26話 最強タッグが今ここに
翌日、朝ご飯を食べ終わって早々に、ソフィアは全身のサイズを測られた。仕立屋や宝石商、織物屋、細工師、デザイナーが入れ替わり立ち替わりやってきて、ソフィアに合う色や装飾を確認する。穏やかな時が流れていた大広間は一変、騒然とした。ひととおりソフィアを調べ終えた職人たちは、打ち合わせを始めた。
どうして、こういうことになったのか。すべてステラの計らいである。“社交術を教えてくれ”というソフィアの申し出に対し、二つ返事で承諾したステラは朝食の席にて、ある提案をした──
朝食のテーブルに並ぶのはケーキスタンドに載せられたパンやお菓子。ゴマをまぶした丸パンやベーグル、プレッツェルもある。バターや牛乳を使わなくとも、この国のパンの種類は豊富だ。前世の世界でも存在していたパンが異なる道を歩んで、ここにあることを考えると胸熱である。他には温かいスープに彩り豊かなサラダ、フルーツ、朝からローストチキンや厚切りベーコン、オムレツまで並ぶ。食事にも、とことん贅を尽くすのは貴族らしい。小食のソフィアはそんなに食べられないのだが、にぎやかなテーブルには心躍った。
だが、浮かれている場合ではない。レディステラが超高速で朝食を消化していきながら、本題に入った。
「社交シーズンは夏よ。今は初冬。貴族は皆、田舎へ引っ込んでいるわ。夜会を開いたところで、たいして人数は集まらないでしょう」
夜会を開いて、乳製品を宣伝するというソフィアの案にすかさずダメ出しをした。なんでも受け入れてくれるわけではないようだ。ダメなことはダメと、ステラはきっぱり言う。昨日までぬるま湯につかっていたソフィアは「ウッ」となった。
結婚直後、ソフィアとリヒャルトが夜会に呼ばれまくっていたのは、時期国王と王妃だからだ。ソフィアはなにも知らないでいた。
「まだ秋、というのもあったでしょうね。でも冬も本格化すれば、わざわざ王都へ出向く貴族はいないわ。そこで、」
ステラは溜める。パッチリした目とまん丸の顔が瞬間、膨張したかと錯覚する“溜め”があった。溜めて溜めて、溜めてからの──
「こちらから出向いちゃいましょう!」
「こちらから!?」
ソフィアはオウム返ししてしまった。それぐらい引き込まれるステラマジック。しかし、田舎で冬眠中……否、静養中の貴族宅に押しかけていっては、押し売りみたいではないか。
「それって、相手方にとってご迷惑ではないですか?」
「どっちみち、あなた、各地へ行って農業指導をするつもりなんでしょう? なら、領主の許可を取る必要があるわよね? ついでに商品の宣伝もしちゃいましょ」
おっしゃるとおり。農民及び農地を所有する貴族と、いずれにしても話さなくてはいけない。宣伝と同時にやってしまったほうが、手間は省ける。
「挨拶に行った時の手みやげに、素晴らしいお菓子や食品をお渡しすればいいじゃない? それで売り込むのよ!」
なるほど、良い提案だ。さすがは社交術の達人。だが、次の提案にソフィアは度肝を抜かれることとなる。
「あたくしも同行させていただくわ! 精一杯、手伝わせてちょうだい!」
「えぇぇぇっっ!! よろしいんですか!?」
「ええ、もちろん! こんなにもかわいい甥嫁の手伝いができるなら、幸せだわ!」
「くわえて、君には商才がある」
伯爵が口を挟んだ。ハンプティダンプティの片割れはニコニコしている。本当に構わないのだろうか? ソフィアは全国を旅するつもりだ。悠長にしていられないし、かなりのハードスケジュールを組む予定だった。
「でも、国中を回る予定なのですよ? キツキツのスケジュールでも、ふた月はかかります」
「構わないわ。ね、あなた? この子のしようとしていることって、それぐらい……いや、それ以上の価値があるわよね?」
