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 二人は白い家の前の道路に立っていた。日は既に暮れかけ、橙色をした空が街を包んでいた。乱北は特にどうするでもなく、『無表情』という表情を見せ、ポケットに手を突っ込んでいた。新巻はまだ先ほどの衝撃が抜けきっていないらしく、阿呆みたいに空を見つめていた。

「新巻君。…おい!聞いているのか」

「え、あ、はい」

「大丈夫か?」

「あ、はい、だい…いやいやいやいや、大丈夫じゃないですよ!何ですかあれ!ザ・心霊現象じゃないですか!とんでもない経験しちゃったじゃないですか!びっくらこきましたよ!」

 興奮して大声を出しながら迫る。乱北は鬱陶しそうな顔をして身を引いた。

「何だよ、うるさいなあ、突然大きな声を出すんじゃない」

「いやいやいやいや、そりゃ大きな声も出ますよ。だって…あれ!幽霊ですよ!幽霊!それにポルターガイスト!怖かったですよ!でもすごかった!こういう奴です、こういうのですよ!私が望んでたの!流石!流石は怪奇小説家!しかもさらっと除霊しちゃったじゃないですか!出来ないとか言って謙遜だったんですね、いやあ、呪文まで唱えちゃって…かっこいい!」

「おいおい、勘違いするんじゃない。僕は除霊なんてしていない」

「え?除霊じゃなかったんですか?」

「あの呪文や蝋燭はあくまでも『人間ならざる者』に会いやすく、見えやすくするだけの呪文だ。特別何かに働きかける効力はないよ」

「へえ…それじゃあ、まだ幽霊は退治していないんですか?」

「していないし、その必要はない。さっきはパニック状態になって少し危険だったが、基本的に害のない幽霊だ。もっとも、住人が心理的被害を負っているから早々に成仏させてあげた方がいいだろうけどね。お互いのために」

「はあ…で、どうやって成仏させるので?」

「とりあえず、場所を移動しようか」

「はい、どこにですか?」

「この白い家の向こう、川を挟んである小高い空き地だよ」


 その空き地は草もあまり生えていない荒涼とした場所であった。ザラザラとした硬質な土によって形作られ、そこらにある子供たちの遊ぶ公園と同じくらいの広さがあった。真上では新幹線が音を立てて高架橋を走っている。

「こんなとこじゃ静かに眠れないよなあ」

 乱北は上を見上げながら呟いた。

「さっきの家もですけど、大変ですよね、ここら辺の人たちは。こんなにうるさくっちゃあ、私は暮らせませんよ」

 途中でまた新幹線が通って大きな音がしたので、新巻の声はしっかりと乱北の耳に届かなかった。だが、言わんとしていることは理解していたようだ。

「どうだろうね、ここも、君の住んでいるところも、僕の住んでいるところも、大して変わらないと思うよ。この東京に住んでいる限りは、どこだって科学の手から逃れられはしないさ。それを別に悪いことだとも思わないけどね。僕は科学を信奉はせずとも信用している。発展結構、人間の思うがままにすればいいさ。そういう時代なんだからね」

 怪奇現象、という如何にも非科学的なものを扱う乱北がそう言うのは意外であった。新巻は興味深く乱北を見つめる。

「そんなものでしょうか」

「そんなものだよ。でも、『科学』を信じ込むことは『非科学』を信じないことと同意ではない。そこんところを取り違える奴が多い。『非科学』は人間の心そのものだよ。もしこの世の中から『非科学』が消え去って『科学』だけが残ったとしたら、それは人の心がなくなった時だ」

「はあ…よく分かりませんね」

「君も本を読みたまえ。怪しい本ばっかりじゃなくて、たまには学術書とかをね。まあ、そんなことはどうでもいい」

 そう言うとすっとポケットからスマートフォンを取り出した。

「これぞ正に科学の結晶。いつ何処にいても好きなだけ情報が手に入れられる。便利な時代だね全く。もっともこいつのせいで推理小説なんかもつまらなくなったけど。さて、新巻君、あの少女の名は何だったかな?」

