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23話 牛さんとオカリナ

 温かいシチューのあとは、しばしの別れが待っている。リヒャルトが先に帰城したあと、ソフィアは放牧にチャレンジした。


 牛さんたちには区画内を順番に回って、牧草を食べていってほしい。牧草が剥げたところから輪作※したいと考えていたのだが──(※別の種類の作物を植えることで、畑の栄養を均一にする)


「モォォォォォーーーー」

「ちょっと牛さん、そっちじゃないわ。こっちに移動して! こっちよ、こっち!!」


 思い通りに動いてくれない。好き勝手に移動してしまう。これでは育成中の牧草地まで踏み荒らされる。懸命に追い立てて、牛舎へ戻すのが関の山だった。手伝ってくれたノアも呆れ顔だ。


「ハァハァ……羊飼いや牛飼いの気持ちがわかったわ……」

「んだべ。放牧は逆に手間がかかるっすよ。だから、うちらは牛舎から出さねーの」

「くっ……柵を設置するしかないわね」

「柵はいいかもしんねぇなぁ? 鹿さんや猪さんにも、草ぁ食い荒らされっからな。でも、牛さんの力は思ってるより強ぇだ。やわい柵は簡単に壊されちまう」


 前世で見学した牧場では電気柵を使っていた。この世界には発電機も発電所もないから、頑丈な柵を区画ごとに設置せねばならぬだろう。手間がかかる。初っぱなから、ソフィアは頭を悩ませることになった。


「放牧は広大な牧草地が必要だし、管理が大変だべ。やっぱり、牛舎で飼育したほうが……」

「あっ!……そうよ! 羊飼いとか牛飼いって、笛を持ってるじゃない? 角で作ったヤツ……」

「角笛かぁ。誰か持ってっかな? 村の奴らに聞いてみねぇと……」

「用意しておいてくださる?」


 ソフィアは思いついたことをすぐにでも試したかったが、こらえた。

 すでに夕闇は牧草地を包み、夜の冷気が迫っている。昨日の今日で遅く帰るわけにいかない。あれだけリヒャルトに心配をかけたのだ。ソフィアは晩餐までに帰城した。

 

 しかし、帰ってからものんびりしている暇はなかった。新しい牛舎の設計図を作成する。素人の手書きだから、不備だらけであろう。これは学匠と建築士に直してもらう。今はひとまず提案だけだ。それと、生乳を使ったレシピも考えたい。

 ソフィアの苦闘は明け方まで続いた。


 翌朝、ほとんど寝ず、ソフィアは日の出まえに牧場へ向かった。

 早く試したかったのだ。手には冷たい陶器の感触がある。大切な人からの贈り物、黒光りするそれを口に当てた。別れ際、ルツからもらったオカリナだ。


 空が色を帯びてくる。黒から灰、濃紺、そして燃えるような赤へと。ソフィアの髪と同じ、命の色だ。顔を出す太陽へ祝福の歌を捧げる。この国の人は知らないだろうが、ソフィアのいた世界で知らぬ人はいなかった。前世から真面目ちゃんのソフィアだって、ポップミュージックくらい知っている。


 牛舎から牛がゾヨゾヨと歩いてくる。昨晩、ノアが立てておいてくれたのだろう。杭と縄だけの簡易な柵で囲ってある区画内に収まった。「ここから出ないように」と念じつつ、ソフィアはオカリナを吹いて柵の周りを歩いた。ネズミには念じたことが伝わった。牛にだって……


 魂の旋律は別のところへも伝わったらしい。目をこすりこすり、ナイトキャップに寝間着、上にコートを羽織っただけのノアが出てきた。牛舎からそう離れてない所にノアの家はある。


「ややっ!! どういうことだっぺ!? 牛さんがおとなしくなっとる!!」

「ふふふ……これは、わたくしが実家の婆やから戴いた魔法のオカリナなのです。動物を思いのままに操ることができるのですよ」

「すんげぇっっっ!!」


 ノアの反応は楽しい。同じギャル系でも妹のルシアとはちがう。ギャルにもいろいろあるのだ。

 ソフィアは、農業系ギャルのノアに何曲か教えることにした。夜明けの歌と夕暮れの歌。それと、外へ出ないようにする警告の歌。ノアには角笛を使ってもらう。

 群れで生活する牛は一度(しつけ)たら、それが群れのルールになる。入れ替えが起こっても、代々ルールは引き継がれていくので、一頭一頭に教え込まなくてもいい。


「オカリナで躾たから、柵は簡易な物で構わないでしょう。けれど、まだ不充分です。猪などの害獣にも備えなければ……狼犬を使いましょう。わたくしのほうで何頭か用意します」


 牛の制御はこれでクリアー。ルツのおかげだ。ソフィアは改めて大好きな婆やに感謝した。


 今、牛舎にいるのは三十頭。そのうち乳牛は五頭だけ。来年までに乳牛の数を十倍に増やしたい。回復途上の農地は堆肥を(すき)込んだ後、草木灰を入れよう。雑草や落ち葉は手に入れやすい優秀な肥料だ。柵の設置に牛舎の建て直し。チーズ、ヨーグルトを仕込んで、試作品も作らねば。やらねばならぬことは山とある。