伯爵もうなずく。丸い顔は無理をしているように見えない。
「で、ですが、奥様をふた月もお借りして、よろしいのでしょうか?」
「気にせんでいい。わしも妻も、おもしろいと思ったから協力しようと思ったのだ。協力するなら、徹底的にバックアップする」
どうしてこんなにも良くしてくれるのか? 不安になってリヒャルトを見ると、天界人スマイルをしている。昨晩の出来事が頭をよぎり、ソフィアはさらに動揺した。
この動揺をたやすく鎮めてしまうのが、この夫妻のすごいところだ。伯爵は優しさオーラ全開の笑顔のなかに、野心をのぞかせた。
「その代わりといってはなんだが、わしのほうの商品の宣伝もしてもらえたら嬉しい」
そう言って、伯爵は胸元からワックスペーパーに包まれた種を取り出した。茶色く不揃いな形、アーモンドにも似ているが、もっと無骨な感じだ。普通の人はあまり見たことがないだろう。だが、食品会社に勤めていたソフィアには見覚えがある。匂いを嗅いで確信した。
「これはデウスという。神を意味する言葉だ。南国の僻地から取り寄せた。熟成後、ローストすることにより、魅惑的な味わいになる。食し方は飲み物にするか……」
「練り固めるか」
「お? よくわかったね! 練り固めるのは、いまいちうまくいかないんだ。脂肪分を抽出して、粉砕したあとに加えてみたりもしたんだが」
「牛乳を使ってみてください。それで劇的に変わるはずです。あとで、作っているところを見学させていただいても?」
「本当は機密事項だが、ソフィアちゃんならいいよ」
デウスというのはカカオの種。伯爵が作ろうとしているのはチョコレートである。コーヒーを広めただけあって、目の付けどころがちがう。
(すごい……乳製品にチョコが合体したら最強じゃない!!)
これが武者震いというやつか。ソフィアは身体の震えを止められなかった。動揺が高揚へと変わる。婚約破棄された時とは違う理由で、ソフィアの赤毛は逆立っていたかもしれない。
(チョコとミルク、最強タッグが今ここに!!)
「伯爵!! やりましょう!! チョコと乳製品を全国に売り込みましょう!!」
ソフィアは立ち上がり、伯爵のおにぎりみたいな手をギュッと握りしめていた。伯爵は目を丸にしたあと、満月の顔でうなずいた。
「チョコ……デウスのことかな? よし! ソフィアちゃん、一緒にがんばろう!!」
驚いたのはリヒャルトだ。こちらは少々、怒を発している。
「伯父さん、ソフィアは私の嫁なんですからね? いつまでも手を握っているのはやめてください!」
それを見て、ステラが大口開けて豪快に笑う。この派手な笑い声でソフィアは我に返った。慌てて伯爵から離れ、うつむく。
「ソフィアちゃん、いい? その意気よ? ため込んだ熱意を一気に放出しなさい。熱い思いというのは必ず伝わるはず。恥じることなどないわ」
今のステラは優しいおば様ではなく、目をランランと輝かせた戦士の顔になっていた。好戦的でエネルギッシュなパワーが全身に満ちている。分厚い脂肪は鎧だ。指に隙間なくはめられた指輪が、神々しい凶器に見える。母ウズラのような包容力で人の心を奪っておいて、実際は肉食系か。ソフィアはたじろいだ。
「共に戦いましょう! まず、営業に必要なのは武器と防具よ?」
ステラの言葉の意味がソフィアにはわからなかった。武器と防具!? リアルに戦う話へと変わっている?
「最初に見た目を整えることから始めましょう。今のあなたでも充分かわいらしいけど、貴族相手の営業向きではないわ。じつはね、もう準備に必要な職人たちを呼んであるの。食べ終わったら、すぐにでも始めましょう。もっと自信を持って。あなたはもっともっと輝ける」
そして、食後──ソフィアは上から下まで吟味され、職人たちの人形となったのだった。