40-魔女の告白、そして遊牧民は理想郷を語る
これが最終話になります。
誤字脱字指摘、感想等、よろしくお願いします。
筆者の完走してみた感想は後書きにて。
「俺は小さい頃、馬から落ちて親とはぐれた」
カガンは立ち上がり、とうとう話し始めた。
「俺は彷徨い続けて、ある墓場に行きついた。そこで、ある老人に会った。その老人は俺を拾って育ててくれた。俺は、十四の年までその墓場で暮らす老人と暮らした。
その老人は俺に文字や鐙、機械を教えた。今の俺があるのはあの老人のおかげだ。面白い奴だった。そんで、俺はそこの奴隷の女に惚れた。鮮やかな赤毛で、肌が透き通って、緑の瞳が美しかった。俺は今でもその女の姿を鮮明に思い出せる。よく笑って、泣き出すとどうしようもなく抱きしめたくなる女だ」
カガンは、シアンの瞳を覗き込んだ。
「お前の目の色はあの女にそっくりだ。生まれ変わったのかってくらい」
彼は自嘲気味に笑ったが、依然燻ったままであった。それが苛立たせた。
「笑うか? お前を欲しがるのが未練だけだとしたら」
「その女も殺したのね?」彼女は取り合わずに、責めるように言った。
彼は予想外の反応に呆気にとられた。シアンを見てあの女を思い出し、涙が込み上げるのを感じた。彼はどうしようもなくなって、頷いた。
まるで、彼女が詰問しているかのようだった。小さな明り取りから風が吹きつけた。
「ああ。俺は……、どうしようもなかった……。俺はあの女を買い取るために寝る間も惜しんで狩りに出た。狩り尽くした。だが、手遅れだった。あの爺はあの女の話を聞き終わると、新しい奴隷と引き換えに彼女を売った」
彼は、言葉に詰まった。
彼女はただ、涙ぐんだ美しい緑の目を見開いて彼を見つめた。憐れむようなあの女の目で、ただ、一言も聞き漏らさないように彼を見つめた。
彼は息を呑んだ。強い風が吹いた。あの夜の生温い風のように、不快で、湿って、張り付くような風だった。
「あの女を買ったのは、支配欲が強くて、独善的で、自らを王と名乗った糞みたいな奴だった。あいつは、逃げられないように彼女の足の腱を切ったんだ。絶望的だった」
彼は次第にその光景を鮮明にさせ、語気を強め、呼吸を荒げた。あの生温かな風は勢いを増して、彼に打ち付けた。
「彼女は歩けないと言って、俺を縋るように見て、声を詰まらせながら懸命に訴えて……。俺は、何度も言った。馬を盗んで、どこかへ逃げよう。一緒に生きようと……。彼女は、首を振るばかりで、とうとう何かを決心して、確信に満ちた表情で俺を見据えて、裏打ちの無い自信で言い切った。俺のためだと勝手に決めつけて、固持した。あの女は、俺に! この俺に向かって、殺してくれと……。できるわけない……」
拳を握って、まるで暴風のように叫んだ。
「あの女を助けに出たのに、全部捨て去る覚悟だったのに、エリナは、ただ、俺に殺してほしいと懇願して、魔法の言葉みたいに都合よく『愛してる』なんて言うもんだから、俺は疑った! かっとなって、そんで、エリナの足首を引きちぎって、小屋ごと燃やしたんだ」
燻った壁龕の松明は、煌々と輝いた。
「本当に愛しているのなら、一緒に逃げるべきだったんだ! だってそうだろう! なんで、俺がエリナを殺さなくちゃいけない! 死ぬのなら、勝手に死ねばいい! 俺に殺させて、俺がどうなると思ったんだ! それで俺が救われるとでも思ったのか! ああ分かった。俺は納得したよ。殺してほしいなら殺してやる! 代わりに一番苦しいやり方でだ!」
彼は四方に配された天井の明り取りを見上げて込み上げた涙を抑え、鼻をすすった。
「小屋が燃えて、弾ける音の中で、エリナが俺を呪う声が聞こえて、俺は、俺は……エリナを愛してたのに」
彼は息を飲んだ。
