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18話 リヒャルト様の寝顔

 リヒャルトはまだなにか言いたげな様子だったが、ソフィアがくしゃみをしたためお開きとなった。


「部屋まで送るよ」


 リヒャルトは夜会のときのように腕を組むのではなくて、ソフィアの手に指を絡ませてきた。恋人つなぎだ。


(城の人は寝てしまっているから、演技しても意味がないのに……練習かしら?)


 リヒャルトの大きな手が自分の手に絡まるのは嫌じゃなかった。ごつごつしていて、たくましい男の手だ。血管も浮き出ている。ソフィアの冷たかった手は徐々に温かくなっていった。

 蝋燭の頼りない灯りだけで、長い回廊をソフィアたちは歩いた。小さな灯り一つで闇の中を進んでいくのは、一人ぼっちだったら心細いかもしれない。だが、温かい指の感触が心をポカポカさせていた。だから、部屋まで来て離れてしまった時、ソフィアはもっとくっついていたいと思ってしまったのだ。


(わたくしってば、ずうずうしい。リヒャルト様は演技でされているの。わたくしのことなんか、好きじゃないんだから勘違いしてはダメよ)


 ソフィアは自分に何度も言い聞かせた。手酷い失恋をし、そのせいで売られるようにこの国へ嫁いできた。もう、あのようなみじめな思いは二度としたくない。


(でも、リヒャルト様はわたくしの話をよく聞いてくださる。牧場経営の件も農場の件も受け入れてくださった。とってもいい人よ。それに、わたくしのことを女性として見ていなくても、好いてくれているかもしれないわ。恋愛対象ではなくパートナーとしてなら、彼を好いても構わないんじゃないかしら?)


 手に残った指の感触を惜しみ、自分なりの思考を重ねた。恋愛対象でなければ、彼を好きになってもいいんだという考えに落ち着くと、安心してソフィアは眠りに落ちた。



 翌朝、早起きしてソフィアは厨房へ向かった。リヒャルトへお詫びも兼ねて、作って渡したいものがあった。

 口をあんぐり開ける料理人たちに、朝ご飯はデザートだけにしてほしいと告げる。調理場の一画を貸してもらった。そんなに難しい作業ではない。材料さえ揃えばあとは組み立てるだけだ。プラモデルと同じ。


 マスタードよし。朝採りベビーリーフよし。マヨネーズよし。ピクルスよし。玉ねぎよし。鶏の薫製肉……つまりスモークチキンよし。そして、昨日持ち帰ったお土産のライ麦パンを使って──組み立てる!

 スライスしたパンにマスタード、マヨネーズを塗り、野菜、チキンを重ねる。最後にパンで蓋をしてざっくり切れば、ライ麦パンのスモークチキンサンドイッチの出来上がり!!


 これは絶対においしいやつだ。朝ご飯にもピッタリ。ソフィアはワックスペーパーに包んだサンドイッチを籠に入れ、さらに飲み物の入った瓶と真鍮のマグも入れて、リヒャルトの部屋へと向かった。

 夫婦の寝室は主殿の奥まったところにある。リヒャルトとソフィアの部屋は隣り合わせているように見えて、かなり離れていた。間に従者や侍女の待機する部屋が挟まっているからである。廊下には眠そうな衛兵が立ち、あくびをしかけて止まった。ソフィアは笑って、止まったままの衛兵におはようの挨拶をする。


 リヒャルトは相当疲れていたのか、鍵も開けっ放しで寝ていた。昨晩の様子だと、寝ずにソフィアのことを待っていてくれたのだろう。そんな健気な夫にソフィアは妻の権限を行使することにした。ノックをしても反応がなかったのだ。しようがない。心のうちで言い訳しつつ、そぉっと部屋の中へ入った。


