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ミナ  作者: 嘉多野光
11/33

二の五

***


 三週間後、私は人生初のオリジナル(違うか)BLマンガを完成させた。

 描いている途中、何度か谷口課長に「ちょっと見せてよ」と言われたことがあったが「今回はダメです~」などと茶化して、何でもなさそうな雰囲気を出しつつも徹底的に覗き見を阻止した。この前のように背後を取られてマンガを奪い取られないようにしながら、締め切りに間に合わせるように作業に集中するのは、想像より骨が折れる仕事だった。

 谷口課長の作った話をパクってマンガにしているのだから、課長にこのマンガを見せられるわけがなかった。あまり課長もしつこい人ではないので二、三度断ったらそっとしておいてくれるようになったのが不幸中の幸いだった。

 とはいえ、描いているうちに次第にペンの進みが重くなっていった。やる気が出ないとか、エピソードの間を二コマ三コマ戦法以外でどうやって埋めればよいのか分からないということではない。原因は言うまでもなく、他人のアイデアをパクった罪悪感だった。

 万が一このマンガが評価されたら、BLマンガ雑誌に掲載されたり、単行本として出版されたりする可能性も零ではない。そこでアイデアをパクったことが発覚すれば利権問題に発展するだろう。そうなれば、谷口課長にこの家に置いてもらえないだけでは済まない。谷口課長からも出版社からも訴訟を起こされれば、圧倒的にアイデアをパクった私が千パーセント悪い。弁論の余地がない。そう思うと、描いたところで投稿できないのではないかという恐怖に苛まれていたのだ。

 しかし、締め切りは容赦なく刻一刻と迫ってくる。別に、今月の締め切りが過ぎたら来月の締め切りまでに送ればいいことなのだが、期限が一ヶ月先になったところで別のアイデアが湧いて来る自信も毛ほどもない。マンガ家になりたいと散々言ってきたくせに、今まで絞り出した着想から描いたマンガは、どの賞にも公募にも引っ掛からなかった。アイデアはとうに枯渇していたし、才能のなさを自覚するには負の実績を十分過ぎるほど積んでいた。

 締め切りの四日前、私は谷口課長にマンガのことを打ち明けようと決意した。このデータをCD-ROMに焼いて出版社に郵送するとなると、締め切り四日前が郵送締め切りギリギリだと思われた。

 実のところ、マンガはさらにその三日前には完成していた。そのときから告白しようと思っていたのだが、谷口課長が純粋に小説を執筆している姿を見ると、なかなか一歩を踏み出せずに、あっという間に三日が過ぎていたのであった。どういう生活を送ればあんなにアイデアが溢れ出て来るのだろう。

 ええい、問題は隠していても仕方ないということは何度も経験しただろう。発覚するのが後になればなるほど肥大して取り返しの付かないことになると、前職で谷口課長から教えられていたではないか。言うことに意味がある。結果は後から着いてくる。よし。

 夕食後、食洗機に食器をセットして私はダイニングテーブルの方を振り向いた。相変わらず谷口課長は今日も一日中パソコンをカタカタ言わせていた。このペースで書いているなら、あのとき読んだ小説は、もうとっくに書き上げているだろう。

 そう言えば、書き上げた小説はどうしているのだろう。公募に出しているのか。ウェブで公開するのか。同人誌で販売するのか。いずれにしてもバリキャリのスーツ姿だった頃からはイメージできない。尤も、今となってはもこもこルームウェア姿が見慣れてしまって、バリキャリだった頃が遠い昔の話に思える。

 こちらの視線に気付いたのか、谷口課長が振り返って「ありがとねー」と言った。住まわせてもらっている以上、家事は基本的に引き受けないと割に合わないから頑張ってこなしているが、課長は私が家事を行うと都度お礼を言ってくれる。

「課長、ちょっと話がありまして。今いいですか」

「もう、いい加減『課長』ってのやめてよ。『谷口さん』とかでいいから」と微笑みながら課長はパソコンを閉じて空いている席を手で示した。「どうぞ」

 私は目をぱちくりさせながら席に着いた。手汗が止まらない。

「どうしたの? やっぱり働くことにしたとか? あ、もしかして、連載決まったとか!?」

「いや、そんなんではないです。一つ、課長に、いや谷口さんに言わなきゃいけないことがありまして」

「うん?」

 谷口さんが純粋な眼差しを私に向けた。私は一つ、大きく腹式呼吸をした。

「谷口さんの書いている小説を読んでマンガを描いちゃいました、すみません!」

 一息で言い切ると、どうすればいいか分からなくなった私は席を立って土下座した。谷口さんにする、二度目の土下座だ。会社では一度もしたことなどなかったのに、マンガ関連のことで追い込まれれば私はどうやら軽く土下座が出来てしまうようだ。

「え?」谷口さんも動揺を隠せないのか、土下座を辞めるよう言うのすら忘れている。「どういうこと?」

「谷口さん、毎日パソコンに向かって作業されているの、それ小説書いてるんですよね? この前、谷口さんが席を立たれている間に、出来心でちょっと盗み見てしまいまして、でもそれがすごく面白かったもので、ついそれを元にマンガを描いてしまいまして……すみません!」

「読んだの?」

 怖くて谷口さんの顔を見られなかった。声はわずかに震えているようだった。怒っているのか、泣いているのかまでは判別できない。

「ほんのちょっとだけ、です」意味のない言い訳をしながら、恐る恐る私は少しだけ顔を上げた。「私のマンガ、読みます?」

「いや、いい」

 消え入る声で呟いた谷口さんは、顔どころか耳や首まで真っ赤だった。全身わなないている。やってしまったのかもしれない。いや、あのポーカーフェイスの谷口さんをここまで追い込んだということは、どう考えてもやってしまったことは明白だ。認めろ自分。

 会社でもなかったくらい、かつてないほどに修羅場っているのに、私はびくびくしながら「で、そのマンガ、今度の賞に応募しても良いですか?」と訊いた。

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