても、ルツの肌にはシミがない。リエーヴに来て、肌つやが良くなった。


「話しにくいのであれば、婆からご報告させていただきます。今日一日、財務書類を調べましたところ、おっしゃるとおり不明瞭な箇所をいくつか確認しました。結構な額を抜き取られてますじゃ。じゃが、その時の経理担当を処分しても、トカゲの尻尾切りになりますじゃろう」


「確定的な証拠はつかめないの?」


「紙は燃やしてしまえば、残りません。ですが、金の所在がわかれば、なんらかの証拠があるやもしれませぬ。あるいは、協力者の存在は必須ですじゃろう。疑わしい人物の交友関係から、尻尾をつかめる可能性もございますじゃ。ネズミたちが嗅ぎ回っておるので、今しばらくお待ちくだされ」


「わかったわ。任せる」


 はなからスムーズに、ことが運ぶとは思っていない。慎重に情報収集するルツを見て、ソフィアは頼んでよかったと思った。

 つぎは自分の番だ。


「まず、なにから話したらいいかしら? 牧場はちゃんと守られていたわ。ノアというスタッフが中心になって、頑張ってくれたおかげね。ノアはまた今度紹介するわ。それで、今回国有地を焼いた放火犯なんだけど……」


 ソフィアはボドが捕まった経緯と、遠隔地の牧場経営を任せようと思っていることを話した。


「ええと思いますじゃ。そのボドという男は、ソフィア様が感じたままじゃと思います。信じてダメじゃったら、仕方のないこと。じゃが、試す価値はありますじゃ」

「バカだけど、他の人とはちがう芯の強さを感じたの。彼が本気になったら、なんでもできるんじゃないかって、信じてみたくなったのよ」


 この件はボドを管理するノアの返答待ちだ。ソフィアはいい返事を期待していた。


「そうじゃ! ソフィア様、婆のオカリナは役に立ちましたでしょう? 遠方の牧場でも使ったほうがええと思います」

「ええ。でも、あのオカリナは譲りたくないわ。おまえからもらった大切な物だもの」

「婆の力を別の笛に込めましょう。それをボドとやらに、持たせていただけますじゃろか?」

「わかった。ありがたいわ、本当に! 最初は牛さんたちがあちこち歩き回っちゃって、手に負えなかったのよ」


 動物を操る笛があれば百人力だ。代々受け継がれてきた牛飼いの技術を数時間で習得できる。ボドに持たせてやるには、最高のお供になるだろう。


 しかし、前向きな話のあとに待っているのは、気分の悪い話だった。ソフィアはポツリ、ポツリ、重い口を開いて言葉を発した。ステラに警告されたルシアの話だ。


 髪をほどき終わり、コルセットの紐が緩められていく。弛緩していく上半身とは裏腹に、外気にさらされるソフィアの肌はピリピリ緊張した。


「ステラおばさまの言うとおり、なあなあにしてはいけないと思う。でも、わたくし、とっても怖いの。逃げてしまいたくなるのよ」

「わかりますじゃ……今まで、ソフィア様をちゃんと守りきれなかった婆の責任ですじゃ。リエーヴには味方が多いですが、安心はできませぬ」


 コルセットの紐を解く手が止まった。鏡には目を潤ませるルツが映っている。心配させてしまったのかと、ソフィアの胸はキュッと痛んだ。


「でも、平気よ! ルツがこちらへ来てくれて、ステラおばさまもネイリーズ卿もいるし、牧場の仲間も支えてくれている。なにより、わたくしのそばにはリヒャルト様がいるんですもの!」


 リヒャルトの名前が出たところで、ドアがノックされた。そうだ、今日から毎晩一緒に寝るのだったと、ソフィアは思い出す。目をこするルツの手を握りしめた。


「ルツ、大丈夫よ。グーリンガムにいた時から、ルツは守ってくれたじゃない。ずっと、わたくしの精神的な支えになっているのよ?」


 ルツがいてくれたおかげで、最悪な実家でもなんとかやってこれた。ルツは自分の力不足を嘆くが、ソフィアにとっては唯一無二の存在だ。リヒャルトという最愛の人が現れても、それは変わらない。


 リヒャルトの侍従が彼の訪れを知らせた。多大な期待と少しの不安、それも彼が目の前に立てば、荒れ狂う動悸にかき消される。ルツがいつ去ったかも、気づかなかった。ソフィアはすでに彼の腕の中にいて、唇を奪われていた。


 いつもより、猛々しい感じがするのは、雄としての役割を果たせるからか。今朝、ソフィアは彼の持つ真っ当な権利を認めた。朝まで彼はソフィアの体を好きにできる。触れるだけでなく、なめたり吸ったり、軽くなら噛んだっていいのだ。

 着替えたソフィアの身を守るのは、薄いリネンのネグリジェだけである。密着すれば、視覚より正確に乳房や腰、尻の造形を捉えることができる。


 欲情を抑えきれなくなったリヒャルトは、服を脱ぎ始めた。

 出会い頭に抱きすくめられ、キス。脱衣──ここまで、まったくの無言だった。彼とは今朝別れてから、晩餐で顔を合わしただけで、言葉という言葉をかわしていない。


 あまりに性急なので、ソフィアは流されるのをやめた。ソフィアも、愛情表現中は思考より本能が突っ走る。だが、リヒャルトが脱ぎ始めて我に返った。


「リヒャルト様、なにも言わずに、裸になろうとしないでください」


 チュニックの下は、パンツにホーズという長靴下を留めている、情けない格好で止められたリヒャルトはアワアワした。


「こっ、これはだな……ソフィア、君が朝……」

「言い訳はいいです。なにも言わずに服を脱ぎだしたら、変態じゃないですか?」


 従順な犬は、針を刺された風船のごとくしぼんでいく。肩を落とし、うなだれるリヒャルトは一回り小さくなったように見えた。その哀れな夫にソフィアはトドメを刺す。


「それに、お風呂も入ってないじゃないですか?」


 だが、ソフィアだって、冷酷無比な主人ではない。背を向け、ふたたび服を着ようとする子犬みたいな人を抱きしめた。

 女子が大好きバックハグ。するのではなく、されるのが好きなのだが、しょんぼりするリヒャルトには効果があったようだ。


「ごめん、ソフィア。ステラ伯母さんから、君の話を聞いて居ても立ってもいられなくなったんだ」

「ルシアの話?」

「うん、明日にでも出て行ってもらおう。君がこれまでつらい思いをしてきたというのに、私は無神経すぎたよ」


 どうして、その話が性と結びついたのかは置いといて、話がステラからどう伝わったのかは気になった。ソフィアはいったん身を離し、リヒャルトと向かい合った。


「おばさまはわたくしが、実家で居場所を失っていた話をされたのですか?」


 リヒャルトがうなずいたので、ソフィアは恥ずかしくなった。この羞恥はどこから来るのか。なにも悪いことはしていないのに、孤独だったかつての自分を知られるのが怖い。だいたいバレていたにせよ、具体的なことを明るみに出されるのは嫌だった。


「わたくしを哀れみの目で見ないで。わたくしにはルツもいたし、庭師や菓子職人、学匠たちとも仲がよかった。別に不幸せではなかったわ」

「わかっていたのに……ここに来た当初から、君が誰にも心を開けないでいるのを見てきたのに……」

「もう、やめて……」


 言葉で哀れむ一方、リヒャルトの挙動は荒々しい。ソフィアはまた抱き寄せられ、唇をふさがれてしまった。


「君は私のものだ。もう二度と一人ぼっちにはさせやしない」


 そのまま、ベッドに押し倒された。

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