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35話 苺の夫婦

 リヒャルトの声が追いかけてきて、ソフィアは立ち止まった。

 愛する旦那様は慌てた様子で向かってくる。そのうしろに追いかけるルシアの影が見えた。ルシアの前で、彼にハンカチを渡したくない。ソフィアは一瞬、躊躇した。


 迷いを断ったのはルツだ。それまで壁と同化していたルツがズイッと抜け出て、ソフィアにハンカチを差し出した。


「大丈夫ですじゃ。婆がここで見守っておりますゆえ」


 皺で囲われた薄茶色の目に励まされた。背中を押してくれたのである。


(そうよ、もう妹なんかにビクビクしていられないわ。わたくし、リヒャルト様の妻なんですもの。こんな弱虫では旦那様もガッカリされるわ)


 出会った当初、ソフィアを何度も石化させた銀光線が今は優しく包み込んでくれる。ソフィアは愛おしい銀の目を見返した。自然と目が潤んでくるのは不思議だ。


「ソフィア、ごめん……何度も君の所へ行ったが、執務室、騎士団とどこへ行っても行き違ってしまって、しまいには寝てしまったから……」

「リヒャルト様、渡したい物があります、これ……」

「これを私に?」


 銀の目が輝きを増す。やっぱり喜んでくれた。思い出してくれただろうか。赤い苺と銀の苺。温室での甘酸っぱい思い出。


(わたくしが牧場のことばかりに夢中だと、すねてらしたけど……道中、あなたを忘れたことなど一度だってなかったんですからね?)


 少年の顔になったリヒャルトを、ソフィアはずっと見つめていたかった。シャンデリアの光を受けて、きらめく銀髪をまた編んであげたい。彼の髪は見た目より断然柔らかいのだ。この世界でたった一人、ソフィアだけが彼に触れる権利を持つ。かわいい、かわいいひと……


 至福の時はいとも簡単に蹂躙された。


「あらぁ! 奇遇ね! わたしもハンカチに刺繍をしてみたの。リヒャルト様にお渡ししようと思って!」


 ルシアが得意気にハンカチを渡そうとする。見せびらかすように、あるいはソフィアの刺繍と比べられるようにか、刺繍の面を表にしてリヒャルトの手の前に突き出した。


 ルシアが真面目に刺繍をしているところなど見たことがないので、おそらく侍女に刺させたのだろう。かなり精巧に三本のひまわりと、ハートマークが描かれている。ソフィアでは、到底太刀打ちできない技術だ。並べてみるとよくわかる。プロと小学生の課題ぐらいの差があった。

 くわえてショッキングなことに、この刺繍にはメッセージまで込められていた。三本のひまわりの花言葉は「愛の告白」だ。仲良くなったグーリンガムの庭師から、ソフィアは教えてもらっていた。


 リヒャルトは唖然としており、受け取るか受け取るまいか迷っているようだった。それはそうだろう。一応、これでも妻の妹だ。


(リヒャルト様、受け取らなくてもいいわ……でも、この場合、なんて言って断ったらいいのかしら?)


 花言葉の意味を知っていたら、そのまま突き返しただろうが、リヒャルトがそんなことを知るよしもない。妻の妹だから、理由なしに冷たくできないし……

 助け舟は思いがけない方向からやってきた。


「あらあら、素敵な刺繍ね! 素晴らしい!! お針の先生が刺したみたい!」


 歩く宝石箱、ステラだった。ステラはにこやかにルシアの刺繍をべた褒めした。ルシアはご満悦だ。


「まぁね……ふふふ……不器用な誰かさんとちがって、わたし女の子ですから……」

「ほんと、お手本のような綺麗な刺繍ですわね! それに比べてソフィアちゃんのは……」

「くく……あんまり比べちゃうと、かわいそうよ?」

「か……っわいいいっっ!!」

「は!?」


 ルシアはステラの丸い顔をにらみつけた。ステラはスマートに笑顔で返す。


「ソフィアちゃん、あなたって人はほんっとに、かわいいわね! リヒャルトのことを好きで好きでたまらない気持ちが、いっぱい溢れてる。ひと刺し、ひと刺し、想いを込めて刺したんでしょう? 夜ふかしして、なにをやってるんだろうと思ったら、これだったのね?」


(もぅーーー!! おば様ってば、恥ずかしいっっ!!)


