2話 前世のこと
こんなはずではなかった。転生したら、薔薇色の未来が広がっていたはずなのに──
部屋に戻る途中、ソフィアは前世のことを思いだしていた。前世の記憶が戻ってきたのはごく最近だ。十七の誕生日を過ぎて覚醒した。
転生前のソフィアは大手菓子会社に勤めるОLだった。新商品を開発する研究部門で忙しい日々を送っていたのである。仕事仕事の仕事人間、ワーカホリック。三十手前で恋人もいない。昔から成績良く生真面目、ストイックなところがあった。働きすぎではあったが、そんなに悪い人生でもなかったと思う。チヤホヤされる若い女社員を見てうらやましくなかったと言ったら嘘になるが。ソフィアにだって女の性というか、人並みに愛されたいという欲望は少しぐらいあった。そのせいで、お姫様なんかに転生してしまったのか。
前世の記憶は一人暮らしの自宅で発泡酒を飲んでいたところ、急に胸が痛くなったところで途切れている。おそらく、遺伝性の心臓疾患を抱えていたため、突然の発作で死んでしまったのだろう。
お姫様に転生したら、皆に愛されて、イケメン王子と結婚できると思い込んでいたのは大間違いだった。いつも、かわいがられるのは一つ下の妹ルシアだ。金髪碧眼、低身長、巨乳とソフィアの持っていないものを全部持っている。おまけに無邪気、天真爛漫。対するソフィアはこのように醜い赤毛だし、ガリガリの高身長、そばかすだらけ。前世と同じで面白みがなく、無愛想。お姫様に転生しても金髪碧眼のスタンダードタイプでなければ、意味がないという現実を突き付けられた。
(これだったら、仕事人間だった前世のほうがマシじゃない)
色恋沙汰に縁のない干物女ではあったが、仕事は楽しかった。公務やら社交より、研究職のほうが自分は向いていると思う。少なくとも、妹ルシアのような陽キャのギャルにイジメられる経験はせいぜい中学生までだった。
結婚相手は奇人らしいし、敵国だから何をされるかわからない。これから先の暗い未来を憂いて、ソフィアは溜め息をついた。
しょんぼりと質素な自分の部屋に帰る。家具はベッドと鏡台、本棚ぐらい。転生前とそう変わらぬ見映えだ。どこからどう見ても姫様の部屋ではない。年老いた侍女がソフィアの帰りを待っていた。
「ソフィア様、おかえりなさいませ。陛下のお話はいかがでございましたか?」
「最悪よ。わたくしたち、ここを離れることになるわ」
ソフィアはベッドに腰掛け、足の悪い侍女には低めのスツールを勧める。侍女のルツ。彼女はこの城で唯一の味方だ。ちなみに十数人の侍女に囲まれるルシアに対し、ソフィアの侍女は白髪のこの老婆ただ一人だけである。ソフィアは誰よりも信頼しているルツに事情をすべて話した。
「それは災難でしたのぅ。沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありという言葉がありましての、今、大変であっても、いずれ報われる時が必ず来るでございましょう」
「生まれてからずっと困難が続いているんだけどね。でも、おまえにこんなことを愚痴っても、しようがない。これからどうやって切り抜けていくか考えることにするわ。リエーヴ王国はここより寒いし、暖かくしていかないと。わたくしなんかより、おまえの身体が心配よ。年も年だし、長旅に耐えられるかしら……」
ソフィアはルツを心配した。ルツの推定年齢はだいたい八十ぐらいだろうか。頭はしっかりしていても指は常に震えており、髪結いもろくにできない。そのせいでソフィアはいつもボサボサの頭をしていた。
「それ以前に婆はソフィア様のお供をさせていただけるのでしょうか? これまでのパターンを考えると心配ですのぅ」
「え……まさか……? 侍女一人ぐらい、連れて行ってはいけないとは言われないでしょう?」
そうは言っても、ソフィアは不安になってきた。ルツはソフィア以外にとっては役に立たない老婆だから、当たり前のように連れていく気でいた。だが、ルツの言うとおり、ソフィアは与えられず奪われるだけの人生を送ってきた。たった一人の仲間を奪われることだって、無きにしも非ずだ。
「婆のことは母上様にご確認くださいませ。もし離れ離れになっても、婆はずっとソフィア様の味方でございます」
そんなことを言って、歯のない口で笑うヨレヨレの老婆を心配しないでいられようか。ソフィアがいなくなったら、稼働力のないルツは城を追い出されてホームレスになってしまうかもしれない。寒空の下、放り出された年寄りが一人で生きていくのは不可能だ。ソフィアはいても立ってもいられなくなった。
