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20話 二人の時間

 ここ数日でソフィアとリヒャルトは急接近している。

 財務の書類を確認させてほしいと訴えてから農地の視察、牧場経営の計画を経て、彼と仕事の話をすることが多くなった。そして、お互いの気持ちを吐露することによって、新しい信頼関係が生まれつつある。


 以前だったら、寝室で仲良く朝食をとるなど考えられなかった。甘々な夫婦の時間を邪魔してはいけないと気を利かせたのだろう。デザートとコーヒーを持ってきた侍従は、暖炉に火だけつけて早々に退散した。

 最初、向かい合って座っていたリヒャルトは椅子を移動し、ソフィアの真横にぴったり寄り添っている。近距離でもソフィアは平気になっていた。


「農家から、このライ麦の種をたくさん譲ってもらえました。今日は早速、種まきをしようと思います。牧場をスタートさせるには充分な土地を確保できましたので、耕作放棄地の買い取りは別の方にやってもらいましょう。人材を分けていただくことは可能ですか?」

「了解した。でもソフィア、また仕事モードになっているよ? もうちょっと、君との時間を楽しみたいのに……」


 ひじ掛けに置いた手を触られ、ソフィアは引っ込めそうになる。まだ、こういうスキンシップには慣れない。


「じゃあ、楽しみながら経営の話をしましょう。また問題を出しますよ?」

「どうせ、また意地悪な問題だろう?」

「ふふふ……ちょっとお待ちくださいね」


 テーブルに置いた白い液体の入った瓶。ライ麦パンの他に得た収穫はこれだ。ソフィアは真鍮のマグにその白い液体を注ぎ入れた。王侯貴族の間では、そんなに飲まれていないはずだ。初めて飲んだ感想を聞きたい。


「これは……」

「どうです?」

「うん、とってもおいしいよ。初めて飲む味だ。甘くてシュワシュワしてちょっと酸味がある。爽やかな感じ。アルコールが……入ってる? でも、これがなんだと聞かれても、わからないよ」

「これはヨーグルトといって、牛乳を加工したものです。それを発泡ワインで割りました。乳業がなくても、農民たちは工夫して食べたり飲んだりしていたようですね」


 昨晩、ボド宅の試食会にて、野次馬たちが回し飲みしている飲み物が気になったので聞いてみたのだ。山羊の胃袋の水筒に入ったそれは、水で割ったヨーグルトだった。


(パン作りの時、サワー種がないからビール酵母でパンを作ったけど、あったのよ。乳酸菌)


 ボドの家にもあったので、少し分けてもらった。ライ麦サンドを作る際、ついでに作ってみたのである。スパークリングワインで割って、蜂蜜を加えることで飲みやすくなる。中東では甘くせず、アルコールなしの炭酸水で割る。ドゥークと呼ばれるソフトドリンクだ。インドのラッシーは砂糖で甘くし、牛乳で割ったタイプ。勉強熱心のソフィアは前世の研修旅行で学んだ。


「今回は飲み物にしたのですが、このヨーグルトがあると料理やお菓子作りの幅が広がります。デザートにも最適だし、パンにも合うでしょう? 牛乳より保存にも適しているので、輸送もしやすいです」

「うんうん、これから君はヨーグルトを製品化するつもりなのだね?」

「ヨーグルトだけではありません。牛乳やチーズ、バターも作ります。それを利用してできる加工品もあります」

「今日、少しだけ君の仕事に同行しても構わないかな?」

「もちろん! 今日は昨日もらったライ麦の播種と牛舎の環境改善、建て直しのための設計図を作成しなければ……あっ、建築の設計士を紹介していただけますか?」

「ほんとに君はよく働くね……いいよ、わかった。城の建築士を当たってみよう」

「それと、ジモンさんを叱るのはナシですからね? わたくしの出した問題に一つも答えられなかったんですから」

「ぐっっ……護衛役にジモンは最適なのだが、君との距離が近すぎる」

「ジモンさんには全然興味ないので、心配しなくていいです」


 我ながら、ひどい言いようにソフィアは笑ってしまった。ジモンがかわいそうである。だが、ヤキモチを焼かれるのは嫌じゃない。もっと甘えたい気持ちになった。


「リヒャルト様、お願いをしても構いませんか?」

「なんだい? 火の中へ飛び込めとか無茶なものでなければ、なんでも聞くよ?」

「そこは飛び込むべきでしょう」

「……飛び込もう、君のためなら火の中、水の中……」

「実家に置いてきた侍女のルツを呼び寄せたいのです」

「えっ?」

「敵国には何も持っていってはいけないと、父はルツを連れて行かせてくれませんでした。もう、かなりの年ですし、わたくしがいなくなってからちゃんと生活できているか心配なのです。機織りの職場を案内するようお願いしましたが、それでも心配で……」

「さっき言っていた侍女だね? とりあえず、文を送ってみよう」

「ありがとうございます!」


 リヒャルトからの申し出なら、父王も折れてくれるかもしれない。光明が見えてきた。

 ソフィアはごく自然にリヒャルトと笑い合った。屈託ない笑顔というのは、いいものだ。いつの間にか、ひじ掛けに載せられた手の上に、リヒャルトの手が重ねられていた。



 しかしながら、甘い時間を満喫する余裕はなかった。ソフィアにはやらなければならないことが山ほどある。ソフィアは二人の時間を少しでも長引かせるため、ささやかな抵抗をした。自分の髪を綺麗にしてもらったお返しに、リヒャルトの銀髪を結わえさせてもらうことにしたのである。我ながら、思い切った提案だった。


 儚げに見えて強い輝きを放つ銀髪は柔らかい。それにいい匂いがする。触れられるのもいいが、触れるのもいい。リヒャルトは脱力し無防備に頭を預けた。幼子のような彼の姿を見ていると、心のどこかでまだ信じられない、恐れていることが申し訳なく思えてくる。この時間が永遠に続いてくれればいいのにと、ソフィアは思った。


「リヒャルト様、ずっとずっとわたくしの旦那様でいてくださいね」


 鬱陶(うっとう)しかっただろうか。リヒャルトからの返事はなく、ソフィアは不安になった。彼を失うことが怖くて震える手で髪を編む。ふたたび捨てられた時、立ち直れる自信がソフィアにはなかった。


 銀髪を三つ編みにし終わったあと、リヒャルトは振り向きざまソフィアを抱きしめた。


「もう、怖がらなくていい。君は好きに生きていいし、私がそばにいる」


 これが彼の答え。

 ソフィアは腕をリヒャルトの男らしい背中に回した。

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