1話 婚約破棄
ソフィアは怒りと悲しみで震えた。それはもう、下品だと言われる赤毛が逆立つかってぐらい、全身に鳥肌を立てていた。
目の前で玉座に座り、カイゼル髭※をいじる中年は見てのとおり王様。ソフィアの父である。その父から告げられたのは、
「どうか、従兄弟のエドアルドとの結婚はあきらめてくれ。エドアルドはおまえの妹のルシアと結婚させる。二人はだいぶまえから愛し合っているのだ」
子供のころからの許嫁と結ばれる予定だったのが、突然の婚約破棄。しかも、妹と愛し合っている!? 強烈なパンチを食らって、グラグラしながら立ち上がったところ、ボディに痛烈な一撃が入ったに等しい。もう立ち上がれない──
父王が髭をファサファサ動かし、なにか言い訳じみたことを言っているのもソフィアには聞こえなかった。
公爵令息のエドアルド、通称エドはダークブロンドの碧眼、絵本から出てきたかのようなスタンダードな王子様である。そのイケメンがすでに決まっていたとはいえ、自分から「結婚しよう」と言ってくれた。指輪までくれたものだから、ソフィアは天にも昇る心地だったのに……雲の上から突き落とされた気分だ。
(あーー、信じるんじゃなかった……やっぱり、そーよね? そーなのよ! わたくしなんかが、イケメンと結婚できるわけがない!!)
そういえば、妹とエドアルドは幼いころから仲良しだった。内向的で堅物のソフィアは距離を置かれていたようにも思う。ソフィアは妹とちがい、身長だって高すぎるし、顔もそばかすだらけ。それに、この真っ赤な髪をバカにされるのは常であった。
父王の横でエドアルドと仲睦まじく腕を組み、ニヤニヤしている妹ルシアと目が合い、ソフィアは気づいた。金髪に青い目というエドと同じくスタンダードなお姫様スタイルのルシア。その美人な妹が得意げに左手を見せてきたのだ。指にキラリ光るものがある。間違いない。大きいダイヤのハマった指輪。あれは……
ソフィアがエドからプレゼントされた婚約指輪だ。痩せぎすなソフィアの指にはブカブカだったので、一旦エドに返した物だった。それが、今まさにクソ妹の指にはめられている。しかも、この妹ときたら、
「あーー、気づいちゃったぁ? これ、わたしの指にはピッタリだったみたい♪ ごめんなさいね、お姉様」
そんなことを言って、いちいち見せびらかしてくる。それって、指がわたくしより太いってことでは?……という突っ込みはともかく、負け犬の立場のソフィアは意地悪な妹の相手をしたくもないので黙っていた。
昔からそうだった。わがまま、甘え上手のルシアは人の物をなんでもほしがる。ソフィアの気に入っていたドレスも髪飾りもリボンも、全部奪われた。そのうえ、婚約者まで奪っていくとは……なんでも持っているのに飽きたらず、人の物まで奪おうとする欲望の権化。餓鬼だ。
申し訳なさそうにこちらを見るエドと目が合い、ソフィアは視線をそらした。エドの手はガッチリ、ルシアの腰を抱いている。ソフィアとは腕を組んでくれたことすらないというのに。
(どうせ、こうなるんなら、下手に気を持たせるようなことはしないでほしいわ)
優しい彼=優柔不断のダメ男だった。エドのキョトキョト動く青い目はその象徴とも言える。男は見た目ではない。優しさでもない。口先の甘い言葉に騙されてはいけない。つらい経験も成長できたと思えば、未来への糧となる。もう終わったことをクヨクヨするのはやめよう。ソフィアは自分に言い聞かせた。
自身の成長を確認できたので、ソフィアはとっとと、お暇したかったのだが、国王の話はまだ終わっていなかった。
「案ずるな。おまえは代わりに別のところへ嫁いでもらう」
この言葉はどん底に垂らされたクモの糸だった。みじめな赤毛の子でも幸せになる権利ぐらいはある。普段、ソフィアに無関心な父でも多少の親心を持っていたのだ。ふくよかな父がニコニコしていると信じたくもなる。腐っても第一王女。そこそこいい男をあてがわれるはずだ。
だが、見通しの甘かったことにすぐ気づかされることとなる。王はシレッと無情な言葉を吐いた。
「ソフィア、おまえには隣国リエーブ王国へ行ってもらう」
「は!?」
「そこの王弟と結婚してくれ、このとおりだ、頼む!」
(王様の弟? いったい何歳よ? それに隣国って、ついこの間まで戦争してたとこじゃないの?……え? もしかして人質!?)
