9-決闘、そして遊牧民は語る
「……ああ、やっと来たわね」
短い白髪の女は、細く、切りそろえた髪を夕日の赤色に染め、崩れた砦の跡地のその残骸の上で、暮れかける太陽を眺めながら座っていた。
彼女は、丘の中腹にカガンを認めると立ち上がり、首を回した。
隣で太陽から背を向けるようにして座っていたレオンは心配そうにカガンを見つめていたが、彼が
肩を竦めて見せると、微笑した。
「ああ、来たぜ」
カガンは肩に巻かれた布を外して、肩を回した。彼は木陰に、長身のくたびれた中年男が立っているのに気づき、会釈した。
「ああ、これはこれはアーカス様。どうしてこのような場所に?」
「女王様に頼まれてな。君が死にかけたら止めるよう言われている」男は興味無さそうに言うと、欠伸をした。
「ということは、女王様はお越しにならないので?」
「ああ、そうだ。代わりに私が君たちの監督をする。まあ、適当に始めてくれ」
「そういうこと」体を伸ばし始めたアレクシアは言った。
「ルールは降伏するか、気を失ったほうの負け。殺しは無しにしてあげる。準備はいい?」
「かかって来いよ。バカ女」彼は指を鳴らした。
彼女はふっと深く息を吐くと、素早く深く吸い込み目を見開いた。半身を前にして、半開きの手を胸の前で構えた。
大げさだなぁ。彼は呟いて、馬鹿にするように笑った。
カガンが身構えもせずにゆっくりと近づくと、彼女は素早く間合いを詰めて、目にもとまらぬ速さで拳を突き出した。
早いッ! それに、まともに見えない!
彼女の陰に隠れていた太陽が彼の目をくらませた。カガンはをの拳をもろに頬骨の下に食らい、よろめいた。
……ッ、ずるいぞ! このバカ女!
彼は不正を訴えようとしたが、矢継ぎ早に放たれた拳をいなすのに手いっぱいだった。
カガンは、何とか女の拳を捕らえて、攻撃を封じ、引き抜こうとするアレクシアの腕をしっかりと掴んで引き寄せようとした、すると、その力を利用するように長く、鞭のような足が頭部めがけてはじき出された。
彼はもう片方の腕でそれをなんとか防いだが、勢いを殺し切れずに頭を揺さぶられた。
渾身の攻撃が失敗に終わったアレクシアは、よろめいたカガンを押し倒そうと首元を掴み、押し込んだ。
一瞬、気を失いそうになったが、カガンは彼女の足を軽々と掬いあげ、反対に丘に押し倒した。腕を掴んでいた腕は、彼女の首元に押し当てられ、反撃を避けるため頭を鎖骨の辺りに押し込んだ格好で、丘をずり上がった。その間に、彼女は何度も、正確に、痛めていた肋骨の辺りを蹴りつけた。あまりの痛みで、カガンは呻き声をあげた。
「……ッ、早くッ、くたばりやがれ」
彼は呻き声を抑えながら言った。腕に顎の先が押し付けられて、彼女が笑っているのが分かった。
クソ! この怪力女! どんだけタフなんだよ!
彼らはしばらくもつれ合っていたが、彼女の蹴りの一撃が、カガンの戦意をとうとう奪った。彼はわき腹を押さえながら側に蹲った。彼女は無理に仰向けにさせると、すかさず彼に馬乗りになった。
「降伏ですか?」カガンが見上げると、涙目で、顔を上気させた女が肩を激しく上下させ、笑みを見せていた。
細く長い首元には、押し当てられた腕の跡がくっきりと残っていて、白く美しい後ろ髪には泥が張り付いていた。
「馬鹿言うな。バカ女」彼は笑みを見せた。
……ガッ!
鈍い音が彼の脳内に響いた。
「戦なら俺の勝ちだ」
……ガッ!
彼女は再び拳を振り降ろした。
「ああ、いつもならあのまま犯すんだがな」
……ガッ!
意識が遠退くのを感じながら、言った。
「俺を殺してしまいそうだな。バカ女」
……ガッ!
彼は血だらけの顔を歪めて笑った。
「俺を殺してしまえば、お前のレオン様が泣いちまうぞ?」
……ゴツッ
「アレクシア! もう駄目だ。もうたくさんだ!」レオンは叫んだ。
最後に聞こえた異様な鈍い音の後、彼の視界はぼやけていき意識は途絶えた。
「またボロボロじゃないか」
狭まった視界はその切れ端に女の黒髪を捉えていた。彼女は彼が横たわるすぐ隣に座り、語り掛けた。
「なんだ。またあの魔女か。どうやら今回も俺は死んでいないみたいだな」
「今回は随分とケロッとしているのだな。アレクシアに滅多打ちにされたと聞いたのに」
彼女は残念そうに肩を下げて見せた。
「ああ、負けちまった。女に。こんなのは初めてだ。だが、恨み言はない。むしろ負け方としては完璧だった」
「君は、何というか……。以外にもさっぱりした性格なのだな」
「なんだろうと死んだ方が悪だ。生きている限りは俺は正しい」彼は言い聞かせるように断言して見せた。
「無様でも、どんな死人よりかましだ」
「果たしてそうか?」彼女は控えめに反発した。
「しかし、何が君をそうさせるわけだ?」
「お前たちの考えでは、理解できんだろうな。俺の、この高尚な考えは」
カガンは微笑して見せた。
「まあ目的だけを行ってしまえば、俺が楽園に行きつくためだ」
「それは、神の国ということか?」
彼女は興味津々に尋ねた。
「さあな、俺がいつか辿り着くところだ。それで言えば俺の国でもある」
彼女は真に受けて、真剣に考えこんで、唸った。
「ともかく、今日は寝ているのがいい。包帯も、薬草も貼り終えたから、一晩寝ていれば腫れも引くはずだ」
彼は頷いた。
「そうだ。レオンは君を心配してずっと君の側にいたんだ。明日は礼を言いに行くのがいい」
「おい、魔女よ」カガンは彼女を呼び止めた。「お前には、戦をする覚悟があるのか?」
彼女は俯いて、額を抑えた。
「正直に言ってしまえば、わからない……」
彼女は腕を抱えてしきりに摩った。
「ただ……、恐ろしいんだ」
「今のうちにアーカスを殺せ」彼は言った。
「それが戦を遠ざける一番いい方法だ」
「そんなことをすれば、他の貴族どもが許さない。あれらは父上の土地を守っているのであって、私のような小娘など……。ただ、父上の面目のために生かしているに過ぎない」
カガンはせせら笑った。
「それなら、お前が奴らを幻滅させる前にことを終わらせればいい。現に、奴隷制を廃止した時にはうまくいったんだろう?」
彼女は首を振った。「それは……、できない」
彼はため息を吐いた。
「無能な女王様。摂政一人殺せないで、どうやって女王の務めを果たせる? お前は、お飾りでしかない。今朝のあの商人を見たか。お前ではなく、摂政のご機嫌取りをする商人を」
彼女は小さな背中を震わせて、何も返さなかった。
……、ああ。恥だ。




