36-ツクナライ丘陵の戦い- 6.最後の誇り、そして下らないまじない
読んでいただきありがとうございます。
今日、やっと書ききることができたので、本日、第四十話で完結させていただきます。
ブックマーク登録者の方には本当に感謝です。もし、最後まで読んでいただけるのなら、本当にうれしいです。
変わらず、訂正、指摘お待ちしております。(;_;
「展開急げ!」シルクリフはしわがれた声で懸命に怒鳴った。
「もう少しで間に合うはずなのだ。敵の突撃に、必ず間に合わせるのだ!」
重装歩兵は、戦列の前に出て先導する軽装歩兵の隊列に合わせて、掛け声とともに歩を進め、斜めに陣を伸ばしつつあった。
ラジカ王は唇を噛み締めて、未だ騎兵たちが殺し合う丘の中腹を睨んでいた。
最後に残ったコルキア騎兵は帝国騎兵の騎槍の付け根を掴むと、懐に入り込み短剣の先を鎧の間隙に叩きつけた。男は地面に投げ出された敵騎兵を馬で踏みつけると、踵を返して森の中の脇道に姿を消した。
「全騎兵! 騎槍持て!」
ピピンは、わき腹から滲んだ血を押さえながら叫ぶと、死体の手から槍を奪って丘を駆け上った。今までピピンの話術に乗せられ楽観的であった傷だらけの騎兵たちは、敵の伏兵を見て敗北を悟ると、決死の覚悟で彼の後につき、馬を全速力で走らせ、敵歩兵の戦列にぶつかった。
「もはや、これまでだ……」ラジカ王は敵兵の波が丘を駆け下るのを見て、呟いた。
「しかし、まだ頭数では負けておらん」シルクリフは言った。
「敵は右翼に戦力を集中する分、こちらよりも戦列が薄くなっておる。確かにこちらの左翼は壊滅するだろう。だが、こちらも右翼の展開を間に合わせ、敵左翼を破壊できれば、食い合う形で互角に渡り合えよう」
老人は目聡くラジカ王の異変に気付いた。「逃げるのであれば、まだ待った方がいいかもしれんな。逃げ道にはあの遊牧民どもが待ち構えているはずだ。左翼兵の逃走に紛れ込むのがよい」
ラジカ王は、背後で遊牧民の笑い声が響くのを聞いた。それは、あの連日の襲撃の際に耳にしたあの薄気味の悪い、遊牧民が獲物を追い立てる時の声だった。
それを聞きつけたのはラジカ王だけでなく、左翼の歩兵も同じであった。彼らはそれを恐れるあまり移動を止め、守りを固め始めた。
楔形陣形を取って再び突撃を始めた帝国騎兵は、コルキア軍左翼と衝突し、戦列を乱し穴を開けた。
彼らは傷だらけの寡兵でありながら、たったの三列しかなかったコルキア重装歩兵を容易く突破し、軽装歩兵の戦列を突き抜け、死に物狂いで敵将を目指し駆けた。
この戦に派遣された帝国騎兵のその多くは新兵であった。また、カガンが殺した二人の指揮官も帝国軍人の子弟で、いくつかの戦場を経験したばかりの未熟な指揮官であった。とはいえ、その内の一人は初陣にして小隊長を任せられ、それを十分にこなすなど優秀で、将来を嘱望されていた……。
輜重が燃やされたのは襲撃の初日であった。敵は夜半に野営地に忍び込み、荷車に火をつけたのだった。その火災が、彼ら帝国軍の命取りになった。
その火災によって千に近い兵は焼かれ、兵站の大半を失ってしまったのだ。それは、帝国軍の栄誉を傷つけ、特に二人の指揮官の闘争心に火をつけてしまった。そのうちの一人は何よりも、叔祖父の戦歴を傷つけられたことに酷く憤り、もはや監督役のシルクリフには抑えられなかった。
明け方、二日目の襲撃があった。二人の指揮官は夜通し見張りをして疲れ切っていたものの、千の騎兵を連れ立って、襲撃者を追った。
……。
シルクリフは、逃げ延びた騎兵から話を聞かされ、急いで馬に飛び乗った。
彼の騎馬隊が姿を見せるや否や、襲撃者たちは一目散に逃げだした。三方を急峻な丘に囲まれた袋道であった。
一人の指揮官は既に息絶え、姪孫は老人を見て安心したのか涙を流した。首に生半可に刺さって折れた矢からは滔々と血が溢れ、言葉を発することすらままならなかった。矢じりを抜けないように、矢は傷口近くで折られていた。足はへし折られ、指は醜く曲げられ、それとは正反対に、美しい顔には傷一つなく、恐怖と苦しみをありのままに伝えた。
シルクリフは、苦しみを終わらせようと家宝の直剣を抜き出して、彼に贈ろうと考えていた剣を抜き出して、彼の首に突き立てた。
老人は、遺体から彼の十字を取り出した。それから、何日も泣き腫らした。
