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32話 レイパーのその後

 ゾッとする。存在すら記憶の向こうに追いやっていた元婚約者が……エドアルドが今、ドアの向こうに来ている。一度ソフィアに渡した婚約指輪をルシアにプレゼントし、平然と裏切った。そのあげく、強引に犯そうとまでしてきたのだ。鏡台の鏡に映るソフィアの顔は、真っ青だった。震える手をルツがギュッと握ってくれる。


「ソフィア様、応じる必要はないですじゃ。帰ってもらいましょう」


 だが、ソフィアは(かぶり)を振った。ルツから得られる情報は限定的だ。エドアルドから直接聞き出したい。たとえ、虚飾にまみれていたとしても、ルシアの企みの片鱗をうかがえるかもしれない。


 ソフィアはルツが編んだショールを羽織って、エドアルドを迎え入れた。髪はまだ濡れているが、侍女たちが編み直してくれている。もちろん、ルツや他の侍女たちにも、いてもらう。


「やあ、久しぶりだね、ソフィア! なんだか垢抜けた感じがする!」


 面の皮が厚いとはこれをいうのか。エドアルドはへらへら笑いながら近寄ってきた。以前はこれを美男子だと思っていたのが不思議だ。金髪碧眼だろうが、今は気持ち悪いとしか思えない。ソフィアは毅然と言葉を返した。


「帰城したばかりで髪も濡れているし、みっともない格好で申しわけないわ。なんのご用事でしょう?」


 身だしなみを整えている最中のレディの部屋へ押しかけてくるのは非常識だろう。それをやんわり指摘しても、エドアルドは気づかなかった。リヒャルトなら、こんな無神経なことは絶対にしない。


「いや、用事という用事でもないんだけどさ、君に会いたかったんだよ!」

「どうして、夫婦一緒ではないの?」


 至極、当然な疑問だ。普通は挨拶に来る場合、夫婦セットである。ソフィアの真っ当な質問にエドアルドは眉を曇らせた。


「あーー、言いにくいなぁ……ちょっと侍女たちに出て行ってもらえないだろうか?」

「絶対にダメ。自分がしたことを覚えてないの?」


 ソフィアの断固とした態度に無神経軽薄男はひるんだようだった。


「チッ……君は相変わらず、かわいげがないなぁ……綺麗になって変わったかと思ったけど、お堅いのは変わらないようだね? そんな様子だと、そのうち旦那さんにも愛想をつかれるんじゃないの?」

「あいにく、夫婦仲は悪くないわ。それより、グーリンガムの様子はどうなの? お父様やお母様は変わらず?」

「はぁーー……変わらないよ。無駄に元気すぎる。僕のほうは自由が利かないから、つらいかな。実家にいるときのほうがリラックスできる」

「民の様子は? 飢饉は続いているの?」

「うーん、今の財政状況はそんなによろしくないようだね……でもまあ、一時的なものさ。学匠どもはワァワァ騒いでるけど、気にすることはないって陛下はおっしゃってるよ。あんまり、うるさい学匠は何人かやめさせていたな」

「えっ! わたくしの知っている方かしら? 心配だわ。名前を教えて」

「えっと……なんて言ったかな……」


 エドアルドから得られた情報は、辞めた学匠のことぐらいだった。なかには勉強を教えてくれた人もおり、ソフィアはいても立ってもいられなくなった。しかし、今にもルシアの愚痴を吐き出さんとするエドアルドは、そわそわするソフィアには気づかない。


「そんなことより聞いてくれよ? ルシアのやつ、本当にわがままでさ、ドレスや宝石に散財するだけならまだしも、最近ではサロンで知り合った芸術家の卵とやらに入れ込んで金を貢いだり、気に入らない侍女を暴行したり、まったくやりたい放題なんだよ。僕が優しいのをいいことに……」

「それぐらいにしてくださる? わたくし、これから宰相と面会しなければならないの。あなたとちがって、忙しいのよ」


 はっきり言い放ってやったが、さすがはルシアの婿。案外図太かった。隙を見て、パッとソフィアに近づき、耳打ちしてきた。


「本当は君との婚約を反故にしたこと、ものすごく後悔しているんだ。君とだったら、絶対うまくいったんだろうな……って」


 汚らわしい目つきで見てくるエドアルドを、ソフィアは冷たく見返した。


(わたくしはあなたと別れられて、よかったと思っているわ。あなたと結婚したら、絶対に裏切られたでしょうからね)


 すげなくされ、トボトボと部屋を出ていくエドアルドの背中は貧相に見えた。数年後にはストレスで禿げそうである。嫁一家から捨てられたら、行く所はない。見放された場合の将来は貧乏神だろう。

 未来の貧乏神が部屋からいなくなると、ルツはソフィアをいたわった。


「ソフィア様、大丈夫です? 近寄られてましたが、なにかされてませんじゃろうか?」

「ああ、大丈夫よ。ルツの言うとおりだったわね。会うまでもなかった。そうそう、さっきエドが言っていた学匠の何人か、居所がわからないかしら?」

「全員は無理かもしれませんが、婆の知っている学匠に聞けば、わかるやもしれません。文を書いて、カラスに届けさせますじゃ」


 ソフィアはひとまず安堵した。世話になった人がクビにされたと聞いて、放っておくわけにはいかない。父王は自ら優秀な人材を手放そうというのだ。いったんフリーになった彼らをいただこうが、文句はないだろう。リエーヴに来てもらって、ソフィアの元で働いてもらおうではないか。


 それと、セルペンス……悪宰相だ!──思い出して、ソフィアはクシュンとくしゃみをした。


「ソフィア様、もしかして、お風邪を?」

「平気よ。これから気合いを入れて、会わないといけない相手がいるんですもの。ルツ、ついてきてくれる?」

「もちろんですじゃ!」


 ルツの返事にソフィアは満足し、鏡台の上に置いた書類を揃えた。これだけの受注書を見せれば、あのイヤミな悪役髭もおとなしくなるだろう。約束の三ヶ月、ちゃんと結果を出すことができた。敵との第一戦はソフィアの黒星だ。

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