ソフィアの目は泳ぐ。ルシアは逃げようとするソフィアの視線を追いかけてきた。
「お姉様、よかったわね! 王弟……公爵と結婚できるなんて! 隣国は戦争でボロボロらしいけど、悪運強いお姉様ならなんとかなると思いますわ……う、くくく……」
そんなことを言ってエドの腕に顔を押し付け、笑いをこらえる。エドもエドで、
「君にふさわしい相手が見つかってよかった。僕たちの結婚も祝福してくれると嬉しいな」
などと言ってくる。いや、あなたそれ本心で言っているの? 自分が裏切ったせいで、不幸になった人へ微笑んで「自分たちを祝福してほしい」って……突き飛ばして、転んだところに蹴りを入れるのと同じ行為よ?――ソフィアが目を見開いて凝視したので、エドは横を向いた。
「んもぉー、エドったら、そんなこと言ったらお姉様がかわいそうよ? なんでも隣国の王弟って、ゴリラみたいに大きくて髪も真っ白な奇人なんですって。いくらお姉様でも、お気の毒だと思うわ」
ルシアは巨乳をエドの腕に押し付けている。エドがデレデレしているのを見て、ソフィアはとうとう吹っ切れた。甘い望みは捨てよう。彼らに憐れみを求めたところで返ってくるのは嘲笑だろう。それならば堂々と隣国へ売られていこうではないか。白髪のゴリラの嫁だろうがなんだろうが、なってやる。
ほつれた赤い髪を耳にかける。この髪のせいでさんざん馬鹿にされてきた。珍しい髪色はこの国では侮蔑の対象だ。今までどんなに苦しめられてきたことか。ソフィアは玉座に座る父、妹ばかり可愛がるえこひいき髭オヤジをまっすぐ見据えると、
「良き相手を探してくださり、ありがとうございます」
と、深くおじぎをした。この可愛げのない態度が気にさわるのは知っている。父王の眉間に一本線が入った。表向きは温和だが父はソフィアを疎ましく思っている。そんなことは子供のころからわかりきっていたのだ。
「受けてくれるか? 隣国は寒く、食糧難だそうだから身体に気をつけてな。それと、相手の王弟は見た目が奇異なだけでなく、気難しく偏屈だと聞いている。くれぐれも怒らせないように。まあ、おまえも生真面目で堅苦しい性格だから、案外合うだろう」
おまえなら強いから大丈夫。守らなくて大丈夫。ゴキブリ並みの生命力だから大丈夫と、そう聞こえてしまうのは、これまでずっと続いてきた酷い扱いのせいだろう。
理不尽すぎる。停戦状態の貧乏な敵国に人質として嫁がされるなんて。もしも、ふたたび戦争になったら、わたくしはどうなるのですか?──という一言をソフィアは呑みこんだ。そんなこと、聞かなくてもわかりきっている。泣き言を表に出しても、余計傷つくだけだ。ここに味方はいない。表面だけ温和な父も優しいだけのダメ男エドアルドも、生まれながらの愛され美少女、妹ルシアの手下だ。
ソフィアは背を向け、凛とした姿勢で王の間を出ていった。肩を落とし、トボトボ歩き始めるのは彼らの視界の外へ出てからにする。ルシアの派手な笑い声が追いかけてきた。
「持参金なしって、それ本当ですの!? さすがにお姉様でもかわいそう!」
「仕方あるまい。敵国には一銭たりとも支払いたくないのだ」
「プッ……ククク……でも、お父様。よかったですわね、いい厄介払いができて」
ソフィアはルシアの高笑いから逃げようと走り出していた。
※カイゼル髭……先っぽがクルリンとした口ひげのこと。