彼女が、見開いて注意深く覗き込んだ緑の目から滔々と、静かに、涙を流していた。
「悲しい人ね」皮肉交じりであったようにも思う。
彼は自嘲気味に笑うと、力いっぱい涙を拭った。
「同情は要らない。あんな女、命を捨てた奴なんざ糞の役にも立たねぇ。どう死のうが俺に頼んだあいつが悪い」
彼は深く息を吸い込み、吐き出した息を震わせた。
「俺は、各地を逃げ回って、様々な伝承を聞き、老人の話が真実であると確信した。魔女は実在し、魔女を娶ることで不老不死になれると、俺は確信した……。俺は、知らぬうちに魔女を殺してしまった。だから、今度こそは、と思ってな」
彼は、左手で胸を思いきり叩いて見せた。
「現に、お前は俺の左腕も肋も治して見せたろ」
「それは、あなたが頑丈だからよ」彼女は目元を拭いながら小さく笑った。
「わかったわ。あなたの呪いも、いつかは解いてあげる。メ―デイアの末裔として」
彼は頷いた。
「話してくれて嬉しい。私も、全部話してしまいたいくらいよ」
「言ってしまえばいい。俺以外、ここにはいないはずだ」
彼女はゆっくりと首を振って、安心したように微笑した。
「ここじゃ駄目ね」
彼は、聖櫃に手を掛けて重い石の蓋を力いっぱい押し込んだ。
「やめて!」彼女は叫んだ。立ち上がって、彼を引き剝がそうと掴みかかった。
「お願いだから、やめて。そんなことをしたら……、そんなことをしたら、どうなるかわからないの!」
軋む音を上げ、蓋は斜めに傾き、聖櫃は数年ぶりに内側の磨かれた石の霊室を露わにした。彼女は慌てて聖櫃の中に手を入れ、隅々まで調べ上げた。
「無い! 何も入ってない!」彼女は愕然と立ち尽くし、ぽっかりと開いた洞穴を見下ろした。
「さあ、誰も聞いていないぞ。話してくれ」
彼女は俯いて、黙り込んだ。
……。
「まあ、心当たりはある」彼は自信満々に言った。
「お前、毒だってわかって父親に飲ませただろ」
彼女は息を呑んで、声を詰まらせて、小さく頷いた。俯いたあどけなさの残る頬から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。それは、聖櫃の繊細な銀の細工に染み込んだ。
「言えよ、卑怯だぞ」
彼女は黙り込んだ。
カガンは、ため息を吐いて少女を抱き寄せた。
濡れた柔らかな熱病のように熱い頬が彼の頬に張り付いた。彼女は、力いっぱい彼を抱き返した。
「殺そうなんて思ってなかったの」
彼女は大声で泣きじゃくった。
「父さんは、死に際に、私を抱き寄せて、無理やり抱き寄せて、胸に抱き寄せて、呟くみたいに、恨みを込めた声で、言ったの。必ず、仇を取れって。私を抱きながら言ったの……」
彼女は無遠慮に力を込めて彼の肩を抱き寄せ、立っていられなくなって、ついに崩れ落ちた。まるで彼に赦しを乞うように、彼の足元にしがみついた。
「それで、私は、どれだけ告白してしまいたかったことか、どれほど泣き喚いて、許して欲しかったことか。正真正銘の、父さんの最後の力だった。腕から力が抜けていって、興奮して高鳴っていた鼓動が、遠退いていったの。ただ、父さんがあれをするな、これをするなとうるさいから、怖いもの見たさで、痛い目に合わせたくて……、私は、殺してしまった……。私が殺したの……。ごめんなさい。ごめんなさい……」
「俺にだって良心はあったんだ」彼は静まり返った聖堂の閉じた聖櫃の上に座り、並んで座った少女に言った。
「お前に悪心があって何がおかしい。お前が悪心に苦しむのなら、俺がお前のために手を汚してやる。だから、お前は俺のために生き続けろ。そして、いつか俺の物になれ」
「そうなれば、あなたは本当に不死身になるの? 第一、どうしてそこまでして生きることに拘るのよ」
彼女は泣き腫らした目を擦って、彼を羨望の目で見つめた。
