3.sour
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次の日、「いってきます」の言葉と同時にあたしは目を覚ました。
まだ眠い目を擦りながら時計を確認すると、いつも起きる時間と変わりはない。
準備をして下に降りていくと、ソーセージの焼ける良い匂いがして、またしてもママはご機嫌だ。
「…もしかして、もう楓行ったの?」
「あ、おはよう。千夜。
楓くんも大変よね、先生に朝早くから用事頼まれてたみたいで千夜より先に行くって。千夜には言ってあるから心配しないでって言ってたけど、起きてきて良かったわ。遅刻しないで行きなさいよ」
そう言いながら、ママはキッチンに姿を消した。
聞いてない。
そんなのなんにも聞いてないんですけど。
あたしはママの言葉に昨日の怒った楓の顔を思い出す。
ー明日から距離置くからー
昨日の夕飯も結局うちでは食べなかったし、
あたしが楓離れするって言ったから?
それで突然に?
あたしの事たださけてるだけじゃない?
あたしはご飯を無言で食べると、支度を済ませて家を出た。
1人で歩く道は、なんだか広いし、駅までってこんなに長かったっけ?
電車に乗るのがこんなに楽しくないなんて。
でも、慣れなくちゃ。
楓がいなくても、あたし1人でなんとか出来るようにならなきゃ。
ため息と同時に学校に着いたあたしは、教室に入ると深く椅子に座り込んだ。
「おはよう、千夜ちゃん。どうしたの?元気ない?」
あたしが沈んでいる様子を見つけて、沙良ちゃんが、駆け寄ってきてくれる。
「あ、おはよう。大丈夫だよっ、気にしないで」
あたしは焦って顔を上げると、笑ってみせた。
なんとか課題はこなせるものの、やっぱり授業で習う新しいことがなかなか頭に入ってこなくて、集中が切れる度に楓の怒った顔を思い出してしまう。
すぐ隣の教室にいるはずなのに、会わないと思えば会わずに済むんだ。
それってなんか、寂しい。
授業が終わってお昼休み、沙良ちゃんに誘われてあたしは学食に来ていた。
「今日は一緒じゃないのね、楓くん」
無意識にあたしがキョロキョロとしているから、沙良ちゃんがそう言いながら、あたしの分のトレーを差し出してくれて、あたしはそれを受け取った。
「どーしたの?あんなにずっと一緒だって言ってたのに、突然。何かあったよね?あたしでよければ話聞くよ。この前はあたしが話聞いてもらったし」
沙良ちゃんはそう言って注文したランチセットを受け取ると、先に席を探して座って待っててくれた。
あたしも同じくランチセットを運んで、沙良ちゃんの隣に座った。
外は予報通りに雲が広がってどんよりと曇り空になってきた。
「…楓がね、自立する為にってバイトを始めたんだけど、だったらあたしも楓を頼っていられないと思って、楓離れするって言ったんだよ。
そしたら、なんでか楓怒っちゃって。バイト先も教えてくれないし、そのあとはあたしの事避けるような行動とるし、意味がわからなくて」
あたしは「…はぁ」と深いため息をつきつつ、サラダのブロッコリーをフォークで刺して口へ運んだ。
「んー…何か他に怒らせるような事言わなかった?」
「え…」
沙良ちゃんの問いかけに、あたしは頭の中で今までを振り返ってみるけど、浮かぶのは楓の笑顔とかチョコレートケーキとかで、最後に怒った楓の顔がまた浮かんできて、首を振った。
「分からない…」
「…そっか」
あたしがまたため息をつくと、沙良ちゃんは静かにそう言って、ランチを食べ始めた。
外はシトシトと雨が降り始める。
午後からは本格的な雨になってきて、あたしは教室の窓から外を眺めていた。
「千夜ー!」
不意にそう呼ばれて、あたしは楓だと思って振り返ると、ズカズカと圭次一人が教室に入ってきて、あたしの席に座った。
「おまえ、楓となんかあっただろ?
