二の四
舞台は高校の演劇部。創設して一年しか経っておらず、部員はたったの四名。その中で、自分の書く物語が世界一面白いと信じ込んで入部した脚本家志望の一年生・久保田と、部長で演出家担当の三年生・坂口が出会う。
久保田が部活で最初に書いた脚本を坂口が「どこにでもある、つまらない話」と酷評。まずはこれを見てエンタメを学べと坂口に様々な名作映画のDVDを渡された久保田は、最初こそ坂口を忌み嫌っていたものの、徐々に坂口の見る目のよさを感じ、また観た映画の感想を議論し合うことで親交を深めていく。
夏休み明けの文化祭で、二人はタッグを組むこととなる。この公演を終えれば坂口を含む三年生は引退。しかし二人は互いに熱い気持ちがある故に、毎日衝突を繰り返す。そのギスギスした雰囲気は演者にも伝わり、次第に二人の元を離れていく。二人の作る演劇は壊滅危機に瀕する。果たして演劇は成功するのか、そして二人の関係はどうなるのか――。
「何これ、めっちゃいいじゃん」
ざっと読んだところで私は無意識に声を発してしまった。久保田と坂口の二人きりのシーンの描写から察するに、どうやらBLのようだが(坂口がゲイで受けだった)、いわゆる肌色注意な感じもしない。演劇を通したBL風味の青春群像劇と表現する方が適切かもしれない。
水の流れる音が止んで、私は顔を上げた。まずい、谷口課長が戻ってくる。慌てて最初に目にした辺りまで画面を戻した。こんなことになるなら、読む前に印でも付けるなり、行数を覚えておくなりするべきだった。多分この辺りだった気がするが、バレたらバレたで仕方ない。いや、これで同居開始早々契約解消ということになったら仕方なくない。
キッチンに戻って麦茶の入ったボトルを冷蔵庫に仕舞っているところに、谷口課長が戻ってきた。
「はあー、すっきりした」
コンタクトレンズを外した谷口課長は鼈甲の眼鏡を掛けていた。この姿はたまに会社で見たことがある。安物に囲まれて生きてきた私には、百円ショップや安い雑貨屋さんに売っている鼈甲もどきの眼鏡と区別が付かないが、課長のことだからきっと高級品の眼鏡に違いない。
さっぱりした顔つきで谷口課長は椅子に戻り執筆作業を再開した。私を疑う様子もない。どうやらバレていないようだ。私は震える手で麦茶を机に置くと、谷口課長に気付かれないように方を撫で下ろした。幸い、課長は顔を画面に目一杯近付けているから、私の姿など視界に入ってもいないはずだ。
さて、と私は白紙のコピー用紙を見つめた。昨日描いていたネームは、先ほど改めて見直してみたら課長の指摘通り本当に辻褄も合わなければ、どこに面白みがあるのか自分でも分からないほどつまらなかったので没にしたところだ。かといって新しいアイデアがそうポンポンと浮かぶわけでもなく、ボーッとだけして時間が過ぎていきそうだったから、麦茶を飲もうと思って席を立ったのだった。
ああ、何かいいアイデアはなかろうか。
……先ほど面白そうな文章を読んだところではないか。
ダイニングテーブルで作業をしている谷口課長をちらっと見た。相変わらず、画面にえらく顔を近付けてキーボードを一意専心に打ち続けている。あれでは恐らく私のことを視界に入れていないどころか、存在自体を忘れているだろう。あれが課長の集中している姿なのだとしたら、会社で姿勢良く座っていたときは、実はあまり集中していなかったということなのだろうか。姿勢が良いからって何でもよいというわけではないということが証明された。
私は横に置いていたパソコンを起動して「BL マンガ 投稿」と検索した。いくつかのBL商業出版社がマンガの投稿を受け付けているのを確認した。
BLは、初心者向けの刺激の弱いものを数冊読んだことがあるだけで、描いたことは一度もないが、収入ゼロの状態で、四の五の言っている場合ではない。もしかしたら、好きではないけど得意ということもあるかもしれない。やってみるしかあるまい。
私は先ほど読んだ谷口課長の小説を思い出しながらネームを描き始めた。