39-泥棒の夢、そして不信心者な魔女
残すところあと二話で完結です。
誤字脱字指摘、感想等ありましたらお願いします。
カガンはニーナの服を脱がせ、肌にこびりついた血を落とすと、新しい白いチュニックを着せた。彼女の細い足は、初めてチュニックの下から覗いた。
彼は彼女を担いで厩舎に向かって彼女を抱えるように馬に乗り、白々しい疑いの目の大通りをゆっくりと行き、門を出た。そして、曇った空を見上げて丘の上の教会を探した。
「おお、カガンさまよ」カガンは一番目の駅に向かう途中でバートルとばったり出会った。
彼は笑みを浮かべて見せた。彼は御者台の御者の隣に座っており、カガンに手を振った。
「なんだ。神妙な顔つきで! 女なんて連れてやがるのか!」
カガンは煩わしそうに、逸れた道を行った。
そうすると、追いかけてくるのがバートルの性分で、バートルは御者に止めさせるとカガンの元に走った。
「あれ、きれいな女だな」
彼はカガンの馬の前に立ちはだかり、カガンの腕にしなだれかかったニーナの顔をまじまじと見た。
「お前の女か? いいな。交換しないか?」
男は至って真剣に尋ねた。
「駄目だ」カガンはにべもなく言った。
「こいつはもう死んでるぜ?」
バートルは目を丸めて、悲しそうにニーナの顔を覗いた。「なんで? なんで死んでんだ? もったいねぇ。本当にもったいねぇ」
「俺が殺した」
バートルは責め立てた。
「ふざけんじゃねぇ! なんで殺したんだよ。俺、こんなにきれいな女見たことねえぞ! 殺す前に一声かけろよな!」
彼は微笑した。
「すまないなバートル。でも、死んじまった物はそれでおしまいだ。価値なんてない。そうだろう?」
「じゃあ、なんでそんなに大事そうに抱えてんだよ」
カガンは返答に詰まった。
「なんだ。惚れてたのか? らしくねぇな」
彼は舌打ちをして、それから気色の悪い笑みを浮かべて笑った。
「まあいい。体も丈夫になったみてぇだ。お前を荷車に招待してやるぜ」
彼はカガンに耳打ちした。
「ラジカの村から女を攫って来たんだ。すげぇぞ! すんげぇ美人でさ。体もすんげぇの! 俺は腰抜かしちまうほどやっちまった!」
「なんッにもわからんな。ただ、興味はある」
バートルは興奮しきった目を輝かせた。
「行こうぜ。荷車の中で縛ってるんだ。苦労したんだぜ」
「ああ、あの馬車か。もう行っちまったみたいだな」
カガンは、東へ向かって全速力で走り去る荷車を指さして、バートルに示した。馬車の荷台からよく焼けた肌の裸の女が、裸同然の御者を投げ捨て、御者台では御者の服を着こんだ女が馬を走らせた。
「お前の仲間か? あの御者は。面白れぇな」
バートルは口をあんぐりと開けて、ただ茫然と荷車の後を名残惜しそうに目で追っていた。
「まあ、気にするな。また会えるだろうよ」カガンは言った。
「ところでよ、この女本当にいい女だ」
バートルは、教会へ続く丘をカガンと共に歩き、時々ニーナを見つめては悲しそうに言った。
「もっと胸が必要だけどよ。俺がお前なら、絶対に妻にしてた。この女はどこから来た女だ?」
「バアルベックだと。わかるか?」カガンは尋ねた。
彼は首を振った。
「南にある穀倉地だったそうだ。フェニキア人の壊されちまった古い神殿があって、一面の麦畑から見える、いくつもある石の円柱が天を向いて立っているらしい。いつも水車が回っていて、それが印象的だと、懐かしそうに教えてくれた。ただ、幼いころに、馬鹿な為政者が逃げ出して、侵略され、こいつらにとっての異教徒に奴隷にされたらしい。そんで、この国に来たそうだ」
ニーナは、それがアーカスだと知っていた。だが、彼女が頑なだったのはそのためでもあった。
