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ミナ  作者: 嘉多野光
20/33

三の八

 しかし、安泰の日々とはそう長く続くものではない。ほぼ休みなく早朝から深夜まで働いた父は、過労のために早くにこの世を去った。私が中学生に上がる前のことだった。次いで祖母も、私が中学二年生のときに亡くなった。

 母は一変して美波荘を一人で負うこととなった。さすがに母がつらそうな様子を見て、自分も手伝うと申し出たこともあったが「子どもの仕事は勉強や。義務教育なら、尚更や」と言って、決して手伝わせようとはしなかった。

 そんな母と最初に大喧嘩をしたのは高校二年生になった頃だった。

 私は(BLを書くために)東京の大学に進学するつもりで、卒業後も旅館を継ぐという考えは頭になかった。一方、母は私が高校卒業後か、専門学校や大学で観光業を学んで若女将になって経験を積むとばかり考えていた。それで、学校に提出する進路希望の紙に何と書くかで大いにもめたのだった。私が観光に関係ない大学名を書こうとしたら母がプリントを破ったので、後ろからセロテープで貼って提出したほどだった。

 半ば家出をする形で私は上京した。家にはそこそこ貯金はあったはずだが、母は「旅館を継ぐ気がないなら仕送りしない」と宣言し、あろうことか本当に実行した。困窮を極めた私は、大学在学中には一度も帰省しなかった。楽しそうに長期休みに帰省する上京組の友人を見ては恨めしく思った。でも仕送りどころか、ろくに連絡も寄越さなかった母も大概だろう。

 大学を卒業すると、私はさらに苦労して大学院に進学することにした。なぜ金に余裕がないくせに大学院にまで進学したのかと言えば、母に「私は旅館を継ぐ気はありません」と言う姿勢を示すためだった。

 旅館を継ぐ気がないのは、接客業が苦手とか故郷で骨を埋めるのが嫌だとか細々とした理由は山ほどあるが、一番は血の繋がった子どもだから継がないといけないという風潮が嫌いだからだ。小さいながらも美波荘を愛してくれる人は従業員でもお客様でもたくさんいるし、旅館業に関係ない家に生まれたけど女将になるのが夢な人もいるはずだ。そういう、心からやりたい人がなるべきなのだ。旅館業を愛していない私が継いだら、一番悲しい思いをさせるのは旅館であり、お客様だ。

 大学院も卒業して現職に就職して二年目、初めて帰省することにした。八年振りに母に会うのは荷が重かったが、意固地な母からも連絡が一切来ないので、継ぐ気がないなりにも子どもとして旅館の様子が気になっていたのだ。旅館で長年働いてくれている従業員のおじさんやおばさんにも会いたかった。

 母に連絡する気が起きなかったので、お盆休みに弾丸で実家に帰省した。お盆休みは旅館の稼ぎ時の季節でもあるから、母とあまり顔を合わさなくて済むという算段だった。

 夏季休暇二日目の夕方、家に着いた。しかし旅館の前に着くと、さすがに旅館の子どもなだけあって異変を感じた。この時期は連日満員で当たり前で、実際に他の旅館は盛況な様子だったが、うちの旅館だけやけに人気がなかった。庭は辛うじて小綺麗にされているが、夏なのに、八年前に出て行ったときより飾り気がないように感じる。庭の手入れをする余裕がなくなったということか。

「ただいま」

 引き戸を開けてもフロントには誰もいなかった。厨房からも人の気配を感じない。この時間なら料理長さんを中心として調理をしているはずなのに。

 しばらくして「遅れて申し訳ありません」と言いながら、奥から割烹着を着た母がやって来た。

 私は上京する前に母が割烹着を着た姿を見たことはほとんどなかった。料理は料理長さんにお任せした方が必ず美味しいからという理由で、母はあまり厨房に立たなかったのだ。

「え、海波け? 何しに来たん」

 私を視認した途端、母は口をへの字にした。母が私を見て機嫌を悪くしたのは、このときが初めてだったかもしれない。

「お盆休みやから帰省したんや。文句あんのけ」

「おお、東京行くとそんなに口が悪くなるんか。おお、恐ろしい」身を悶えるような素振りを見せて母は厨房に戻っていった。

 私は母を追いかけて厨房に入って「何でおかんが料理しとるん? 相良さんたちは?」と訊いた。相良さんは料理長のことだ。

「あー、辞めてもらった」刺身を切りながら母は答えた。

「辞めてもらった? どういうことやねん」

「だってアンタ美波荘継ぐ気ないやろ。せやのに皆さんに働き続けてもらうのは申し訳ない。まだ再就職先がある年齢のうちに、別の旅館に行ってもらおう思てん」

 母は、最初に私を見たときより淡々と説明した。が、むしろそれに私は腹が立った。何でそんな重要なことを一人で決めたのか。

「そんなことまでせんでも、もっと他にやり方があるやろ」

「せやかて、アンタが悪いんやで」刺身を皿に盛りながら母が言った。意外と慣れた手つきだった。一応、大昔に調理師学校を出ていたからだろうか。「アンタが継いでくれたら従業員手放さんでもよかったんや」

「だから私は女将をやりたいって人がやればいいって言うとるやろ! 筧さんとか、仕事大好きやったやないか」

 筧さんは仲居さんだった。大手ホテルで長年勤務を経験した後に「お客様の人数が限られたとしても、身の丈に合った質の高いサービスを丁寧に提供したい」と言ってウチに転職してくれた人だった。

「次期女将は私の子どもやないと!」

「おかんかて、おばあちゃんの子どもやないやないか!」

「それは関係あらへん!」

「もう、おかんの言うてることが分からん!」

 私はそう叫んで自分の部屋に走っていった。

 後に相良さんから聞いたことだが、母は私が大学院に進学した年に、私が本気で旅館を継ぐ気がないと判断して、従業員を転職させ、経営規模を大幅に縮小することを決めたらしい。

 それから、二、三年に一度は帰省するようにした。目的は旅館の様子の確認と父と祖母の墓参りのためであって、ろくに母と話すことはなかった。

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