一の二
しかしながら、私が退職して三ヶ月近く経った今もなお谷口課長のことが気にかかっているのは、体調面もあるが、何より課長と私は運命的な縁があるような気がしてならないからだ。
まず、私と課長の下の名前が一緒なのだ。私が新井実奈で、課長の名前は谷口海波。しかも、それだけではない。私と谷口課長の誕生日は、共に十月十日生まれだ。
名前が一緒なのは入社時にはもちろん周知の事実だったが、誕生日までも一緒であると判明したのは、約三年前に行われた私の歓迎会でのことだった。馬場さんが「明日、谷口課長の誕生日ですよねえ。おめでとうございます」と口にした。
「ああ、うん、ありがとう」
「課長、おいくつになられるんですかー?」
「えーと」
谷口課長はつらそうな様子だけではなく、そもそも喜怒哀楽そのものをあまり見せないクールな人だが、そのときも馬場さんにデリカシーのない質問をされても微笑んではいたものの、私には何となく嫌そうなのが分かった(年齢を訊かれて嬉しい成人など、ほとんど存在しないと思うが)。そこで話を逸らそうとして私は「偶然ですね! 私も明日誕生日なんですよ。二十五歳になります」と口を挟んだのだ。なお、私は海外の大学院を卒業しているので、十月入社だった。
「うっそー、名前だけじゃなくて誕生日も一緒とか、運命感じる!」馬場さんは手を叩いて軽率に笑った。
「本当ですよね」
直観で馬場さんとはあまり話したくないな、と思いながら私はグラスを手に取ったが、中身が空になっていた。中身の残っているビール瓶はどこだろうと思ってテーブルを見渡していると、左横に座っていた谷口課長が、私が左手に持っていたグラスにビールを注いだ。
「わっ、すみません、自分でやります」
「いいの、明日誕生日なんでしょう? おめでとう。そして入社も改めておめでとう。これから一緒に頑張ろうね」と言うと谷口課長はすっと私の左耳に口を寄せて「話逸らしてくれてありがとうね」と呟いた。
「ふえ」
耳に息を吹きかけられるのが苦手な私は、気の抜けた声を出して谷口課長の方を振り向くと、課長は小首をかしげて微笑んだ。私より十歳以上年上なはずなのに、可愛い人だなと思った。
「課長も空ですね、ビール飲まれますか」
「ううん、私アルコール苦手だから大丈夫」
谷口課長はそつなくウェイターを呼ぶと烏龍茶を注文した。学生時代、サークルもゼミもとにかく飲み会を意識して避けてきたコミュ障の私には、歓迎会で気の利いたことなど何も出来なかった。
そんな昔のことを思い出しながら、飯島くんに『課長が休むなんて、いよいよPM課もやばいね』と返信した。すぐに既読マークが付いた。仕事しろよ。