朝早くからモーニングコールはくるわ、すぐ学校に来いって言われるわ、かと言って別になんも面白い事もないし、昼は沙良ちゃんに会いに行こうとしたら止められて、なぜか教室で弁当だし」
お弁当?
あたしは今朝のママのご機嫌が良かったことを思い出した。ママは楓に頼りにされるのが一番嬉しいんだ。
あたしの分はなかったんですけど?
「なにより、千夜が全然楓に絡んでこないなんて気持ち悪すぎだろ!どーした?」
一方的に喋り続ける圭次は、最後は呆れたようにあたしに問いかけてくる。
そりゃ、これまで一日だって楓と会わないなんて日はなかったから、あたしだって今日一日が宙に浮いてるんじゃないかってくらいにふわふわして、よく分からなかった。
「楓が勝手にあたしから距離を置くって言ったんだよ。昨日の午後から全然会ってないし、あたしだってなんか…変な感じなんだよ」
教室にはもう残っている生徒はいなくて、あたしがそう呟くように言うと、圭次はしばらくびっくりした顔をしていた。
「…マジで、楓がそう言ったのか?」
いつものトーンからかなり低いテンションで圭次はそう言うから、あたしは頷いた。
「どーしたいんだよ、楓は」
そう言って立ち上がると、圭次は出口に向かう。
それと同時に沙良ちゃんが教室に入ってくる。
「あー!沙良ちゃん!!
会いたかったよー!今日は会わないで終わるかと思ったー!で、俺と「ごめんなさい」」
圭次が言い終わる前に、沙良ちゃんは頭を深々下げてそう言った。
「俺、まだ何も…」
シクシクと悲しむ圭次に沙良ちゃんは笑った。
「良かった、まだ居て。これね、楓くんが千夜ちゃんにって」
そう言って差し出してくれたのは、楓がいつも持ち歩いている折りたたみ傘だった。
もちろん天気予報など見ていないあたしは傘も持たずに学校へ来ていた。
「なに!楓のやつ、俺より先に沙良ちゃんと会ってたのか!くそー!しかも用事頼むなんざ厚かましい」
「ううん、あたしが声をかけたの」
あたしと圭次はその言葉に驚いて沙良ちゃんを見た。
「千夜ちゃんは気づいてなかったかもしれないけど、さっき教室の外に楓くんが来てて。千夜ちゃんを呼ぶでもなく、入ってくるわけでもなくして行っちゃったから、あたし、追いかけて話してきたの」
沙良ちゃんはそう言うと、傘をあたしに手渡してくれた。
「楓くん、ケジメをつけたいって言ってたよ。
距離置くなんて言っても、こうやってちゃんと千夜ちゃんの事気遣ってくれるなんて、ほんと羨ましいよ」
沙良ちゃんがそう言って微笑むと、あたしは胸の奥がチクっと痛んだ気がした。
「ケジメって、なんだよ。あいつ自分に厳しすぎだろ。千夜にはほんっとに甘すぎるし。距離置くならほっときゃいーのに」
圭次は折りたたみ傘を見ながらそう言うと、立ち上がって廊下の方に歩き出す。
「沙良ちゃんは傘あんの?」
「え、あたし?ちゃんとあるから大丈夫」
振り向き様に圭次が沙良ちゃんに聞くと、カバンから傘を取り出す沙良ちゃんに、圭次はにやりとした。
「やった、駅まで入れてくんない?」
外の雨はより一層強さを増していて、走って行ったとしてもずぶ濡れ確定な程になっていた。
すかさずそう言って頭を下げる圭次に、沙良ちゃんも少し困った後に、しょうがないなぁと、快諾した。
あたしは楓の傘を見つめる。
あたしは、いつも楓に助けられていて、
やっぱり自立したい楓の負担になっているんじゃないかな。
楓が、あたしのことを本当に気にしないで過ごせる日なんて来るのかな。
あたしがいないとダメだなんて、嘘だよ。
あたしは、楓の重荷になんてなりたくない。
「帰ろう、千夜ちゃん」
沙良ちゃんにそう言われて、あたしは浮かれる圭次と一緒に教室を出た。