13話 農地視察
ハード系のパンにオリーブオイルをつけて食べる。それに生ハム、ドライフルーツ、木の実。飲み物は赤ワイン。馬車の中でとる朝食は悪くなかった。ソフィアはこれから行く農地の資料を確認しながら、硬いパンを咀嚼した。
(味は悪くないんだけど、口の中が乾くのよね……この世界の人って、水の代わりにワインだから余計に水分取られるのよ。あと栄養バランスがいまいち。ワインじゃなくて牛乳、あとチーズもほしい。それに同じハード系のパンなら、栄養価の高いライ麦パンのほうがいいわ)
激務に明け暮れていたOLを侮るなかれ。畜産系大学卒の食品開発者は効率良く栄養を摂取する。効率良く……といって、サプリが思い浮かぶのは素人だ。サプリは吸収率が悪い。補助的役割は果たせても、主食にはなり得ないのである。前世のソフィアは忙しいなかでも、バランスのとれた食事を心がけていた。食品というのは相互作用で吸収率を上げたり、下げたりする。食べ合わせというのは非常に重要なのだ。
(そんなことより、これから行く農地の状況よ。ふむふむ……年々、生産高が低下しているじゃない。絶対、間違った農法よね。連作障害かもしれない。輪作はしているのかしら?)
向かっているのはリヒャルトの領地であるラングルト地方。領地に置いてある城は別荘のような扱いだという。王があんな状態になってから、リヒャルトは王城で生活していた。
資料を眺めつつ、ソフィアは首をひねりパンを飲み込む。昨晩、少し話した内容だと、リヒャルトの領地はまだマシで、もっとひどい所はたくさんあるそうだ。この生産量低下が全国規模だと、かなりヤバい状況といえよう。
集中しているときは、例にもれず他のことが見えなくなってしまう。ソフィアは銀の瞳がこちらを向いているのに気づかなかった。ため息をついて、なにげなく顔を上げた瞬間、目が合ってしまった。
「ひぁっっ!! リヒャルト様、なんです??」
「な、なんでもない。ただ、見てただけだ」
ハイパーイケメン、空気になっていた。いつもだったら、リヒャルトと馬車で二人きりのとき、ソフィアはアワアワしている。夜会のストレスはそれもあった。
(ううう……銀光線やめて……また石化させるつもり?)
リヒャルトに決して罪はないのだが、ハイパーイケメンゆえに存在自体が脅威なのである。
(そうだわ! 仕事モードなら、緊張せず普通に話せたじゃない)
仕事モードをONにすることで、イケメンオーラを跳ね返すバリヤーが張られる。ソフィアは手に持っている資料について、尋ねることとした。
「リヒャルト様!」
「ソフィア!」
どうしてまたハモるのだ……。譲り合うのも面倒なので、ソフィアは話し始めた。
「年々、収穫高が下がっているのはなんでです?」
「それがわかったら、私も苦労しないよ。一昨年は白いカビが流行し、昨年は害虫が大量発生した」
「病害対策はどのような?」
「たぶん肥料を増やしたり、消毒をしたり……」
「土壌改良はしましたか? 休耕ですか、間作はさせてますか?」
「?? 言ってることがよくわからない……農業のことは農民に任せているから……」
「休耕というのは畑を休ませ、その間に土を肥えさせる方法です。で、間作というのは主要作物を収穫後、種類のちがう作物を育てるやり方です。リヒャルト様、今から訪ねるのはご自分の農地ですよね?」
「ああ、そうだが……」
「ご自分の管理下である農地の生産量が年々落ちている。それなのに、なんの対策もされないのはなぜです?」
リヒャルトは黙ってしまった。ソフィアは当然のことを言っているのだが、気まずい空気が流れる。よくよく考えたら、ここは異世界。前世の中世貴族も似たような感じだったと思い出し、ソフィアは我に返った。
「すみません、リヒャルト様……わたくし、出過ぎたことを申してしまいました」
