第一話 修道院への道
馬車の揺れに身を任せながら窓の外を眺める。外には兵士達が馬車を囲むように歩いている。厚手の服にブーツ、ヘルメットと胸甲、背中には盾と揃いの装備を身に着けている。長距離を歩いてきたためだろうか冬の始まりを感じさせる肌寒さであるにも関わらず兵士の顔には薄っすらと汗が浮かんでいた。
『―――愛する我が聖女を暗殺しようとした罪でルシエラ、お前をアジール修道院へ追放する!!』
外を見る以外にする事がないためだろう、王子に追放を申し渡された時の事を思い出す。どんな理由があろうと暗殺を目論見、失敗したのだから追放自体はしかたがない。死刑にならなかったのだからむしろ温情だとすら思う。だから人里離れた修道院に隔離される事も、そこで尼になる事にも文句はない。だがアジール修道院だけは止めて欲しかった。
揺れに身を任せながらボーっと考え事を続ける。視線を感じたのだろうか、兵士と目が合う。私を修道院まで逃さないと同時に外敵から守るために彼らはいる。一応守ってもらっているのだからと思い、感謝を込めて微笑み軽く手を振ろうとする。が、手枷と鎖に阻まれうまく手を振る事に失敗する。その僅かな間に兵士は表情に嫌悪感を浮かべ露骨に目を逸らす。
嫌われているのだ。分かっていた事ではあるから驚きない。積極的に前線に赴き、傷付いた兵士達に癒やしの魔法を惜しげもなく使ってきた聖女は兵士達から絶大な支持を得ている。私はそんな崇敬されている聖女を殺そうとした憎むべき犯人なのだ。
兵士から視線を外し、さらに遠くへと視線を動かす。そこには雄大な山脈が広がっていた。しばらく前までは紅葉で彩られ華やかだったのだろうが、今は寂しい山肌を晒していた。今からあの巨大な山を登るのだ。そう思うと恐ろしさに身がすくみそうになる。
「水場に着いた!休憩だ!この先は魔獣山脈、峠の修道院まで駆け抜ける事になる!しっかり身体を休めておけ!」
山から滔々と流れている川に近付くと馬車を先導していた騎兵が大声で告げる。彼はこの集団の隊長だ。傷だらけだが良く磨き上げられた実用的な全身鎧と汚れもホツレもない新品同然の紋章付きのマントを身に纏っている。そんな隊長の言葉に応え、キビキビと兵士達が動き出す。一人は竈を作り、別の一人は水を汲み、さらに別の一人は周囲の警戒を始める。御者は馬車を停め、繋がれていた馬を水辺に連れて行く。事前に何をするのかは決まっていたのだろう。各自が迷いなくやるべき事を進めていく。
隊長はその様子に満足気に頷き、馬を部下に預け、こちらへと歩いて来る。馬車を警護をしている兵士が隊長へと敬礼を行う。隊長はそれにしっかりと答礼を返す。そして馬車のドアをおざなりに数回ノックし、返事も待たずにさっさとドアを開ける。
「ちょっと!レディの乗っている馬車に無礼ではありませんか!?」
向かいに座っていたミカが声を荒らげて抗議する。メガネを掛け小柄で大人しそうな見掛けをしているが、必要とあればどんな相手にでも食って掛かる芯の強さがミカにはある。そんな彼女だからこそ追放された私に付いてきてくれたのだし、今も私のために抗議してくれている。
「レディ?……おっと、王子と聖女様を殺そうとした犯罪者がレディとは気付きませんでしたな。偉大なるノウゼンハレン公爵家令嬢にして、ローラン王子の婚約者、未来の王妃である麗しきルシエラ様。
誠に、誠に申し訳ありませんでした。……おや全部『元』でしたかな?何せついこの間まで魔王軍との戦いで前線にいました物で世間知らずでしてね?」
「このっ……!」
「ミカ。それぐらいで。私は気にしていません」
含むところが大いにあるのであろう隊長が大仰な仕草で当てこすり、慇懃無礼に謝罪をする。そんな無礼極まりない態度の隊長をミカがひっぱたこうとする。とっさにミカを止めようと手を伸ばそうとするがやはり手枷に阻まれ、鎖をジャラりと鳴らすだけで終わってしまう。
「ルシエラ様、ですが!」
「ミカ、私が追放され身分を失った事はただの事実です。そこに思うところがないとは言いませんが恥じるような事はありません。私は聖女様に敗れたのです。……それよりも何か用があったからいらしたのではありませんか?」