ニーナは初めての夜にそれを知ることになった。男は済んだ後に、子供に物語を聞かせるように、懺悔するように、自分のバアルベックでの経験を赤裸々に少女に語った。彼女は最初こそ恨んでいたものの、あまりにも悲しそうに、明け透けに語るので、結局のところ、彼女は、男に同情してしまった。彼女の脳裏の故郷の情景と、男の郷愁はあまりにも符合してしまったのだ。
彼女は、眠る前に語り部の故郷を聞き、今では理想郷となった故郷の夢へと誘う語り部に、愛着を持たざるを得なかった。
だが、アーカスは知らないようだった。カガンが地下牢のアーカスに伝えた時、男は情けなく泣き声を上げた。
「そんなら、ラジカを落とした後は南だな!」
バートルは言った。
「ああ、そう言えば。ラジカだ! どうなった?」
「レオンってインチキ皇帝が残党狩りに出かけてるな。ラジカの別動隊がいて、そいつらは既に敗走したらしい。俺たちの方はあいつらに従う義理は無いから、ラジカを襲って来た。そんで、その帰りがさっきだ。まあ、今は手持無沙汰でも存分に楽しんだからな。あの女どもでは。
一先ず、溜飲は下がった」
バートルは目を眇めた。
「カガンさまよ。本当にラジカを責める気あるのか?」
「ああ、明日発とう」カガンは言った。
「ああ! ぞくぞくしてきたぜ!」
バートルはあの醜い笑みを顔中に張り付けた。
「さっきのは田舎の娘だからな。首都まで攻め入ったらどんな女がいるだろうな!」
彼らは、教会のすぐ目前までたどり着いた。
「なあ、お前はどうして戦を続けるわけだ?」
カガンは、教会のこじんまりとして、風通しの悪そうな造りのファサードを見上げた。だけれど、その反面なのか、厳かな雰囲気が満ち溢れていた。
「妻を見つけるためだ。より優れて、より丈夫な女だ。美しくなくてはいけないし、均整がとれていないといけない。胸と尻も必要だ。だから、お前の殺したこの女は非常に惜しい」
彼はカガンを睨んだ。
「もう少し胸と尻は欲しいが、凄く、タイプだったんだ」
「それは惜しいことをしたな。だが、俺の方は、お前の生き様を羨ましいと思う」
カガンは、聖堂の十字に跪く一人の女を認めて、バートルの肩を叩いて耳打ちした。その隣には聖職者らしい風貌の男が立っていた。
旅人を装ったバートルは何かを叫んで、泣き声を上げた。
すると、聖堂から出てきた聖職者の男はバートルに話しかけた。バートルは言葉が分からなかったが、彼の十八番である農耕民のまねをして、十字をしきりに切って見せた。
バートルは馬に乗せたニーナを示して、首の傷口を見せた。男は悟り、困り顔で彼を連れ立って馬を曳き、墓地へ連れて行くために丘を下って行った。
「おい、魔女よ」カガンは言った。
シアンは教会の中央に据えられた十字と聖櫃に跪き、祈りを続けた。
象牙色の教会は丘の上に立ち、薄暗い内部を天井の四つの小さな明り取りから差し込む控えめな光と、壁龕に置かれたランプだけが照らしていた。上を見上げると、中央の大きなドームの四方に他のドームが繋がり、まるで教会全体が十字を表しているようだった。
彼女はたった一枚の白いチュニックに身を包み、床に膝をついて祈り続けた。薄い布を隔てた荒削りの岩の上に、彼女の両膝は食い込んだ。
彼は無心に祈り続ける彼女の前で、聖櫃の上にどかりと座り込んだ。
「おい、聞いているか。魔女」
彼女は眉を尖らせて、男を見上げた。緑の冴えた目が薄暗がりで光った。
「どかないか、不信心者」
「邪魔したか? 何を考えてた?」
「戦死者や、コルキア人、コルキアの異教徒のために祈っていた」
「本当は何も考えていなかったくせに」彼は笑みを見せた。
彼女はため息を吐いて、また目を閉じた。
「おい、お前が何考えてたか当ててやろうか? 『この箱には本当に中身があるのかな?』どうだ?」