 ソフィアの日常は牧場業務に忙殺された。ひと月はあっという間に過ぎてしまった。



 各地の農村から調査報告は続々と上がってきている。(あわ)(ひえ)、大麦、キビなど、荒れ地に強く食用にもなる作物を発見した。これらは有効利用できそうだ。それと、一番大きな収穫はジャガイモ!! とある小さな村で食されているのを見つけた。飢えをしのごうと、試しに根っこを食べてみたのが始まりだそう。ジャガイモは育てやすく、主食にもなる。飢饉の強い味方だ。


 農民たちを集めて勉強会も開始した。農業に必要な土作りや輪作、家畜の利用などについて説く。軌道に乗り始めた乳牛の飼育は、ノアに任せて大丈夫だろう。ソフィアは大規模な各地講演ツアーを計画した。だが、その前に乳製品の販路を開拓したい。悪宰相セルペンスとの約束もある。


 こういう時に社交をおろそかにしていたことが悔やまれる。牧場経営を始めてからというもの、夜会はすべて断ってきた。それこそ金の無駄遣いだし、苦手意識があったのだ。


(困ったわ。貴族は一番の顧客。その次が商人、中間層、最後に庶民よ。まず貴族を取り込まないことには、何も始まらない)


 晩餐の席で、ソフィアはリヒャルトに相談することにした。

 それにしても、長テーブルの両端に夫婦が腰掛けるマナーはなんとかならないものか。七メートル離れた距離から声を張り上げて、若干恥ずかしい相談でもせねばならない。

 別の時にするという選択肢を選ばないのは、二人とも猛烈に忙しいからである。顔を合わせるのは食事の時ぐらいだ。朝食は牧場でとるのが日常化してきているし、昼もソフィアは農地か牧場で過ごしていた。


 ちなみにこの世界の人は朝食が遅めなので、昼食をとることがあまりない。早朝から働き、肉体労働する農民は朝から夜の間に何度か間食するが、昼飯という定義はハッキリないようだ。それは貴族も同じで、彼らはお茶を飲んで甘い物を食べる。


 そして、晩餐には第三者が同席することが多い。同席者が悪宰相セルペンスだったりしたら最悪だ。今日は幸いにもケツ顎騎士団長ジモン。チャンスだと、ソフィアは気合いを入れた。


「り、リヒャルトさまっっ!!」

「な、なんだ? 唐突に?」


 食事の時、まともに会話できないヘタレ夫婦──離れた距離から声をかけるのは、陰キャにはハードルが高い。結婚当初、リヒャルトのハイパーイケメンぶりにビビっており、この距離がありがたかったものだが、慣れた今となっては意味のないマナーを廃止してほしいぐらいである。


 ソフィアは社交が苦手なこと、これから顧客を開拓するにあたって社交術が必要になってくることを話した。


「うむ……困った。私も苦手だからな。君に指導できるようなことはない」

「わたくしたち、似た者夫婦なのですね……」

 

「僭越ながら申し上げますが、ソフィア様はそのままで充分素敵だと思いますよ?」


 静観していたジモンが口を挟んだ。ジモンはリヒャルトのすぐ近くに腰掛けている。これもソフィアからしたら、謎の席次である。

 リヒャルトが臨戦態勢に入った。


「貴様、我が妻を誘惑する気か?」

「いえいえ、とんでもございません。正直に思ったままを申したまでで」

「ならば、ジモンに協力してもらい、夜会に挑もう!」

「閣下、そんな意地悪言わないでください。私の交友関係は(いか)つい武人ばかりですよ?」


 どうやら、ジモンも頼れなさそうだ。ソフィアは大きな溜め息をついた。


「はぁーーー……わたくしたち、陰キャの集まりだったのですね……」

「いん?……なんだ、それは?」


「陰謀を巡らす者たちの集まり、という意味でしょうかね?」


(ジモンさん、黙って)


「しかし、ソフィア様が社交に苦手意識を持つのは腑に落ちませぬ。美しいのだし、話もおもしろい。もっと、ご自分に自信を持てばいいのです」


 ジモンはソフィアに優しい。嘘はついてないだろう。だが、ソフィアは、どうしても自信が持てないのだった。


「わたくし、実家のグーリンガムではブスだ、おもしろみがないと言われ続けてましたし、美人でかわいがられる妹の引き立て役でしたから、そんなこと言われても自信が持てないのですよ」

「しかし、農民たちには慕われますでしょう?」

「あーー、農民や学匠、料理人など専門職の人は別ですね。仲良くやれるのです……あ、あと、ジモンさんも、ジモンさんは騎士という戦いの専門職ではないですか? だから平気なのですよ。他の貴族はニガテ……」


 ソフィアは前世から人付き合いが苦手なのだ。気の合った人と適度な距離を保ちつつ、個別で付き合うのが好き。


(うーん……でも、派手な営業職や接客業の人が苦手ってわけでもない。仕事上の付き合いなら、全然イケるし……専門的になにかを極めてる人なら共感できるというか、シンパシーを感じるのよね)


 ソフィアが頭を悩ませていると、   


「そうだ!! ステラ伯母さんがいたじゃないか!」


 リヒャルトが手を叩いた。ジモンも嬉々として同調する。


「ネイリーズ伯爵夫人、レディステラですね! レディステラなら、社交界の案内に適役かもしれませぬ!」


(ステラおばさま!?)


 その名を聞いて思い浮かべるのはクッキーだ。クッキーおばさん、救世主となるのか??

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