「いいや、君の言うとおりだよ。今まで、なにも考えてこなかったのが恥ずかしい」
リヒャルトは肩を落とし、ションボリしている。これには既視感がある。新人のミスを責めるとこうなる。主任として、こういう対応はまずい。フォローせねば……ソフィアの脳内は前世に戻っていた。
「わたくしのほうこそ、申しわけありませんでした。そうですよね、農業のことなんか、わかりませんよね……。これから勉強すればいいのです」
「うん、反省するよ。それで、私のほうの話なんだが……」
リヒャルトの話はソフィアの苦手な方面だった。
そろそろ、招待されるばかりでなく、王城で夜会を開きたいことと結婚式の話だった。
(社交は苦手なのよ……。実家でも最低限の礼儀、マナーしか教えてもらってないし、なんとか逃げられないかしら……)
そして、トドメにはもっと最悪な話が待っていた。
「君の母国グーリンガムから、結婚式の招待状が届いていてね……君の妹と公爵令息の。二ヶ月後なんだが……」
「……行かなきゃダメ……ですかねぇ?」
「あと、我々の結婚式も決めないと」
しかし、こんな大赤字の経済状況下で結婚式はなんの意味があるのか。経済効果があるのなら、やってもいいが、習わしだからという理由なら、やらなくてもいいのではないかとソフィアは思った。国王が深刻な病なのだし、中止しても罰は当たらないはずだ。
……ということを、仕事モードのソフィアがそのまま伝えたところ、リヒャルトは呆然となった。
「いいの……? 君は、それで?」
「ええ。だって、わたくしたち政略結婚ですし、お金のない時に形だけの式を挙げても意味がないと思うのです」
「そうか……わかった。君は私を仕事のパートナーとしか、見てないんだね」
リヒャルトの顔色が悪いのは気のせいか。ソフィアは結婚式を中止にしてくれそうなので、ホッとした。この様子だと、交渉次第で夜会も回避が可能かもしれない。最後のひとかけらのパンを飲み込み、ソフィアは外を眺めた。
裸山が連なり、荒れ地の向こうに特徴的な黒い大地が広がっている。この風景はどこかで見た覚えがあった。
(もしかして……)
黒い耕作地の近くまで来て、ソフィアは馬車を停めさせた。
バタン! キャビンの扉を勢いよく開け、飛び降りる。ソフィアはリヒャルトを置いて走り出した。土地が荒れている理由がわかったのだ。
「ソフィア! どうしたんだ? 待ってくれ!」
入国時、馬車からチラッと見てはいたが、実際に立ってみると凄まじい寂寞感である。ソフィアはしゃがみ、黒くパサパサした土を手に取った。やはり、そうだ。間違いない。
「焼畑ですか?」
「あっ、ああ……そうだが……」
「これも農民任せですか?」
「陛下がまだお元気だったころ、宰相セルペンスの提案で貨幣税を一定量納めた農奴に国有地を与えた。農作物販売を自由競争させ、現物税から貨幣税に変えようとしたのだ。しかし、焼畑農業が横行し、土地は荒れ果ててしまった」
なんということだ。無理に近代化を進めようとしたため、失敗してしまったのだ。
「今は焼畑を禁止している。一度、荒れてしまった土地はなかなか元には戻せぬが……」
「焼畑自体が悪いわけではないです。充分な休耕期間を設けずに、次から次へと森林伐採をするのがいけないのです。焼畑後、作物が取れるのはせいぜい四年。その後、十年も二十年も土地を休ませなければいけません。森林が有り余っているならともかく、効率のいい農法とは言えないでしょう。ちなみに焼畑後はどのような利用を?」
「イモ類や麦、あとは牧草地にしたりしている」
「なるほど……牛は放牧しているのですか?」
「いや、放牧には広大な土地が必要だ。新たに森林を切り拓かないといけないから、牛舎で飼育している。牛舎も見学してみるかい?」
「お願いします」
牛舎の見学は冗談のつもりらしかった。ソフィアが即答すると、リヒャルトは銀の目を丸くした。