「もう、君の戯言には耳を貸さん。……君は、一体何をしに来たのだ。私をからかいに来たのか?」
「坊主を探しにきた。ニーナが死んじまったからな」
「ああ。君を甲斐甲斐しく世話していたあの召使か。君の方も案外と優しいものだな」
「まあ、俺が殺したんだがな」
彼女は息を深く吸い込んだ。「君という男は……」
「俺は彼女のために尽くしたつもりだったがな」
彼女は眦を決して、挑みかかるように立ち上がった。
「人を殺して、何が尽くしただ! 私はお前のような男のために、民の命を捨てさせたのか……。恥で、恥で、潰れてしまいそうだ!」
彼女は涙を湛えた緑の目で、彼を睨めつけた。
カガンは、彼女の後ろ髪を掴んで後ろに引き、か細い喉骨を丸く膨らんだ天井に晒させた。彼女は小さく悲鳴を上げて、爪を立て、彼の腕を掴んだ。
「俺がいなければ、コルキア人は皆殺しだったじゃないか。なるほど、アレクシアは指揮官としても優れていた。だが、奴は俺のように狡猾ではない。俺がいなければ、あの戦局は生まれなかっただろう! それならどうする、籠城するか? お前ならそうするなぁ。それで? 異教徒の帝国が来るまで籠ったとして、果たして奴らはお前たちを助けるか? いいや、それこそこの国の終わりだ。有能な指揮官であっても、圧倒的な数には決して敵わない。砦の中に毎晩のように敵の声が響いて、略奪者の笑い声と、女の叫び声が聞こえる。そして、じわりじわりと命も、壁の表面も削られて、終いには絶望の中で息絶えることになる。この国は最後の砦まで敵に犯され、破壊されただろう。だから、俺は敵にこの砦を焼かせた。
厚顔無恥とはお前のための言葉だな。魔女よ」
彼は言い終わると手を離した。
彼女は、硬く唇を噛んで、泣き出しそうに潤んだ緑の瞳を無理に尖らせて、再び彼に迫った。
「それでも……、それでも、あんたがいなければ、ムツケタの人々があれほど苦しむ必要は無かった! 同じコルキア人に犯されて、燃やされた人たち。あの人たちは、死ぬその時まで隣人を疑って死んでいったのよ! あの人たちはどうやったら報われると言うの」
「それはお前たちの神様の領分だ。ひょっとして、お前は神を信じていないのか? ほら、俺の言った通り、お前は不信心者だ」
彼女は憮然として短く息を吐き出した。また跪くと、指を胸の前で組んで首を垂れ、目を閉じた。
閉じた目の切れ端に追いやられた涙が、頬を伝っていた。
「俺がここにいるのも、お前のせいだ」
彼女は黙り込んだ。
「お前は、父親のように、宮殿の中で、何も分からないまま殺されるのが嫌だった。疑心暗鬼になって、敵を炙り出そうと、わざと愚かしく振舞った。結果、それが少なかった敵を増やし、敵に反逆を決心させた。お前自身もあまりの敵の多さに気づき、恐れた。俺のような浅ましい人間に縋るほどな。そして、アーカスに実権の多くを渡し、無能を演じて、それが状況をますます悪化させていることに気づきながらも、生きるためにそうした。違うか? 無価値な女王め」
彼は、彼女の前に跪くと、涙に濡れて張り付く冷たい頬に手を当てた。親指で、彼女の目尻から涙を拭った。
「あのマグナスですら、お前をそう思っていただろう。だが、俺は違う。
俺は、何を手放してもお前だけは手に入れたいと思う」
彼女はゆっくりと目を開いて、恐れと疑いと期待の混じった目で彼の目を覗き込んだ。
「お前は、俺がなぜそうまでしてお前を欲しがるのか。それが分からなくて俺を恐れている」
「その通りよ」彼女は濡れた顔で疲れ切った笑みを浮かべて、言った。
「全部、君が言ったことは正しい。あなたは不気味よ。どうして私なんかをそこまで欲しがるの」
彼は得意げに微笑した。「教えてやろうか?」




