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8-金のナイフ

 シアンは、カガンとの面会を早々に終わらせると、彼にアレクシアとの決闘の時間を伝え、いくらかの硬貨を渡して城から追い出した。


 商人が群れを成して砦の大通りに熱れを作り、活気に溢れた声をくぐもらせていた。馬は良く肥えて、人々は良く焼けていた。彼は片目を隠すように巻かれた包帯の、半ば場違いな格好でその中を突っ切った。思った通り、視線は敵意や好奇心が混じったものであったが、彼はここの人々が悲鳴を上げて、命乞いをし、逃げ惑う姿を想像するのに頭がいっぱいで、むしろ楽しんでいた。

 市場には、様々な果物や、宝石、絹などの布製品が置かれ、奪い甲斐がありそうなものであふれていた。


 彼は、よく熟れた桃を一つ店から分捕ると、商人の怒鳴り声を無視して逃げ出した。


 彼は逃げている間、誰かがずっと後をつけているのに気づいていたが、裏道に入った辺りで立ち止まり、桃を頬張りながら男が追いつくのを待った。息を切らして走った、まだ二十代の半ばほどでよく焼けて真っ黒な小太りの男は、待ち伏せていた包帯だらけの男の姿を見て、もうすこしで飛び上がりそうなほど驚いていた。


「何か俺に用があるか?」彼は言った。


「あ、ああ、これはこれは、女王様の……奴隷様」

 男は言った。カガンはすぐに男が玉座のある広間に居た商人だと言うことに気が付いた。

「……全くの偶然です」


 彼は眉を曲げて首を傾げた。


「あの……、これは滅多にない機会ですし、少しお話でもいかがでしょうか」

 男は走ってきたと言うのに顔面蒼白だった。男は彼の不審そうな表情に、引きつった微笑をした。

「何かご馳走いたしましょうか。商人しか知らないおいしい店もあるんですよ」


 まあいいか。食わせてくれるなら食っちまおう。

 カガンは呟くと、大げさに笑って言った。

「おお、そうかそうか。いいだろう。案内しろ。商人。苦しゅうないぞ!」


「はい。もちろんでございます」男は恭しく言うと、今度はまともに微笑して見せた。



「それで、何か話したいことがあるのか? 商人よ」


 その店は、裏道から入ったところのすぐ近くにあり、それほど大きな店でもなく、民家の一階部分に商人や旅人のために設けられた小さな店であった。カガンは贅沢な昼食を終えた後、商人の話を木製のテーブルにどかりと両足を乗せて、気怠そうに待った。


 早く終わらねぇかな。彼は呟いた。


「そ、そうですね」商人は指先を弄ってなかなか言い出さなかった。

「どうして、奴隷制を廃止した女王様が、突然奴隷を買ったのか。それに、どうして……、これは、その、失礼な言い方ですが。どうしてあなたのような奴隷に自由にさせるのか、ということをどうしてもお伺いしたいのです」

 男は、注意深く彼の表情を窺った。


 カガンは深いため息を吐いた。

「それは俺が知った事じゃないな。それより、お前自身の話を聞かせろよ。俺はお前のことを一つも知らない。あ、分かったぞ!」

 彼は笑った。

「お前は敵国の間者だろう? オアシス周辺の都市国家からわざわざこんなとこまで来るなんてご苦労なことだな」


「いえ! 滅相もありませんよ」商人は慌てていたが、ごく自然に、憤りを隠さずに返事をした。

「だとしてどうだと言うのです? もしそうなら、奴隷のあなたにとって私に手を貸さない理由になりますか? あなたが馬鹿でないなら、これが奴隷から解放される機会だと考えるはずです。第一、私は奴隷だって売ったことがありますが、あなたのような芸の無い、粗暴な奴隷は見たことない! あなたの方が、私に言わせれば怪しいですね」

 男の顔は必死になるあまり赤くなっていた。


 彼は面白くなって、続けた。

「そうかそうか、君の潔白は証明されたよ。それで、どうしてそんなことが聞きたい?」


 商人は、苛立ちからか、なにか高圧的な態度に変わった。

「情報は(きん)です。奴隷制を復活させるのであれば、次の私たちの仕事は奴隷の運び屋になりますし、この情報だけでも他の商人に売れます。金儲けのためですが、何かいけませんか?」


「いいや、まっとうな商人だよ。お前は。俺様が誉めてやろう」


 商人は不愉快そうに首を振った。「いいえ、結構ですよ」


「ほう、そんな態度で何を教えてもらえると思っているんだね?」彼は意地悪そうに笑った。


 商人は慌てて微笑して見せた。

「いえ、いえ。私めは極めて丁寧に話しています。少なくとも、私めはそう思っています。ただ、あなた様がそうお感じになるのでしたら、それは私の不徳の致すところです」


「まあいいだろう。一つに、あの女は奴隷を商売にする気は無いようだ。あとは……。ああ、商人が欲しいのはここまでか」


 彼がもったいぶって言うと、男は続けるよう必死に促した。

「少しお待ちください! それだけでは納得できません。もう少し踏み入った情報をいただけませんか。私めは、恐れながら、あなた様にご馳走しております。これは決してタダではないのですよ。お願いです。私めは今晩の宿代をあなた様につぎ込んだのです。どうか、どうか」


