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ミナ  作者: 嘉多野光
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一の一

 一


 年が明けてから早速今期一番でやって来た大寒波のせいで起きる気になれず、東の窓から太陽光がいくら鋭く差し込んでいると感じても一貫して無視してベッドでもぞもぞと丸くなっていると、枕元に置いているスマートフォンがぶるぶると二回震えて、メッセージを受信したぞと通知を伝えた。仕方なく半目を開いてスマートフォンを手に取った。あまりにも目の開口度が小さいために一度顔認証で弾かれた後にニカッと心なくインカメに向かって笑ってやってからロックを解除すると、前職の頼れる後輩、飯島くんからメッセージが届いていた。

 社歴が一年下だった飯島くんは、私が会社を辞めてからも、頼んだわけでもないのにこうして前の職場の様子を逐一教えてくれている。前に働いていた会社の最新状況など私にとってはどうでも良いのだが、一種のゴシップとして受信することにしているわけだ。平日のこの時間は思いっきり勤務時間真っ只中のはずだが、そこはもう私は彼の先輩ではないのだし、咎めないでおくとしよう。

 アプリを開くと次のようなメッセージが記載されていた。


【速報】この数ヶ月間体調の悪かった谷口課長、ついに休職へ

 昨年の夏頃から原因不明の熱や気怠さを訴えていた谷口課長だが、本日の昼過ぎに千川部長に体調不良を強く訴える。熱を測るとなんと三十九度もあったため、インフルエンザの可能性を疑い、すぐに近くのクリニックへ直行。

 しかしインフルエンザの検査結果は陰性で、またも高熱の原因は不明とのこと。さすがに自体を重く捉えた経営幹部は、本日の出勤を最後に谷口課長を無期限の休職とすることを決定。谷口課長もこれを了承した。

 数々のプロジェクトを担当してきた敏腕PM兼デザイナーの谷口課長が突然抜けることとなり、デザイン部は大混乱。果たして会社は来週以降も仕事を通常通り回せるのか? 続報を待て。


 とっくに退職した身でありながら、あまりの緊急事態に思わず私は飛び起きしてしまった。ついでに凍てつく室内の空気が大挙して私を包み込み、眠気をふっ飛ばした。

 私は仕方なくスマートフォンを片手にベッドから降りた。時計を見るとすでに昼の十二時を過ぎていた。よし、およそ昨日と同じ時間だ。

 谷口課長は私が所属していた進行管理課、通称PM課の、直属の上司だった。文学一筋だった私と違って、ダブスクで専門学校でインテリアデザインを学んだ谷口課長は、プロジェクトマネージャーとしてだけではなく社内デザイナーとしても活躍し、重宝されている人材だ。

 谷口課長が体調不良を訴えたのは、私の退職がほぼ決まった、去年の八月頭のことだった。いつも誰よりも遅く出社する私が会社に駆け込んだ時間になっても、いつも誰よりも早く出社する谷口課長が席にいなかった。

「あれ、谷口課長、今日有給でしたっけ」

 左隣の二年先輩である馬場さんに訊くと「谷口課長、朝起きたら調子悪いから、病院に立ち寄るんだって」と教えてもらった。結局その日は体調が戻りそうにないということでお休みとなった。前日はまったく体調が悪そうに見えなかっただけに、どうしたのだろうかと思った。

 翌日、翌々日も谷口課長は体調が戻らなかったらしく、会社を休み続けた。確かに夏風邪は厄介だと言うが、谷口課長が三日連続で会社を休むことなど、私が知る限りではこれが初めてだった。人でなしの私は、課長の体調もさることながら、課長が不在なことで仕事が回らなくなりつつあることの方を心配していた。

 今までも、谷口課長は稀に有給休暇も取得したこともなくはなかったが、それは父の法事のためであって、自身の娯楽や息抜きのためではなかった。何でも噂で聞いたところによれば、谷口課長のお父様は課長が小さい頃にお亡くなりになっていて、お母様はお仕事で忙しくて対応できないから、法事では課長が指揮を執らないといけないらしい。

 体調不良とはいえ、さすが会社への忠誠心が誰よりも高いと言われている谷口課長は、体調が悪いという理由だけでただ休むはずがなかった。課長は一日に何度も会社宛にご自宅から電話しては部下の仕事ぶりを確認したり、同僚に自分の仕事を代理で回すよう事細かに指示を出したりした。私用のメールアドレスからもメールが何通も飛んできた。

 電話口で聞く課長の声は、特段枯れていたり鼻声だったりするわけでもなく、やや小声だった気もするが、鈍感な私には不調であるようには思えなかった。尤も、課長は会社でもつらそうな素振りを見せることは絶対にないのだが。強いて言えば、会社で聞く声より少しリラックスしているように聞こえた。足湯にでも浸かっているのだろうか。

 谷口課長が休み始めてから四日目、相変わらず微熱や気怠さが続くというので、課長は会社には出勤しない代わりに在宅勤務に切り替わった。どうもこの三日間で、家から最寄りの内科から有名な大学病院までいくつも診察や検査を受けたらしいのだが、原因が特定できていないらしい。

 そんな谷口課長とテレビ会議をすることになった。モニターで久々に見る課長の姿は、いつも通り背筋がしっかり伸びていて、やはり体調が悪いようには見えなかった。それに「家だと作業に集中できるから、むしろ楽かも」なんて珍しく軽口を叩いたほどだった。

 それから、谷口課長は少し体調の良い日には書類を片すためにたまに出勤することもあったが、原則在宅勤務となった。谷口課長が体調不良になる前に、私の退職の話し合いに蹴りを付けられて良かったなんて、私は相変わらず自分本位なことばかり考えていた。


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