31話 嬉しい再会と……
王城に到着したソフィアは、付き添ってくれた護衛たちに頭を下げた。雨の中、休まず馬を走らせてくれたのだ。風邪など引かれては申しわけない。しかし、奇特な彼らは、自分たちは当たり前のことをしただけだと恐縮した。ソフィアは感謝を伝え、一人ずつに硬貨を握らせた。
(一人で自由に動き回れないのは、本当に不便ね。たくさんの人に支えられて、活動できるということを忘れないようにしたいわ)
ソフィアはずぶ濡れのまま、主殿に入った。幸い、帰城は気づかれてないようだ。このみっともない姿でリヒャルトと再会したくないので、こっそり自室で着替えようと思った。しかし、玄関ホールを抜け、回廊へ出ようと思った時、上から思いがけない声が聞こえた。
「ソフィア様、ソフィア様!! 婆ですじゃ!!」
見上げると、大広間へつながる階段を下りるルツの姿があった。まさか、留守中にルツを呼び寄せてくれていたとは!!
「ルツ! すぐにそっちへ行くわ!! そこで、待っててちょうだい!!」
ヨレヨレのルツは慌てて階段を踏み外してしまいそうだ。この状況には既視感がある。ソフィアは急いで駆け上がった。
「ソフィア様、ずぶ濡れで……どうされたんですじゃ? 風邪を引いてしまいます。早くお部屋へ……」
「ああ、そうね。雨が突然降ってきたから。でもルツ、ずっとおまえのことを心配していたのよ? それに、どれだけ心細かったことか!」
「申しわけないですじゃ。婆が不甲斐ないせいで、異国の地で寂しい思いをさせてしまいました。これからはもう、おそばにずっとおりますゆえ、遠慮なく甘えてくだされ」
ソフィアはルツのシワシワの手を取って、一緒に階段を下りた。懐かしさで胸がいっぱいになる。目の奥が熱くなって、泣くのをこらえるのがやっとだった。
「じゃが、どうしたことじゃろう? 帰城の連絡はされたのですか? 婆はカラスたちから聞きましたのじゃ。どうして、誰も出迎えに来んのじゃろう?」
「そんなことどうでもいいわ。それより、わたくしがいなくなったあと、グーリンガムでどんな生活をしていたか教えてちょうだい。手紙を送っても、全然返事がこなかったんですもの」
「手紙!?」
ルツは垂れた目を大きく見開いた。手紙は届いていなかった? 階段はちょうど終わり、考える猶予なく、また階上から声が聞こえた。
「ソフィア!! 帰ってきたのだな!」
聞き慣れた少しかすれた低音。ふた月聞いていなかっただけなのに、数年ぶりの感じがした。一晩中ずっと、聞いていたっていい。これからは存分に彼の声を堪能できる。
愛する旦那様の声を聞いて、嬉々として振り向いた瞬間、ソフィアは笑顔のまま固まった。
踊り場には驚いた顔のリヒャルトがいる。その隣には……ソフィアがいるはずのその場所には……派手な金髪を山と盛り、サイドに縦ロールを垂らしたひと昔前のキャバ嬢のような髪型の、忌まわしい妹が!……リヒャルトに腕を絡ませるルシアがいた。
「あらぁ!! お姉さま、どうされたの?? やだぁ、ずぶぬれじゃない!?」
「……帰城とは聞いてなかった。大丈夫か?」
二人は一緒に下りてくる。ソフィアは軽いパニックに陥った。
どうしてここにルシアがいるのだ!? グーリンガムでエドアルドと結婚しているはずのルシアがなぜ!? しかも、リヒャルトと腕を組んで……ルシアの巨乳がリヒャルトの腕に当たっているのを見て、ソフィアの脳内は真っ白になった。
「お姉さま、久しぶり! 元気にされてました? お会いできて、嬉しいわ!」
キャッキャッと邪悪に笑いながら、ルシアが近づいてくる。来る間にリヒャルトとは離れていたが、そんなことは問題ではない。ソフィアはルシアの手を振り払った。
伸ばしてきた手をちょっと払っただけだ。それなのに、ルシアは悲鳴を上げて床に突っ伏した。
「きゃあっっ!!」
「あ、どうした!?」
うしろから追いついたリヒャルトがルシアを助けに行く。リヒャルトの角度からは、ソフィアがルシアを殴り倒したように見えたかもしれない。
「ひ、ひどいわ、お姉さま! 久しぶりにお会いしたというのに……」
涙ながらに訴えるルシアは、明らかにリヒャルトの視線を気にしている。助け起こしたリヒャルトに泣きついた。
「ヒック、ヒック……会うなり、殴ってくるなんて……。わたし、何もしていないのに……」
「ケガはないようだな……? ソフィア、いったいどうしたというのだ?」
ふた月ぶりに会った旦那様の腕の中にはルシアがいる。ソフィアの心から言葉は失われた。幸せの再会が突然、悪夢に変わってしまった。なにも言わず、彼らに背を向ける。
ここは、愛するリヒャルトがいて、ソフィアを慕ってくれる農民たちがいるリエーヴ王国ではないのか? いつからここはグーリンガムになった? ふたたびソフィアは侮蔑され、無視される生活に戻るというのか? せっかくたどり着いた安住の地すら、妹に奪われてしまうのか……?