 アーチ型の格子窓から朝日が差し込み、室内は明るかった。天蓋つきのベッドにも日光は届いているのだが、リヒャルトは爆睡していた。呑気なものだ。

 枕元に立ったソフィアは、しばらくリヒャルトの寝顔を堪能した。やはり、完璧な黄金比率。寝顔も神々しい。ずっと見ていたい。至福の時をソフィアは楽しんだ。


(あ、でも、起きている時とちがって、緊張しないわ。見とれてしまうのだけど、ちょっと間の抜けた感じがしてかわいい)


 残念ながら、重い籠を小テーブルに置いた音でリヒャルトは起きてしまった。


「ムニャムニャ……まだ寝させてくれ……ん!?……ソ、ソフィアッッ!?」

「起こしてごめんなさい。まだ寝てていいですよ」


 リヒャルトは飛び起きた。顔が真っ赤になっている。寝起きハイパーイケメン、恥じらいバージョン。


「この間、わたくしの寝顔を勝手に見た仕返しです」

「どういうつもりだ!? 勝手に入ったのか?? 鍵は??」

「鍵は開けっ放しでした。不用心が過ぎますよ。ここは仮住まい。次期国王候補なのだから、命を狙われてもおかしくありません」


 リヒャルトがあまりに動揺するものだから、ソフィアは少々調子に乗っていた。怒らせてしまったら、その時はその時だ。リヒャルトだって同じことをしたのだし、妻の権限を主張してやろうと思った。あと、彼との距離を縮めたい、仲良くなりたいという気持ちも少し──

 乱れ気味の銀髪は色気を放っており、顔を赤くして慌てるリヒャルトは新鮮だ。心理的に勝ったことで、ソフィアは余裕の笑みを浮かべることができた。ただし、勝利の余韻は本当に短い間だった。


「君って子は……そんな生意気をするんなら……」

「ひぁっっっ!! リヒャルトさまっ!?」


 グイとソフィアは腕をつかまれた。そのまま引き寄せられ、ベッドの上へと……押し倒されてしまった。

 仰向けに寝かされ、両手の自由を奪われ上にまたがられる。強い力に抗うことはできず、ソフィアはピクリとも動けなくなった。今のリヒャルトはソフィアの体をどうにでもできる暴君だ。そして、ソフィアはなんの力も持たぬ彼の人形。リヒャルトの整った顔が近づいてきた。


「男の寝室に無防備な小娘が立ち寄ると、どういうことになるかわからせてやる」

「いやっ……やめてくださいっ!! はなしてっっ!!」


 反射的にソフィアは逃れようとしていた。レイパー元婚約者とは全然ちがうのだが、強引にされると恐怖が先立ってしまう。しかし恐怖が表に出たとたん、あっけなく解放された。抵抗する間もなく、ソフィアは自由になった。ソフィアから離れたリヒャルトは泣きそうな顔になっている。


「すまない……つい悪のりしてしまった。どうか、嫌いにならないで」


 ソフィアの心臓は飛び出さんばかりにバクバクしていて、なにをどう答えていいかわからなかった。昨日、優しく手をつないでくれた人と同じ人間とは思えない。突如として荒々しい暴力性に満ち、獣じみていた。黙っているソフィアに対し、リヒャルトは謝り続けた。


「気持ち悪いと思われるかもしれないけど、君のことを自分のものにしたいと常に思っていて……その、夢でも見たりするんだ。君と愛し合いたい。それが抑えきれずに出てしまった」


 ソフィアの警戒アラートは鳴らなかった。打ちひしがれ、うつむき加減に訴えるリヒャルトを見たら、どんなに鈍い人間だってわかる。彼は性的な対象としてソフィアを見ている。

 そもそも、結婚してから一度もそういうことがないのは不自然だったのだ。ソフィアに嫌われていると勝手に思い込んだリヒャルトは、遠慮して寝室を訪ねなかったのかと思われる。


 ソフィアはこのまま彼を受け入れてもいいかとも思った。妻の役割でもあるし、それ以上に彼を渇望する思いがソフィアの内部でグルグル渦巻いていた。

 どうして受け入れなかったのか。身を差し出せば、飽きられるのではないか? 性欲を処理するためだけの存在になってしまうのではないか? ただ、ひたすら怖かったのである。

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