 突然聞かれた新巻は慌てて、バッグにしまっていた手帳を探し始めた。

「え、あ、ちょっと待ってください。今出しますから…」

「『かつらぎしの』ちゃんだよ」

 乱北は元から期待をしていなかったとでも言うように無機質な声色で言った。

「あ…そうですっけ」

「家族構成は父親、母親、兄、ペット、多分犬だろう、これにしのちゃんを合わせた四人と一匹」

「それは何となく覚えてます」

「住まいは東京都のどこか。年は定かではないが五、六歳辺りと言っていた」

「ほとんど覚えてるじゃないですか、私がメモした意味あります?」

「念には念を。さて、それではこのスマートフォンを使って彼女について調べてみよう」

「幽霊をスマホで調べるんですか?」

「今では幽霊だがもとは普通の人間だよ。このスマートフォンには生きていた人間の痕跡が様々な形を取って残っている。全く有名ではない、ごく普通の人間だって写真やら名前やらがここには残っているんだ。それはそいつのSNSアカウントだったり、中学校や高校での部活の大会の入賞記録だったり、本人も忘れ去っている新聞社のインタビューだったりする。ましてや、事件の被害者や犯人は、半永久的にその名を残すだろうね」

「事件?」

「ほら、早速ヒットした。しかもつい最近の記事だね」

 乱北はスマートフォンの画面を新巻の方に向けた。目を見開いて覗き込む。また新幹線が通った。

 そこには次のような記事が書かれていた。


〈未解決事件〉東京都連続児童誘拐・殺人事件 十年経っても犯人捕まらず


 20〇〇年に起きた東京都連増児童誘拐・殺人事件が未解決のまま、十年が経とうとしている。一連の事件では児童三人の遺体[秋谷みつるちゃん(当時4歳)・丹波真知子ちゃん(当時4歳)・一条律樹ちゃん(当時7歳)]が発見、また、同一犯によると思われる誘拐事件の被害者二人[桂木志乃ちゃん(当時6歳)・幸田成人ちゃん(当時5歳)]が未だ行方が分からないでいる。

 事件の発端は同年四月二十一日、桂木志乃ちゃんの両親のもとに一通の手紙が来たことであった。そこには志乃ちゃんを殺害したという文面と共に彼女の靴が入れられていた。この時点で警察は本格的に捜査を始めなかったが、その後同月二十七日に丹波真知子ちゃん、二十九日に秋谷みつるちゃん、五月十五日に一条律樹ちゃん、六月七日に幸田成人ちゃんの家に同様の手紙が送られ、同月九日には真知子ちゃんの遺体が東京湾で発見された。

 その後の捜査によりみつるちゃん、律樹ちゃんの遺体は発見されたが、他の二人の遺体は未だ見つからず、犯人も捕まっていない。警察は引き続き協力を呼び掛けている。

 事件の情報提供先は×××‐×××‐××××。



「これって…その手に詳しい人には有名な未解決事件じゃないですか」

「そんな悪趣味の人間でなくとも言われれば思い出すと思うよ」

 スマートフォンの画面を消し、ポケットにしまった。乱北の顔は相変わらず無表情であるが、そこには相手を思わず委縮させるような厳しさがあるような気が、新巻にはした。

「何にしろ、彼女の正体が分かった。十年前の事件の被害者で、行方は未だ不明の桂木志乃ちゃん。年齢を聞かれてパニックになってたのはそう言う訳か」

「どういう訳ですか?」

「彼女が死んだのは六歳の時。彼女の肉体としての成長はそこで終わってる。でも魂はこの十年という時を確かに過ごしている。その矛盾が彼女を苦しめているんだ。それで見かけも子供の姿のままだったり、実際に成長したくらいの大きさになったりする」

「なるほど…」

「世界的にも死んだ人が成長するという考え方は広く存在してるしね。さて、そんな彼女があの白い家に幽霊となって出てるということは…」

「彼女の死体があの家に隠されてる…ってことですか?」

「惜しい。そうだとすると最近になってあの家の、それも二階にだけ出始めた理由がちょいと掴めない」

「じゃあどこに?」

「僕はここじゃないかと思う」

「ここって?」

「この空き地だよ。他の地面より一段高くなってるここ。このどこかに彼女の死体が埋まってる」

「…マジですか?」

「あっちを見てくれ」

 例の家の方を指さす。白い外壁が夕日に当たって、眩しくきらめいていた。

「この空き地の平面上になっている上面の部分、ほとんど地面と平行になってるだろ?」

「はい」

「この面をあの家の方まで伸ばしていくんだ。グングングングンと。するとだ。丁度、あの家の二階の床と同じ高さになっていると思わないか?」

「…なるほど言われてみれば」

「この空き地が彼女の、志乃ちゃんの唯一の世界だ。肉体は消え去り、魂だけが彷徨い出る。生きていた時の、なじみ深い地上へと繰り出した彼女が足をつけたのはこの空き地だ。本当なら自分の家に帰りたかったと思う。だが悲しいかな、彼女はこの空き地から抜け出せなかったんだ。所謂…」

