38話 サプライズ
食事をしている間にソフィアは落ち着きを取り戻したのだが、今度はリヒャルトがそわそわし始めた。スツールに重ねてあった上着をもぞもぞ探ったり、手をうしろに組んでみたり、隠し事でもあるのか。いつでもクールでいる必要はないにしても、明らかに落ち着きない態度をされるとイライラする。ソフィアの眉間に線が入りそうになった時、やっと、
「こ、これっっ!!」
リヒャルトは、小箱を差し出した。蓋部分がふんわりしたクッションになっており、全面に黒いベルベットが張られてある。指輪の箱にしては少々大きめだ。
(そういえば、刺繍のハンカチを渡した時、あげたい物があるって言っていたわ)
彼からのプレゼントはなんでも嬉しい。だが、指輪はステラからもらった物もたくさんあるし、デザインが微妙だったら……という不安もあった。失礼ながら、そこまで期待していなかったのである。
「開けてみて!」
落胆されるのを心配してか。言ってから、リヒャルトはギュッと目をつむった。自分にしか見せないこういう動作はとてもかわいいのだが、ソフィアは苦笑してしまう。
(まったくもう……わたくしに関することとなると、意気地がないのね)
あんまり好みでない物を渡されたとしても、彼からのプレゼントはすべて尊いものだ。彼が悲しまないように、多少の演技くらいできる。
ソフィアはなんの気構えもなしに、パカッと蓋を開けた。
「まあ!!」
意図せず声が出てしまったのは、予想外のものが入っていたからだ。指輪ではなく、ブローチだった。
「どう? 気に入ってもらえただろうか?」
「……ええ……指輪かと思っていたから、びっくりしてしまって……すてき」
牛は牛でも闘牛だろう。猛々しい金の牛には真っ赤なルビーが埋め込まれている。鮮やかな色は差し色に使えそうだ。ソフィアはルツのショールを羽織り、このブローチで留めてみた。
宵色に赤が映える。髪のことがあるので赤は敬遠していたのだが、ブローチは身体の一部みたいにしっくりきた。ソフィアは鏡台に向かって微笑んだ。
「君のイメージに合うようにデザインしてもらったんだ。赤毛と牛をイメージして……その……私は……君の……君の赤毛が……大好きだから!」
微笑みが破顔になる。こんなに顔をクシャクシャにして笑ったのは、いつぶりだろう?
鏡の前にいるのは、夫に溺愛される赤牛夫人。いじけた顔の王女様は深い所へ置いてきた。
「そんなことをおっしゃると、毎日髪を編ませますよ?」
「喜んで」
リヒャルトはソフィアの髪の束を取って、キスをする。銀の上目は色を含んでいて、ソフィアの胸をキュンとさせた。
「リヒャルト様、わたくしね、絶対に酪農業を成功させたいのです。最初は国の財政に不安を感じて、困っている農家を助けたいと思い、始めたことでした。でも、今は自分のために成功させたい」
「うん、わかっているよ。けど……」
「のめり込み過ぎて、心配されるのはわかります。わたくし、自分で歯止めが利かないの。だからね、必要があれば止めてほしいのです。わたくしがあんまり、熱中しすぎていたら、遠慮なくおっしゃって」
「もちろんだよ。君のことは私が支える」
「では、情報共有もちゃんとしましょう。留守にしていた二ヶ月、なにをしていたか。全部、話させてください」
ソフィアは充分食べさせてもらったので、今度はリヒャルトに食べさせることにした。与えられたパンケーキをモグモグする犬状態のハイパーイケメンを堪能しながら、二ヶ月の成果を報告する。
「近郊の諸侯からは七割近く受注を取り付けました。乳牛の育成は信頼できるスタッフにお願いしてありますから、今月中には出荷できるでしょう」
遠隔地で買い取りたい土地がいくつかあったことと、資金提供をしてもらえたこと──
「今後の展望としましては、遠隔地での牧場経営の開始。加工品を製造するためのシステム、工場の設置などでしょうか。まず、牛乳の販売が軌道にのってからですが」
「ん、むぐ……もぐもぐ……なんだか、展開が早くてついていけないよ」
「ならば、おとなしく食べていなさい……あ、ネイリーズ伯爵のココアのほうも大好評でしたよ。今度、チョコクッキーを作ってあげますからね」
リヒャルトの頬についたクリームは、二ヶ月がんばったご褒美だ。ソフィアはペロッとなめた。甘い。
犬に例えると、リヒャルトはクールなハスキー犬なのだが、最近キャラ変してきている。従順に“待て”をしている姿は愛おしくもあり、若干残念でもあった。
(首輪とか似合いそう。特注で作らせようかしら?……待って、どういうプレイ?)
今度はトロッとした目玉焼きを口に入れてやる。ほどよい半熟はリヒャルトの口の端についた。
「今のはわざと下手したでしょう? 自分でお拭きなさいね?」
こういう意地悪を言って、いじめてみるのも楽しい。また、なめてもらえると思っていた犬は、あからさまにションボリしている。次は残った白身に胡椒をたっぷり振って……
(ああ、こんなことをして遊んでいる場合じゃないわ)
胡椒の刺激に目を白黒させるリヒャルトを楽しんでから、ソフィアは悪いほうの話をした。
「セルペンス宰相はわたくしの成果を認めませんでした。今後、おおっぴらに妨害してくるそうです」
「ケホン、ケホン……なんと! あれだけの受注を獲得できたのにか?」
「彼いわく、実際に利益が上がらないことには納得できないようです」
リヒャルトは顔をしかめた。ちなみに胡椒のダメージのせいではない。与えられたものを吐き出さずにきちんと食べるところが、彼のすてきなところだ。
「ルツに財務書類を調べさせようと思っているのです。セルペンスの横領は疑わしいですから。よろしいです?」
「うむ……でも、君のことが心配だよ。敵を作りすぎて、恨まれないだろうか? ほら、妹だって、君のことを悪く言っているだろう?」
「ルシアのアレは実家にいる時からです。今さら、気になりません」
しかしながら、その名のせいで嫌なことを思い出した。ソフィアは食事を運ぶ手を止めた。
「リヒャルト様、わたくしこう見えて、嫉妬深いのです。わたくし以外の女性と腕を組んだりしないで」
「う、うん……ルシアは強引にくっついてきたんだよ。君の妹だし、突っぱねるのもマズいかと……」
「言い訳はいりません。次、やったら死刑です」
「し、死刑!?」
「リヒャルト様はわたくしがエドアルドと話しただけで、嫉妬していましたよね? 仲良く腕を組んだりしたら、どうお思いです?」
リヒャルトはハッとして、神妙な顔つきになった。ソフィアは帰城直後、それでかなりの痛手を被ったのだ。ふた月ぶりに再会した旦那様が、悪魔のような妹と仲良くしていたのだから。
「わかった。本当にごめんよ、ソフィア……」
大きな手が髪へ伸びてくる。ソフィアはしばし、髪をなでられるのに身を任せた。だが、腕をつかもうとしてくるのはサッとよける。抱き寄せられたら、また泣いてしまいそうだ。
チョコレートソースもクリームもついていない苺を皿の端に発見し、それをリヒャルトの口に押し込む。従順な犬は涙をにじませつつ、すっぱい苺を頬張った。