三の三
翌日はいつも通り登校した。しかし、教室に足を踏み入れるとクラスメイトからの視線を痛いほど感じた。今考えてみれば、教室に入った瞬間こそクラスメイトからじろじろと見られたかもしれないが、日がな一日原稿用紙に張り付いている地味なクラスメイトがBL小説を書いていたと知ったところで「まあ、そんなところだろ」とまったく想定の範囲内のことで、誰も気にしていなかっただろう。
しかし自意識過剰だった当時の私には、周りにいる人すべてから鋭い侮蔑の視線を向けられているようにしか思えなかった。クラスメイトだけではない。先生、街を行き交う人、家族。私が同人誌を書いていることを以前から知っていた文芸部員でさえ敵に思えた。
結局、その即売会では原稿を落とした。
それからずっと小説を書くことはなかった。文芸部でも読む専門になった。
そう思うと、書くのを再開するのに、実に二十年以上かかったのか。今となってはどうってことなかったように思うが、当時はそれだけ自分の心は傷ついていたということだろう。
どうってことないのなら、なぜBLを読んだり書いたりすることを今まで周りにひた隠しにしてきたのだろう。なぜ新井さんにあんな態度を取ってしまったのだろう。どうってことないなら、オープンにして堂々と構えていれば良かったではないか。そもそも新井さんは私の小説を褒めてくれていたではないか。
いいんだ。私、BL書いていいんだ。
気付くと右目から涙が一筋流れていた。きっとこれは新井さんへの感謝の涙なんだ。新井さんの荒治療のおかげで、何十年前のトラウマをようやく完全に克服することができた。早く家に帰って新井さんに謝って、そして感謝しなければなるまい。そして、マンガ原作としての使用許可も出さないと。
心がすっきりした私は意気揚々と家に戻った。
「いやあ、ごめんね新井さん」と言いながらリビングのドアを開けた。しかし、部屋から新井さんの声が返ってくることはなかった。ここ二カ月ほどの二人での共同生活が嘘だったように部屋中が静まりかえっていた。人の気配がまるでない。
「新井さーん?」
私に怒られてふてくされて寝ているのかと思ったが、ベッドにも姿がない。念のため布団を剥がしてみたが、中に潜っているわけでもなかった。怒られたことを忘れようと風呂で温まっているのかとも思ったが、洗面所から音もしない。まさかと思って私の部屋も確認したが、もちろん誰もいない。
どうしたのだろうと思いながらリビングに戻ると、あることに気付いた。新井さんのベッドは下が引き出しになっていて、そこに服を収納しているのだが、いつもはきっちり締まっている引き出しが少し開いていた。さすがに中を物色するのは失礼だと思うので、漁るのはやめたが。
改めて新井さんの机の上を見てみると、新井さんが描いたネームが置かれていた。パラパラと捲ると、確かに私の書いた小説をもとにして描かれていた。私が数週間前に書き上げた高校の演劇部を舞台にしたものだ。BL「風味」にとどめて、青春群像劇の側面が強めになるように意識して書いた作品だ。
マンガの中の久保田と坂口は、私が頭の中でイメージしたものよりもキャラが強く鮮明になっていた。高校の廊下や大道具の描写も、ネームなのに温かみや部員の熱意を感じる。むしろこのマンガを読んでから小説を書きたいくらいだった。
このマンガをちゃんと描き上げたなら読みたい。早く読ませて欲しいと思いながら、私は自分のスマートフォンを確認した。十分ほど前に新井さんからメッセージが届いていた。
『本当にごめんなさい』