「地縛霊…」

「That’s right.だからこの空き地には十年前からずっと彼女の霊がいたはずだ。ネットで調べても出てこないし、あの女性も知らなかったようだから、ほとんど誰も気づかなかったようだけどね」

「そんなことってありますかね?」

「十分にあると思うよ。人間って意外と周りを見ていないもんさ。この空き地はもう見放された土地みたいだしね」

 乱北はまた少しだけ高架橋を見上げた。

「それでだ、十年間この轟音の下で(まあひょっとしたら高架橋が出来たのは最近なのかもしれないけど)ずっと孤独に打ちひしがれていた志乃ちゃんは、つい最近、その視界のうちにあるものを発見した。それがあの家」

「でも、あの家は随分前からあるんじゃ…」

「外壁を替えたって言ってたろ?あの通り真っ白に」

「それ、私聞いてません」

「もたもたしてた君が悪い。とにもかくにも彼女は突如として現れた白い家に興奮した。彼女は白い服を着ていたし、白が好きだと言っていた。もちろん、いくら自分が好きな色だからと言ってそこまで反応を示すかどうかは甚だ疑わしいかもしれんが、それは僕たちがこうして生きているから言えることだ。六歳という純粋で何の罪もない年ごろにその命を絶たれ、時間を失い、自分の身に一体何が起こったのかを理解できず、孤独のままに十年間を過ごした少女にとって、自分が好きだった『色』、母親が買ってくれた服と同じ、無垢な『真っ白』な『色』がどんな意味を持っていたかは、想像できるものじゃない。見てくれ、奇妙なことにこの空き地から見える家は、全て外壁が白くないんだ」

 確かに、川沿いに建てられた家々の外壁は、見事に例の家以外が『白』以外の色彩を用いていた。決してカラフルさはないが、様々な色を放つ家々の並びは少し異様ですらあった。

「志乃ちゃんはあの白い家に惹かれた。とは言え、普通であれば近づくことは出来ない。彼女はこの空き地から出られないようになってたからね。だが、ちょっとした奇跡が起きた。彼女の世界である空き地の標高と、あの家の二階の標高が一致したんだ。『白』という色と、標高の一致…多分どっちかだけじゃ成り立たなかったんだろうね。十年間の時を経て、志乃ちゃんは遂にその世界を広げることが出来た。何か、特別な、本能的な力が働いて」

 乱北の言葉を聞き、新巻は白い家の方に視線を向けた。それは普通の、ごくごく普通の、何の変哲もない家。真っ白な色をした、どこにでもあるような、二階建ての家。自分の目には何の意味も持たない。他の家と同様に街の一部としてあって、大して変わり映えのしない、家族の人生が絶え間なく続けられている家。当たり前の光景の中にある当たり前の人間たち。それが志乃の目にはどう映ったというのだろう?何を思ったのだろう?いや、あの家だけではない。この空き地、彼女の死体が眠っていると思われるこの場所から見える景色に、何を感じ、何を描いたのだろう。何気ない、どこにでもある世界の一部を、どんな風に見たのだろう?

「…それで、これから志乃ちゃんのし…志乃ちゃんを探すんですか?」

 乱北は手をひらひらと振った。

「いくら何でもこの広さを二人がかりでは無理がある。本当はもう一回彼女を呼び出して確認しようと思ったんだが、ここでやるとあれにも影響が出るかもしれないから止めておこう」

 そう言って高架橋を指さす。

「じゃあどうするんですか?」

「安心してくれ。丁度僕には刑事の知り合いがいる。彼に頼んで一帯を捜索してもらうことにしよう」

「刑事に知り合い!何だかドラマみたいですね!」

 それには何も答えず、乱北は既に空き地を後にしようとしていた。その後ろ姿が新巻にはどことなくクールに見えた。

「ちょっと待ってください!」

 走って追っかけようとしたが、ふと足を止めて辺りを見回す。何も見えない。雑草以外には何もない砂地。すぐ近くには人々の暮らしで溢れた団地や高架橋があるにも関わらず、生き物の気配が一つとして感じられない。ひょっとしたら、東京にも忘れ去られたフロンティアがまだ幾つも存在しているのではないか?何にしても、永眠の地としては五月蠅すぎるのに、寂しすぎる。

「あと少しだからね」

 新巻は乱北を追って走り出した。

 日は既に暮れて、闇が街を包み始めていた。

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