それでもミカは納得できない様子で、言うべきセリフを探し、口を開けたり閉じたりした末にお仕着せ風の衣装にシワが付くことも構わずにボスンと座席に座る。未だに隊長の事を睨みつけてはいるがどうやら矛を収めてくれたようだ。
「……魔王を討伐してくださった聖女様を暗殺しようとした事に後悔はない、と?」
隊長は私の問いに答えず、絞り出すようにそう言う。先程までは余裕を持ってどこか楽しげに私を嘲笑っていたが、今は表情が消え、目だけが爛々と光っていた。その様子に今までとは違う本物の怒りを感じる。返答の仕方によっては本当に危ないかも知れない。その空気をミカも感じたのだろう。いつでも動けるように腰を僅かに浮かしており、その手はキツく握りしめられ微かに震えていた。
「――ありません」
それでも言い切る。自分はともかくミカをも危険に曝す行為だと分かっていても、私は正しいと信じる道を譲る事ができなかった。それができるのなら聖女を排除しなくては、などとは考えなかっただろうし、こんな事にところにいなかっただろう。
「今の世界は魔王がいる事を前提に均衡が保たれているのです。そのような状況で聖女様の仰るように魔王だけを倒す事は我が国を、世界を、混乱の渦に叩き落とす事です。私にはそれを認める事ができません」
「っ、だから戦友たちにこれからも死ね、と!?それは、……いえ、そうです。聖女様が魔王を討伐してくださった以上、あなたの望む未来は既に失われたのです。せいぜい修道院にて王子と聖女様の作られる魔王なき平和な世界を存分に眺めていてください!」
これからやって来る聖女様のもたらす平和な時代を世界の果てから歯噛みしながら見て悔しがっていろ、そんな意思が隊長の言葉からは感じられる。そこにやはり分かってもらえなかった、と忸怩たる思いを抱く。そして私の返答も待たず、乱暴にドアを閉め隊長は去っていく。
「ですから!レディの乗っている馬車に無礼です!!」
ミカが最後まで態度の悪い隊長に抗議する。先程までの険悪なやり取りの中でも、ずっと隊長の事を睨みつけていたミカがこちらを向く、その瞬間、お面を付け替えたかのようにそれまでの険しい表情など欠片もなくなり優しげで控えめな笑顔が表れる。
「ルシエラ様、気分直しにお茶でもいかがですか?」
「ふふふっ、ありがとう。ミカ、いただくわ」
手枷によってロクに動くことのできない私の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるミカの姿を横目に窓の外に視線を移す。
「休憩は終わりだ!アジール修道院まで駆け抜けるぞ!」
「はぁ……いえ、ハイ!了解しました!出発いたします!」
そこには機嫌の悪そうな隊長がおり、怒鳴るように出発の号令を掛けていた。予定よりも休憩時間が短かったのだろうか突然の指示に戸惑いながらもテキパキと兵士達は出立の用意を整えていく。
「私だって平和になれば良いと思っているのだけどね……」
溜め息を付き、これから向かうアジール修道院のある魔獣山脈の方を見やる。私は知っていた。隊長が望むような平和ではなく、大戦乱がこれから訪れる事を、アジール修道院が襲撃される事を、追放された悪役令嬢である私が死ぬ事を。
「やっぱり脱走しかないかしら……?」
「ルシエラ様、どうなさいました?」
「ちょっと未来の事を考えていたのよ」
ミカに礼を言い、お茶を受け取る。馬車という道具も限られた場所であるにも関わらず、城にいた時とそう変わりのないクオリティのお茶が用意できる事にはいつも驚かされる。ゆっくりとお茶の香りと味を楽しみながら考える。
幸か不幸か、前世の記憶を思い出し、この世界がとある乙女ゲーム、あるいはそれに限りなく近い世界であると気付いてしまった以上、私は悪役令嬢としての死の運命なんてモノを漫然と受け入れるつもりなどないのだから。
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