ソフィアは無心にズンズン歩いた。濡れた身体を回廊の冷気がいっそう攻め立てる。体の感覚も心と同様、なくなっていった。
部屋に着いた後、ソフィアの帰城にようやく気づいた侍女らがあたふたと暖炉に火をつけたり、着替えを手伝ったりした。
「ソフィア様、申しわけございません! 帰城の知らせは誤報だと言われまして、皆引っ込んでいたのです!」
「誰にそのようなことを言われたのです?」
「妹君のルシア様が……」
想像していたとおりだった。ルツへの手紙が届いていなかったのも、ルシアの仕業だろう。ルツがソフィアに書いた手紙も来なかったということは……おおかた、城の文書係に言って、廃棄させていたのかもしれない。ソフィアは今さら驚きもしなかった。こんな嫌がらせは子供のころから、され続けてきたのだ。
リエーヴ王国に来て感覚が鈍っていた。この国の人は皆、ソフィアに優しい。長い間、ぬるま湯につかり過ぎていた。きっと、元の環境に戻っただけだ。ルシアがいて、ソフィアの居場所は奪われる。裏切られることや、謂われのない中傷を予測していれば、ダメージは少なくて済む。
着替えを手伝いながら、ルツが事情を説明してくれた。
「ソフィア様がいなくなられたあと、婆はしばらく城内で機織りの仕事をしておりましたのじゃが、途中でやめてほしいと言われましての、親戚の家の厄介になろうと荷物をまとめておりましたのじゃ。ところが、出る寸前にリエーヴ王国へ行ってほしいと呼び出されましての……」
最悪だ。やはり、母は約束を守ってくれなかった。ルツは追い出されるところだったのだ。ソフィアは安堵したり、歯噛みしたりした。ルツはソフィアのコルセットをギュッと締める。
「リエーヴ王国から再三、要求やら金銭の贈り物があったようで、婆は無事、こちらへ参ることができましたのじゃ」
リヒャルトはお願いしたとおり、ルツが来れるように取り計らってくれたのである。驚いた彼の顔を思い出して、ソフィアの胸は締め付けられた。ふた月ぶりに帰ってきたというのに、なにも言わず去ってしまった。腕を組んでいたのは、ルシアが強引にくっついていただけかもしれない。現にすぐ離れていたではないか。彼はソフィアを蔑ろにはしないはずだ。
「婆とエドアルド様、ルシア様ご夫妻がリエーヴに到着したのは、一週間ぐらいまえですじゃ。ソフィア様がご夫妻の結婚式に来られなかったので、国王陛下は様子見と挨拶も兼ねてルシア様たちを寄越したのです」
そこまで話して、コルセットを結ぶルツの手が止まった。ソフィアはだいたい察して、着替えは構わないから出て行くようにと、他の侍女たちに命じた。
二人きりになると、ルツはソフィアの耳に口を近づけた。
「表向きは先ほど申した内容ですが、実際はこちらの王国の情報がほしかったんじゃと思います」
「でしょうね」
「でも、それだけではないのですじゃ。ルシア様がどうしても行きたいと駄々をこねられたのですじゃ」
ルツが声をひそめるのは、侍女のなかにルシアの息のかかった者がいるのを恐れているからである。すでに何人か、物や金で懐柔している可能性がある。部屋の外へ追い出しても、聞き耳をたてられているかもしれない。幼いころより、物を盗られたり日記や手帳をさらされたりという被害に遭ってきたソフィアは、用心が板についていた。
「ソフィア様、婆に送られた手紙はどのような内容だったのです?」
「他愛のないことよ。驚くほど良い待遇だから心配しなくていいと……あっ!」
「そうですじゃ。手紙が届かなかったということは……おそらくルシア様の手に渡っているじゃろうから、良い待遇というところに引っかかったんですじゃろう。じつはエドアルド様との夫婦仲は最悪で……」
とたんに侍女たちの騒ぐ声が聞こえ、ソフィアたちはビクッとドアのほうを見やった。ドアを叩く音が来客を告げる。
「ソフィア様、エドアルド殿下がお越しです!」
その名前に、ソフィアは総毛立つ思いをした。