 ソフィアは顔から火が出る思いだった。うつむき加減にリヒャルトを見ると、ものすごく嬉しそうな顔をしている。ルシアは嘲りを含んだ目でソフィアの刺繍をジロジロ見てきた。


「そのイチゴ、ちょっと歪んでるんじゃない? 人に渡すんなら、もっとちゃんとしたものでないと……」

「ルシア、すまない。君のハンカチは受け取れないよ。それは本来、君の夫に渡すものだと思うんだ」


 リヒャルトはキッパリ断った。男に拒まれたことがないルシアは愕然としている。リヒャルトはこれを機にと思ったのだろう。遠慮なしに追撃した。


「それと……何度も言うが腕を絡ませてくるのは、やめてほしい。グーリンガムではどうか知らないが、リエーヴでは普通、姉婿と腕を組んだりしないものだよ?」


 ルシアは目と口をあんぐり開け、はにわのような顔になっていた。なかなかいい表情だ。ソフィアは吹き出しそうになってしまった。


「ソフィア、刺繍のハンカチ、ありがとう! 私も君に渡したいものがあるんだ」


 ルツを取り戻してくれただけでソフィアは充分なのに、リヒャルトはこんな嬉しいことを言う。銀の目はいたずらっぽく笑っていた。


「こんな侮辱を受けたのは初めてだわ! 失礼します!」


 ルシアが鼻息荒く離れていくのを片耳で聞き、ソフィアたちは見つめ合った。苦笑いのステラには申しわけないが、今は二人の時間だ。


「あらあら、お邪魔したら悪いから退散するわね! 後始末は任せておいて!」


 後始末とは、怒って行ってしまったルシアのフォローだろうか。フォローもなにもないと思うのだが。ソフィアはチラと、派手さではルシアに負けず劣らずなステラの丸い背中を見送った。


 実家の家族にかけられていた呪いは完全に解けた。呪いを解いたのは銀髪銀眼の彼、大好きな王子様。


「リヒャルト様、わたくしお部屋に戻りたいわ。連れて行ってくださる?」

「もちろん! ただし条件がある。私が君の寝室で一緒に寝られるのなら」

「わがままな人ね。わたくし、風邪を引いているのよ?」

「ふた月も、首を長くして待っていたんだぞ?」

「わかりました。夫の権限を自由に行使すればいいわ……」


 唇をふさがれ、ソフィアはこれ以上の憎まれ口を封印された。客人は去っていても、器を片付ける使用人やルツはいる。


「……ん、もうっっ!! 風邪を引いているって言ったでしょう!!」

「君の言ったとおり、自由に夫の権限を行使しただけだが」


 さらに、リヒャルトはソフィアの首に手を回したかと思うと、ヒョイッと抱き上げてしまった。お姫様抱っこだ。


「え? いや! なにをするの!? おろしてください!!」

「ダメ。ふた月も留守にした罰だ。おとなしく抱かれていなさい」

「は、恥ずかしいわっ!!」

「それに、ソフィア。無理をしていたんだろう? 体が熱い。これは熱があるよ」


 そんなことを言われても、羞恥のために体が熱いのか風邪による発熱なのか、ソフィアにはわからなかった。リヒャルトのたくましい胸はソフィアをがっちり守ってくれている。恥ずかしさも相まって、ソフィアは目を閉じた。いちゃつきたいのなら、部屋に入ってからすればいいのに……


「ソフィア、目を閉じるんなら、またキスするよ? 私を見なさい」


 目を開けると、触れそうな位置にリヒャルトの顔があった。高い鼻がツンとソフィアの鼻先に当たる。それにしても長いまつげだ。


「ソフィア、おかえり」


 リヒャルトは唇を震わせた。耳では聞こえてなかったかもしれない。微かな声は心に直接響き、ソフィアに被さっていた闇を吹き飛ばしてしまった。

 

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