その間、ピピンは内側に引っ込んだ帝国騎兵に取り入った。ラジカ王は同情をついには苛立ちに変えた。
シルクリフは、初めて戦場にいて自信という物を失くしてしまった。しかし、仇は打たねばならなかった。
故に、敗北のまま故郷へ帰ることができなかった。
この命がけの突撃は、必然だったのだ。
一人の帝国軍騎兵がとうとう、レオンのすぐ側まで迫った。老人は、それを見守った。もし、あの誇り高い帝国人が敵の将を打ち取ったのなら、あの子は報われる。わしらの愚行に散っていった帝国人たちは報われると。
しかし、最後の騎兵は弩の一斉射撃にあっけなく命を落とした。シルクリフは奥歯を噛み締め、それでも……、胸のすく思いだった。
コルキア軍は、崩れかけた左翼陣の立て直しをしなくてはならなかったが、それでも縦深の厚い右翼から突撃を敢行した。
結果として帝国騎馬の誇りを懸けた突撃は、コルキア軍左翼の衝突を遅らせ、結果的に右翼の展開を完成させた。騎兵は敵兵の波に踏み飲まれ、突撃をした全員が命を落とした。
「軽装歩兵、投石開始!」
シルクリフは自軍の展開が完成したことを見届けると、停滞し、不格好な陣形になった左翼を見捨てて号令を発した。重装歩兵の前に出ていた軽装歩兵たちは、殺到する敵兵の波に投石を開始した。
「重装歩兵、衝突に備えろ!」
彼は、暗闇の中で人波の慌ただしい音を聞いていた。痩せたロバを曳いて、コルキアとは比べ物にならないほど豊かで、露店で埋め尽くされた色とりどりの道を通っていた。嗅いだことのない薬の匂い、店先に暖簾のように掛けられた美しく手触りの良いシルク。彼は道を行って、ある家に入った。そこに住む農民の老人は彼を迎え入れ、いつものように彼の暮らしぶりを根掘り葉掘りと聞いた。彼はうんざりとしながらも答えた。すると、老人は礼と言って彼に飯を食わせた。彼は食い終えるとまた家を飛び出して、市場の品物を見に行った。
彼は内心この生活を気に入っていたが、ついに毎日変わっていた品物や色、匂いが変化を持たなくなり、老人が同じ話を四度もしたためにその街を飛び出した。
何故、こんな夢を見たのか。
カガンには分からなかった。ただ、足首の夢を見るよりはましだと言い聞かせると、体を捩ってうつ伏せになっていた顔を横に向け、深く呼吸をした。肋が折れているのか、激痛が走った。
向こうの木の上に、一羽の梟が彼を見つめていた。彼はいたたまれない思いだった。
彼のすぐ目の前で大軍が丘を駆け下るのが見えた。分厚い右翼の縦列が先陣を切って、斜めに傾いた戦列が丘を下って行く。彼のすぐ下で待ち構える丸い盾の歩兵と投石兵たちが、待ち構えるように丘の上の敵兵を睨んでいた。
とすると、こっちが俺の軍隊か。ここに居ちゃまずいな。
カガンは、頭を下にして横たわった状態から木の枝を掴んでなんとか立ち上がると、折れた左腕を庇いながら這う這うの体で木々を頼りに丘を登り始めた。
衝突の弾ける音がする寸前、右翼側の端にいた軽装歩兵たちは散開しようと森に飛び込み、杭を踏み抜いて悲鳴を上げた。もはや逃げることのできない軽装歩兵は、味方の戦列をかき分けて逃走を試み、他の者はただ死ぬのを待った。
丘の反対側から、順に激しい衝突の音が聞こえた。カガンは思わず体を震わせた。そのすぐあと、左翼歩兵が彼とすれ違い、また凄まじい衝突の音を上げた。
カガンは丘の中腹に、投げ捨てられた赤い宝石の曲刀を見つけ、手を伸ばし、崩れ落ちた。
大柄な馬に乗って、鎖帷子に身を包んだ男は彼の前に立ちはだかり、それを拾い上げた。男はそれをまじまじと見て感心したように声を漏らすと、カガンの喉元に突きつけた。
「やってくれたな。カガンよ」男は憎らしそうに顔を歪めた。
「お前のせいですべて狂っちまった。命乞いするか?」
カガンはゆっくりと顔を上げ、男を見上げた。「なんだ、お前か」
彼はピピンを認めると、気怠そうに立ち上がった。「商人になった夢ってのは、吉兆か?」
ピピンは拍子抜けして、真面目に考え始めた。
「聞いたことがねぇ」
「じゃあ、女の足首を持ってる夢は?」
「老婆なら凶兆、若い娘なら吉兆だ」
カガンは笑みを浮かべた。「そんなら、お望み通りやってやるか」
彼は、足元に転がっていた帝国軍の折れた騎槍を拾い上げ、胸の前で構えた。




