22話 搾乳
農村に着いたソフィアは、まず手始めにライ麦の種まきをすることにした。
リヒャルトも布をつばから垂らした麦わら帽子をかぶり、手袋、長靴に履き替えた農作業スタイル。ハイパーイケメンの農作業スタイルはレアである。ソフィアが思わず吹き出してしまったのも、無理はない。気づいたリヒャルトはむくれている。
新しく雇い入れた農民たちが、ライ麦の束から種を取ってくれていた。収穫後、他の麦と一緒に干してあったので乾燥しており、状態もヨシ。土壌環境がマシな荒れ地から播種することに決めた。
「堆肥は分けてもらえないかしら?」
「耕作放棄してる土地の人は堆肥作りも、やめちまってるから、遠出しねぇとないかもなぁ……あ、でも、ボドんとこだったら、あるかも!」
牧場を売ってくれたノアという農民が教えてくれた。健康的に日焼けしたブルネット(茶色っぽい黒髪)の女の子だ。年齢はソフィアと同じぐらい。他の農民たちも若い。
前世で農民というと若者より高齢者が多いイメージだが、この世界では若者が多い。寿命が短いせいもあるだろう。ノアみたいなギャルっぽい子が元気よく畑を耕しているのは、爽快である。
このノアが他の農民らを先導してくれたので助かった。堆肥はあるだけ施し、どこに種を蒔くか指示だけしてあとは任せる。彼、彼女らは生まれてからずっと土と向き合ってきた専門家だ。細部は任せても問題ない。
ソフィアは牛の状態を確認することにした。案内は牛舎の持ち主ノアにお願いする。
先日、指示を出したので、牛舎の状態はだいぶ改善されていた。だが、なにぶん牛舎自体が狭く、窓も少ないため建て直しはするべきだろう。
「牛のお乳を搾らせてもらってもいいかしら?」
「乳が出るのは今五頭くれぇかな? そんでよかったら」
「しぼり方を教えてちょうだい」
流通していないだけで、この世界の人々は各家庭レベルでなら、乳製品を摂取している。ヨーグルトだけでなく、チーズらしきものもソフィアは確認していた。熟成に時間のかかるチーズのサンプルがあるのは、ありがたい。
(マスカルポーネ、モッツァレラ、クリームチーズだったら、すぐ作れるんだけど、カマンベール、ハードタイプ、青カビチーズあたりは製法がなんとなくしか、わからないのよね……菌をどこから仕入れるかっていう問題もあるし、各家庭、村でどんなチーズを食べているかも調べないと)
すぐに作れるフレッシュチーズだけでも、料理の幅は広がる。そんなことを思考している間に牛の所へ着いた。
先月、出産したばかりの牛だ。あとひと月ほどしたら、仔牛は乳離れする。穏やかな目は子を持つ母親らしかった。
「まんず、お父ちゃん指とお母ちゃん指で円を作るだ。んで、これで乳首の根元をガッチリ握る……」
牛の腹の前にしゃがみ、ノアが実演してみせてくれた。力の入れ方にコツがいるが、そんなに難しくない。乳しぼりなど、前世で一回くらいしか体験していないのに、ソフィアはすぐにコツをつかんだ。乳首からピューと勢いよく発射させるのには、ある種の快感を覚える。
「ソフィアさま、マジで初めてっすか? うまいうまい!!」
「これをたくさんしぼるとなると、重労働よね。人手ももっとほしいところだわ……あ、リヒャルト様もどうぞ」
「えっ!? 私もやるのか!?」
「なんのためについてきたんです? せっかくだから、体験しないと」
リヒャルトはしぶしぶ牛の横にしゃがんだ。
「閣下、こうです。根元のあたりをギュゥッと……」
「こうか??」
「ちげぇますって! 牛さんが痛がってるでしょ? 乱暴にしねぇでください」
「むむむ……こんな感じかな?」
「そそそ、その調子。奥様のオッパイみてぇに大事にな?」
ノアめ、なんということを言うのだ。ソフィアは顔から火が出そうになった。見ると、リヒャルトも真っ赤になっている。
「キャハハハハ……初々しい夫婦だべ!」
まだ一度も夜の営みがないとは、絶対に言えない。ソフィアはごまかそうと、リヒャルトの隣にしゃがみこみ手を重ねた。ゴツゴツした男らしい手にドキドキしてしまう。
「リヒャルト様! もうちょっと、上! 乳首の根元をしっかり握って……こうです!」
「ん。こうか?」
ハイパーイケメン、意外と不器用……これでは、夜のほうもちゃんとできるか心配になる。
「あ、もっと優しく握ってくださいっ! 上のほうを握って!」
ソフィアはお手本を見せようと反対側に回って、乳をしぼって見せた。牛を挟んでソフィアとリヒャルトは向かい合った形になる。
「ふむ……こうやって順番に指を閉じていくのだな? やさしく、やさしくな……」
「あぁっ! 引っ張らないでください!……きゃーーー!!」
乳首をソフィアのほうへ向けて搾ったため、顔面に直撃した。
「あ、すまないっっ!! な、な、なにか拭くものをっっ!!」
リヒャルトが動揺しているのにもかかわらず、ノアは大爆笑だ。おかげでソフィアは、しぼりたてのお乳の味を確かめることができた。
「ソフィアさま、あははは……舌出して、エロいっすよ!」
「無礼者。不敬罪で昼ご飯作りを命じます」
「いちゃつく二人を眺めながらっすか? それは地獄っすね」
「今取った乳でクリームシチューを作るわ。鶏肉はある?」
「唐突っすね。今朝、シメたのでよければ……」
魔のクリームシチューで、忙しいリヒャルトを引き留めることになってしまった。そう、クリームシチューは日本発の料理だから、異世界には存在しない。冬にこれを食する幸せを知ってしまっては、後戻りは不可能だ。
悠長にバターを作っている時間はないので、ラードで代用する。工程に手間のかかる植物油は城の厨房にあっても、農家にはない。
ノアの家の厨房を借りて、ソフィア自ら調理した。基本的に野菜を切って煮込むだけなので、すぐできる。煮込んでいる間、デザート用にプリンも作った。
食卓に並ぶのはリヒャルト、ノア、それにボド。
なんと、あの不良農民ボドはノアの彼氏だというのだ。ひょっとしたら、農地を売ってくれるかもしれないと、ソフィアは淡い期待を持った。しかし、ボドのほうは相変わらず横柄な態度で全力拒否。やはり、農地は売りたくないようだ。
「ケッ……クリームシチューだぁ? おままごとで遊んでんじゃねぇよ」
ボドの態度にリヒャルトがキレるのではないかと、ソフィアはヒヤヒヤする。それも杞憂で終わった。
「なにこれ!?……うんまっっ!!」
中二病的農民の正直な反応に旦那様はご満悦になる。
「そうだろう、そうだろう。我が妻は経営だけでなく、乳しぼりも料理もできるのだ。それに美しいし……こんな公爵夫人は世界に二人といないだろう」
リヒャルト、ソフィアをべた褒めである。恥ずかしくなって、ソフィアはシチューを頬張った。
(甘い!)
冬なので野菜はあまりなく、根菜類……玉ねぎ、人参、大根程度しか入ってないのだが、もともと甘い乳に野菜の旨みが合わさって、いっそう甘くなっている。鶏肉のゼラチン質も溶け込んでいるのだろう。ルーやバターがなくても、おいしく作れた。
ボドが素直になったのもわかる。濃厚な自然の恵みは舌をとろけさせた。