 カガンは、商人の懐が重く垂れているのに気づきながら、めんどくさそうに返した。

「わかった、わかった。俺は、何度かお前たちの仲間に助けられた。特別に話してやろうか。そうだな……、昨日の夜、あの女とやった話でもいいのか?」


「あなた様は遊牧民の出で?」

 商人はまるで不快感を押し込めたような笑みを浮かべた。

「それは予期せぬご縁ですね。私たちは、何度も彼らに助けられていますから……。ぜひ、お聞かせ下さい」


「ああ、あの女、体が目当で俺を買ったそうだ。だから、こんな傷だと言うのに昨日は一睡もできなかった」

 彼はここで話を終えたが、男は不服そうに片目を細めた。

「これ以上は言えないぞ、口止めされてるからな」


「はあ。そうですか」男は大きなため息を溢した。

「ということは、バアルベック総督と女王様との縁は、完全に切れてしまったと言うことでいいのでしょうか」


 彼は訝しむように眉を曲げた。

「ああ、そのようだが。そのような疑問が湧くほど以前の仲は良かったと言うことか?」


「ええ、以前は。というのも先王がお隠れになるまでは、という話ですが」


 彼は考え込むように俯いた。「そうか……」


「どうかされましたか?」男は尋ねた。


「いや、少し違和感があるな……」

「まあそれはいい。お前は、お前たち商人は、この二人の仲互いが戦につながるとは考えないのか?」


 男は目を丸めて、食いついた魚みたいに前のめりになった。

「ということは、女王様に戦を起こす気があると言うことで?」男は目を輝かせた。


「さあな」彼は軽くあしらった。

「あの女はよくわからん。ただ、もし戦になれば俺のような包帯男も戦場に出すとは言っていたがな」


「なるほど。戦になりそうですね」


「ああ、そうだ。レオンという男について何か知っているか? あの弱そうな男も戦に出るわけではあるまい?」

 商人が渋ったので、彼は付け加えた。

「話せば、昨夜のことをもう少し詳しく教えてやる」


 商人は勢いよく言った。

「そうですねぇ。レオン様は前の皇帝、と言っても帝位を簒奪した将軍。そのご子息ですが、継承権という物はほとんどありませんし、従って、軍を作るほどの力もありませんよ。まあ、彼の名を使えば人を集めることは可能です。見るからに戦嫌いの女のような風貌ですから、そんな気もないでしょうがね」


 彼は心地よいくらいの相槌を打った。

「ああ、なるほど。それなら、バアルベック総督についてはどうだ?」


「さあ、私もよくは分かりませんね」


「お前は、あの男に戦争を起こす準備があると思うか?」


「私はわかりませんよ。あなた様の方が詳しいのでは?」男は微笑した。


「それはおかしいな。お前はあの女の事ばかり尋ねる割に、あの摂政を話題にあげなかったな。お前はあの女以上にあの男の事について知らないようだが、気にもかけんのだな?」


 男は不自然な笑みを見せると、口早に言った。

「いえいえ、そのようなことはありませんよ。断じてありません。そうですね……。では、尋ねます、バアルベック総督は……、彼の……」だが、男は言葉を続けられなかった。


 カガンが笑みを見せると、男の目元は激しく痙攣した。


「そ、それでは私はここで失礼します」男は慌てて言うと、逃げるように立ち上がった。


「ああ、お前」カガンは男の背中に向かって声を上げた。

「お前、名前は?名前と顔を覚えてもらうのは商人の仕事だろ?」


 男は一瞥もくれずに足早に逃げ去った。


 彼は厄介払いを終えてため息を吐いた。

 ああ、そう言えば決闘は夕刻前か。ダルいな。彼はそう呟くと、再び大きなため息を吐いて眠り始めた。



 彼は、店の汚い服の店主に揺さぶられて目を覚ました。


 食べかけで、傷口のように黒く変色していた桃を頬張って店から出た。大通りに出ようと裏道を引き返していると、あの商人と出くわした曲がり角に差し掛かろうとしたとき、背後から駆ける音が聞こえた。

 彼はそれが尋常な音ではないと知ると素早く振り向いて、ナイフを抱えて突っ込んできた男からナイフを取り上げ、床に後ろ手に組み伏せ押し付けた。男の抵抗が緩くなるのを待って、思いっきり、貝を岩から引っぺがすように仰向けにさせると、片足を胸の上に置き、押し付けた。

 フードで隠れていた顔が露になった。


「……っ!」あの商人だった。蒼白しきった顔の男は、怯えた表情で首元にナイフを当てがう男を見上げていた。

「お助け下さい! 私めは……」カガンは男の口元を塞いだ。


「静かにしないか。殺すぞ」彼はもう片方の膝を男の首元に乗せて徐々に体重を乗せていった。


 男は、かすれる声で、極めて小さな声で荒々しく言った。「頼みます……。苦しい、息をさせてください。謝ります……、欲しいもの、なんでもあげます……。だから……」

 蒼白だった男は、見開いた両目を充血させて必死に訴えた。


 カガンは、笑みを見せると、歪み切った口元に指を当てた。


 シッ――。


 男が気を失ったのを確認すると、カガンはナイフの柄をしっかりと握り、丁寧な金の装飾が施された石突で、無防備になった喉元を思いきり殴りつけた。



 カガンは死体から金目の物を抜き取ると、その残りを裏道の壁に背を預ける格好で捨てた。

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