17話 プリプリ白髪ゴリラ
帰城したソフィアを待っていたのは、大激怒のリヒャルトだった。
そう、国王があんな状態なので国王代理のリヒャルトとソフィアは王城に住んでいる。
リヒャルトがカンカンなのは遅くまで出歩いていたからだ。必然的に怒りをかぶるのは、同行していたジモンになる。意気揚々と帰城したソフィアたちは、王の間にてお説教タイムとなった。
「こんな遅くまで人妻を連れ回して、どういうつもりだ!!」
ひざまずいたジモンは首を垂れ、反省の意を示す。筋肉質な背中を丸め、うつむくさまは考える人にも似ている。ガタイのいい武人が縮こまっている姿は滑稽だ。しかし、笑い事ではなかった。連れ回していたのはソフィアであってケツ顎ではない。リヒャルトはジモンの上司であるが、その間にソフィアが入る。ジモンはソフィアの命には逆らえず、従っただけなのだから、全責任はソフィアにある。
「リヒャルト様」
「君は黙っていてくれ! 私はジモンに話しているのだ!」
「いいえ、ジモンさんを叱るのは間違ってます。ジモンさんは従っただけで、帰りが遅くなったのは全部わたくしの責任です」
「君の監督をジモンに任せた。ちゃんと君を連れ帰らなかったのは、ジモンの責任だ」
「ジモンさんはわたくしの命令に逆らえません。それともなにか? わたくしはジモンさんより、下の立場ですか?」
「屁理屈を言うんじゃない。君にはあとで注意する。今はジモンに反省してもらわなければ」
「それがお門違いだというのです。ジモンさんに怒りをぶつけたところで、なんの改善も図れません。彼はわたくしの言うとおりにしただけなのですから。わたくしが過ちを犯せば、また同じことになるでしょう」
ソフィアも食い下がる。リヒャルトは冷たい銀の目で射ってきた。
ゾクッとするほど鋭い。よく研がれた刃物のようだ。仕事モードとか関係なしに、縮みあがるくらいの迫力があった。ソフィアは一瞬ひるんでから、にらみ返した。
いつもの優しい銀視線だと石化するのに平気だった。平気でもないのだが、ここで負けていては目的を達成できない。
「ジモンさんを下がらせてください。二人きりでお話ししたいのです」
「わかった」
ジモンを帰らせると、冷え切った王の間でソフィアとリヒャルトは対峙した。
城に着いた時、日付が変わっていた。今は深夜の一時とか二時か。ライ麦パンの試食会を終えてから、帰途についたので遅くなってしまった。ソフィアとリヒャルト二人に王の間は広すぎる。背の高い燭台に灯りが数個灯り、二人の周りだけ切り抜かれたみたいにスポットライトが当たっていた。薄暗さが寒さを倍増させる。
下から、せり上がってくる冷気に耐え、ソフィアは顔を上げた。罵倒には慣れている。いくらでも怒りをぶつければいい。
それなのになぜか。冷気のせいか、感情が高ぶったせいか、冷たい涙が頬を濡らした。
(やだ……わたくし、泣いてる?)
これでは、自分が悪いのに泣いてごまかそうとする、あざとい女ではないか。喫驚するリヒャルトの視線が痛い。ソフィアは慌てて目元を拭おうとした。だが、次の瞬間、呼吸が止まった。
リヒャルトに抱きしめられたのである。縮んでしまったルツに抱かれた時とはちがう。堅い男の腕にガッチリと抱えられ、ソフィアは硬直した。ソフィアも身長が高いから、大柄なリヒャルトの肩あたりに顔がくる。
「心配したんだ。本当に……君になにかあったらと思ったら……」
「リッ……リヒャルトさまっっ……」
言葉が続かない。言を発しようと、ソフィアが息を吸い込んだところ、気管がリヒャルトの匂いでいっぱいになってしまった。例えれば緑色だろうか。新緑を思わせる爽やかな香りに肉っぽい男の香りが混ざって、少し甘くなっている。刺激が強すぎて、ソフィアの視界は黒くなったり白くなったりした。
「そんなに身体をこわばらせて……やっぱり、私のことを嫌っているのだな。でも、少しだけでいいから、このままでいてほしい。君の夫という権限を行使させてくれ」
「き、きらってなどいないです!」
「最近、財務の書類を確認したり、農地の視察をしてる時はしゃべってくれる。それまでは、目すら合わせてくれなかったではないか?」
「……そ、それはっ……」
「初対面の時に君を怒らせてしまっただろう? どうしたら許してくれるかと、ずっと悩んでいた」
「怒ってなどないです。リヒャルト様が悪いのではないの……わたくしが……」
リヒャルトはソフィアの顔を見下ろした。かなりの至近距離だ。この距離から銀光線を浴びると、ソフィアは灰になってしまう。
「あの、その……わたくしが悪いのです……わたくし、訳あって男の人が怖いのです。だから、リヒャルト様と仲良くしたいと思っても、近寄られるだけで呼吸困難を起こしそうになるので、どうすればいいのかわからないのです……」
「そうだったのか……」
リヒャルトはソフィアから身体を離した。温もりがなくなるやいなや寒くなる。ソフィアの足はガクガクした。リヒャルトは自分のマントをソフィアの肩にかけた。
リヒャルトの悲しげな目は、さっきの鋭い目つきとはまるでちがって、ソフィアの胸を締めつけた。
「リヒャルト様、ごめんなさい……これからは遅くならないよういたします。どうしてもすぐに帰られない場合は必ず連絡します」
「ソフィア、少しずつでいいんだ。ゆっくりで構わないから、私のことを夫として見てくれないか?」
「リヒャルト様はわたくしの旦那様です。牧場のことや農地のこと、お話を聞いて受け入れてくださり、感謝しております」
「ううん、ちがうんだ。君は私のことをただの仕事のパートナーとして見ているんじゃないか? そうではなくて、男として恋愛対象として見てほしい」
燭台の灯りが赤みを帯びているせいか。リヒャルトの頬が赤らんで見えた。ソフィアの顔もほてってくる。体の震えは止まった。
(恋愛対象って、リヒャルト様はわたくしと恋人になりたいってこと!?)
恋人を飛び越えて、もう夫婦なのだが。普通の女だったら、飛び上がって喜ぶのだろう。だが、長年の陰キャ歴がそうはさせなかった。ソフィアのなかで、ふたたび警戒アラートが鳴る。
(ないないないないないないない……リヒャルト様が言っているのは、周りから見ても仮面夫婦というのがわかってしまうから、もっとうまく演技しろということなんだわ。怒っていたのは世間体。ケツ顎と不倫噂が立ったりしたら、公爵家の名に傷がつくもの)
「わかりました! 次からはもっとうまくやります! ケツあ……ジモンさんのことはもう怒らないでくださいね。変な噂が立たないように注意します!」
「??? なにを言ってるんだ、君は??」
(演技だと思えば、リヒャルト様とイチャイチャするのも平気かもしれない)
仕事モードをONにして、人前では仲良しを装わなくては。目を見ないのはよくない。よそよそしい口調もNGだ。そうだ、妹のルシアの真似をしよう。ルシアは男に甘えるのがうまかったから──ソフィアはそんなふうに考えた。あんな妹でも役に立つこともある。