ルツとは物心つくころからずっと一緒にいる。家族のようなものだ。いや、心の拠り所といっても過言ではない。醜い、赤毛だと差別されるソフィアを受け入れ、孫のようにかわいがってくれた。たった一人の理解者。大事な人を置いてはいけない。
ソフィアは母であるイレーネ王妃のもとへ走った。昼下がりのこの時間、用事がなければ母は庭園で趣味の園芸に興じたり、客人とお茶を楽しんでいることが多い。
案の定、母は庭師にあれやこれや指示を出していた。紫や白の冬咲きのクレマチスは庭園のアーチや城壁を華やかに飾っている。色の配分やら花の大きさ、バランスにこだわりがあるのだろう。母は事細かに庭師を指導していた。母が派手な貴族のご婦人方に囲まれていなかったことに安堵しつつ、ソフィアは声をかけた。
「あらぁ、ソフィア。お父様から輿入れの話は聞いた?」
「ええ。なんでもリエーヴ王国の王弟だそうで……」
「うんうん、よかったわねぇ! エドアルドとルシアは結構まえから付き合っていたのよ。わたくし、知ってはいたけど、あなたに言うべきか迷っていて……でもよかったわ! 陛下が新しい結婚相手を見つけてくれて!」
満面の笑みでソフィアの新しい縁談を喜ぶ母は妹のルシアに似ている。濃い金髪に色素の薄い水色の目。フワフワっとした雰囲気も同じだ。ルシアと同様かわいがられ、大事にされてきた母にはソフィアの気持ちがわからないのだろう。いつものように無神経な言葉をぶつけてきた。
「あなたったらそんな汚い髪をしているし、いつもムスッとしていて可愛げがないでしょう? エドアルドに捨てられたらもう、引き取り手がないと思って心配していたのよ。ルシアは美人だから引く手あまただけど、あなたはねぇ……」
そう思うんなら、エドアルドを奪わないようルシアを見張ってくれたらよかったのに、とも思う。ソフィアはこれから来る悪意のない罵倒にそなえた。
「でも、あなた、結婚だけでもできて御の字よ。ブスに生んでしまって、本当にごめんなさいね? 悪いとは思っているのよ。わたくしやルシアのような金髪とまでいかなくとも、せめて栗毛ならよかったわよねぇ。そのうえ、顔までソバカスだらけだし、ファッションにも興味がないものだから。今日もそんな地味なえんじ色のドレスを着て……」
「これはルツが見繕ってくれたものです」
「あの老婆ね? やっぱりそんな感じ」
「わたくしの侍女はルツしかいないものですから」
「それはそうと、ルシアの結婚準備で忙しいのよ! このあと、仕立て屋や宝石商がやってきて、まず婚約パーティーで着るドレスの打ち合わせをしないといけないの! ウェディングドレスはそのあとね。自分の分と主役のルシアの衣装も相談しないと……パーティーのお食事のメニューも決めないといけないし……ああ、忙しい!!」
「あの、わたくしは……」
「あっ、いいのいいの。ソフィアはいいのよ。もう、二、三日後にはリエーヴ王国からお迎えが来るから、気にせず行ってらっしゃいね」
「あの、お母様。ルツは嫁ぎ先へ連れて行っても構わないでしょうか?」
マイペースに話し続けるものだから、なかなか本題に入れなかった。二、三日でお迎えが来るとかなにも聞いてないし、こちらの輿入れの準備は?……とか、いろいろ尋ねたかったが、聞いても埒が明かないのはわかっている。ソフィアは最低限ルツの処遇だけは教えてほしいと思い、要領得ない話に耐えていたのだ。当然の質問をしただけなのに、母はキョトンとしている。
「えっと……あのお婆ちゃんは連れて行っちゃダメよ?」
「え……!? なんでです!?」
「うんとね、陛下のご命令なんだけど、城のものは何一つ持ち出してほしくないんですって。だから、あのお婆ちゃんもダメ」
「そ、そんな……」
ひどい……たった一人の侍女すら連れて行かせてはくれないのか。他になにも持たせてくれなくても構わない。でも、ルツはいつ亡くなってもおかしくないし、置いていくなんて……
「あーー、あと、これは聞いた? 持参金も持たせてあげられないのよ。相手は敵国だし、こちらも戦後の赤字があるから……」
そんなことはソフィアにとって、どうでもよかった。
「嫁入り道具も持参金もいりません。でも、ルツだけは……どうにか連れていけないでしょうか?」
「ダメよ。もう決まってることだもの。あ、仕立て屋が到着したみたい! ああ忙しい! じゃあね、ソフィア。ごめんあそばせ!」
庭園の真ん中を馬車が走っていくのを見て、母はソフィアから離れた。