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24話 ステラおばさま

 クッキー専門店を彷彿とさせるおばさんを、ソフィアは紹介してもらうことになった。

 

 結婚したてのソフィアはパーティーに招待されることが多かったのだが、たいていの貴族は今の時期、田舎に引っ込んでいる。おばさんのもとへ向かうのは、ちょっとした小旅行になった。貴族の社交シーズンが本格化するのは夏である。


 馬車で悠長に旅をしている時間はないので、ソフィアは男装して騎乗した。リヒャルトと並んで馬を走らせること二日間。途中、貴族の城に一泊させてもらい、翌日、伯爵家に着いた。


 護衛も数人だけで、飾り気のない旅装姿。ソフィアに至っては男装である。とても、公爵夫妻には見えないだろう。城に着いてから、ソフィアは無造作に束ねただけの赤毛を縛り直した。侍女も連れていないから、何もしていない髪は膨張しまくっている。


(社交の達人ということは、派手な人かしら?……大丈夫? こんな身なりで……)


 ソフィアたちは豪勢な応接室へ案内された。

 長時間、馬の背に揺られていた尻を載せるのが躊躇(ためら)われる上等なソファー。貴族はベルベットが好きらしい。定番の鹿の剥製が壁にかけられている。それに絵画、交差した剣。どこかの社長宅を訪れた感じだ。ソフィアはジワジワ緊張してきた。


 ゆえに、ずいぶんと恰幅のよい伯爵夫妻が応接室に入ってきた時は拍子抜けした。丸い卵が二つ。ハンプティダンプティだ! 双子かと思われるほど似ている夫妻は、ニコニコと体型以上に丸い笑顔を見せ、ソフィアたちの訪問を喜んだ。


「長旅、大変だったろう? ゆっくり休むといいよ。かわいい新妻だね」

「わざわざ、結婚の挨拶に来てくださったのね! 嬉しいわ!」


 成金も真っ青なレースやリボン、ビーズでゴテゴテに飾り付けられた衣装へ目は釘付けになる。腕、指につけられたアクセサリーがまばゆい光を放っていた。

 地味な装いのソフィアは彼らの装いだけで気後れしそうなものだが、不思議とリラックスできた。疲れてないか、飲み物は……と、思いやってくれる言葉に忌惮はなく、気遣いを感じさせない。

 緊張も警戒心も魔法のように解け、ソフィアはペラペラと牧場経営と乳業について話していた。


(あれ? リヒャルト様に慣れるのは、ひと月以上かからなかったかしら?)


 そこで、ハッとした。彼らの場合、気遣いをしないのではなく、させないのだ。これこそ、もしや社交術?


「伯父さん、伯母さん、うかがったのはもちろん結婚の挨拶もあるけど、ソフィアの始めた商いの相談も兼ねてなんです」

「おやおや、改まって、そんなことかい? ワシらでよければ、いつでも相談にのるよ」

「伯父さんは冒険家から買い付けたコーヒー豆でコーヒーを作り、貴族の間で流行させましたよね? 起業家としてのご意見はもちろん賜りたいのですが、今回は伯母さんのほうなんです」


「あらまぁ! あたくし?」


 まん丸おばさん、話を振られて嬉しそうである。おじさんは少しガッカリしている。前世の世界では、コーヒーはイスラム世界から広まっていったそうだが、この世界ではリヒャルトの伯父さんが広めたようだ。


「乳製品をまず、貴族に売り込みたいのですが、なにぶんウチのソフィアは人見知りが激しくて……社交にも疎いのです。そこで伯母さんの力をお借りしたいと……」


 こんな紹介のされ方をしたら、ソフィアはモジモジしてしまう。おそるおそるステラの顔を見ると、満面の笑みで迎えられた。


「そういう話なら、ドンと来い!ですわ! ソフィアちゃん、がんばりましょうね!!」


 マジックである。心の中にあった恐怖や卑屈な感情が跡形もなく消えてしまう。


(ヘンなの……?)


 ソフィアは気を取り直して、コンプレックスの赤毛のことや、社交界デビュー後もほとんどパーティーに顔を出してこなかったことを話した。むろん、家族に虐げられていた話は伏せている。この温かい夫人を信用していてもトラウマに触れたくなかったのと、家族の悪口を言うのは憚られた。

 それなのに、レディステラは目にいっぱいの涙を浮かべた。


「うん、うん……そうなのね……うん……」


 ハンカチで涙をぬぐう。慰めや励ましの言葉はなかった。この人は言葉で必要以上に飾り立てたり、ごまかそうとはしない。余計な助言や意見もしない。ただシンプルに人の話を聞き、相手が求める言葉を返す。そして、共感してくれる。切り替えるのも早かった。


「持ってきてくださったクッキー、今いただいても構わないかしら?……バタークッキーっていうの? バターとは贅沢ね! 見た目も洗練された貴婦人のよう!」


 缶にちんまり収まったクッキーを見て、ステラは歓喜した。絞り機でハートの形に絞り出したタイプ、ナッツを入れたタイプ、ジャムを埋め込んだタイプ、全部で三種ある。

 この世界のクッキーは植物油かラードで作られていて、かためのザクザクした食感が特徴的だ。バターをふんだんに使ったバタークッキーは新鮮にちがいない。


「まあ、すごい!! 不思議な感じね! 噛んだとたん、砂みたいにホロホロ崩れていくの! おいしい!!」

「喜んでいただけて、幸いです。チーズケーキもお試しいただけますか?」


 ここぞとばかり、ソフィアは売り込むために持ってきた菓子を侍従に持ってこさせた。プリンパイにヨーグルトムース、フルーツたっぷりの牛乳ゼリー、シュークリーム、スノーボール……どれも、牛乳を生かしたお菓子だ。冬でなかったら、持ち運びは厳しかっただろう。木箱に金属板を張った氷冷蔵庫を使った。


 伯爵夫妻は大喜びで菓子を頬張ってくれた。リヒャルトも一緒に食べ、喫驚している。


「リヒャルト様に試食していただくのは初めてでしたね。どうです?」

「謎の箱を持ち込んだのはこれのためだったのか……どれも驚くほど、おいしいよ! 全部、君が?」

「職人に作らせましたが、レシピはわたくしが作成しました。チーズができれば、さまざまな料理に使えます。バターはお菓子作りに最適ですね。このサクサク感は油では出せません」


 ソフィアは調子づいた。これだけ喜んでもらえれば、やりがいがあるというものだ。菓子それぞれの説明も忘れない。


「プリンやシュークリームに入っているカスタードは卵のソースなので、エッグタルトと同じようなものです。ですが、牛乳を使うと使わないとでは、味に大きな差が出ますでしょう?」

「ほう、濃厚だね!」


 伯爵が嬉々として相づちを打つ。夫人だけでなく、伯爵もかなり食いついてくる。


「ヨーグルトは農民の家庭では一般的に食べられております。牛乳を発酵……ワインやパンチェッタ(塩漬け肉)のように熟成させているのですよ。独特の酸味とコクがあります。チーズは簡単に言うと、同じように発酵させ、水分を抜いたものですね」


「この繊細な丸いクッキーは? バタークッキーよりさらにホロホロ感がすごいの!」

「スノーボールですね。バターに粉砂糖とアーモンド粉をプラスして、雪玉のような儚さを出しています」


 夢中で食べる伯爵夫妻にソフィアは、細かく説明を続けた。

 バターもチーズもヨーグルトも、牛の乳から作られる食べ物は偉大だ。この素晴らしい恵みを知ってもらいたい、味わってもらいたいというソフィアの強い思いは充分伝わったようだった。

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