明り取りから差し込んだ穏やかな光は、遠く、天井から覗いた空を見据えた男の誇らしげな横顔を照らした。
「俺は不死身になって、いつか楽園にたどり着く。俺はそこで暮らすんだ。
そのためにお前は、他のあらゆる国々を支配することを望み、俺に命じろ。国を広げ、民を豊かにするのが女王の務めだ。東へ西へ、南へと国を広げ、いつか行きつく楽園にまで道を造る。そうして、お前は楽園に民を連れ立てばいい。お前の良心はそのために向ければいい」
「あなたの理想郷は地上にあるのね。私たちとはまるで違う。だけど、いいわ」
シアンは子供っぽく笑みを浮かべた。
「あなたを不死身にして、私も不死身になって、一緒になって探してあげる。あなたなら、本当に探し出せそうだもの」
「今のお前は、凄く魅力的だ」
彼女は頬を赤らめて、誤魔化すように意地悪を言った。
「でも、本当にそんなものがあるのかしら。もし見た人がいるのなら、わざわざ戻っては来ないでしょうに」
「そう言えば、俺の話はまだ全然していないな。レオンには根掘り葉掘り聞かれたが」
彼はシアンを見て、楽しそうに笑った。
彼は大交易路を行って、長く、先の見えない砂漠に入り込んだ。汗も流れないほどに乾ききって、咥えた髪を、口に入った砂を吐き出すのを惜しむほど、渇きに飢えていた。もはや、いつ倒れてもおかしくはなかった。呪いの言葉だけが干上がった頭蓋の裏で反響した。
商人から買い付けたロバでさえも、砂に足を取られて満足に丘を登ることができなかった。彼はロバを無理に曳いて丘を登り切った。
丘の先には、真っ青な水を湛えたオアシスがぽつんと、象牙色の砂漠の中に、まるで別世界の門のように浮かび上がった。
ああ。これこそが楽園なのだと、彼は涙が込み上げるのを感じた。
シアンは、彼が話し終わると、楽しそうに手を打った。
「ひとまずは国を三つ落としてくれないと!」
そして、照れくさそうに微笑した。
「話はそれからね。あなたの物になるのもそれから」
「ああ、そうだ」カガンは頷いた。
「まずは国を三つ、女王様に捧げなくてはな。そして、お前を迎えよう」
彼は砂漠の丘の上で崩れ落ち、乾いていたはずの大粒の涙を溢した。嗚咽と共に、水が溢れ出した。それは乾ききった大地を潤し、黒くした。彼は湿って塊になった砂を力いっぱい握って、叩きつけた。
ああ、あれが。あの楽園が、この乾いた大地を均等に潤してくれたなら、どれだけの人が生き延びただろうか。誰も、これほど苦しまずに済んだだろうに……。
目を覚ますと、オアシスは干上がってしまっていた。
舞台は六世紀のカフカス地方、突如として現れた遊牧民のカリスマは云々と、最初の構想はそこまで定まっていませんでした。それに、モデルは冒頓単于などの伝説的な遊牧民でしたが、あえて小さな遊牧民集団に焦点を当て、ゆっくりと書き溜めていくうちに面白くなって恋愛要素を足してみたことでこの物語は生まれました。それに、名前を考えるのは本当に難しいですね(笑)色々迷走した結果、地名は何度も変えられています。
2020年に書き上げた当初、私は書き溜めていた分を正月に連続投稿しようと思っていましたが、書き直しに気づき何度も読み返して、やっと2021年の一月十日に完結することができました。
ブックマークしていただいた方には本当に感謝しています。
脱字や保存ミスで飛んでしまって書き直した部分が多く、本当に、挫折してしまいそうでした。ですが、それが本当の本当に励みになって、何とか完結することができました。
そして、次回作への意欲も湧いてきました。
もちろん、急ぎで書き直した分、物語上の矛盾や散逸的になっている箇所があるかもしれません。ですが、ひとまずは簡潔と言うことで物語を締めくくらせていただきます。
大変ありがとうございました。




