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35-ツクナライ丘陵の戦い- 5.伏兵、鐙、そして号令

 カガンを先頭にした遊牧民騎兵は森から姿を現すと、剛弓から放たれた矢で敵騎兵を確実に仕留め、丘を下って勢いを増し、敵騎兵隊に向かって丘を駆け下りていく。彼らの後ろには、鹵獲(ろかく)した帝国の馬に乗り、騎槍を構えたコルキア騎兵が続いた。


「構うな! 狙いは敵の戦列だ! 勢いを殺すな!」ピピンは顔中から冷や汗を噴いて、もはや戦意と共に勢いを失いつつあった帝国騎兵たちに叫んだ。

「あれさえ、あの薄っぺらい歩兵の列さえ壊せば、もはや勝ったも同然だ!」


「こっちも構うなよ!」カガンは笑いながら叫んだ。

「勢いを殺さずに、突っ込むんだ! 勢いを失った重装騎兵なんて怖くもねぇ!」


「カガン! また貴様か!」ピピンは肉の分厚い顔を憎しみで歪めながら叫んだ。


「歯ァ、食いしばれよ! ピピン!」彼は弓を掛けて、腰に佩いた赤い宝石の曲刀を抜き出した。


 カガンが言い切った瞬間、二つの騎兵隊は凄まじい音を立てて衝突した。

 カガンの騎兵は丘の上斜めから刺し込むように、騎槍を構えた敵騎兵の大軍の側面にぶつかった。彼らは、敵騎兵を空高く吹き飛ばし、後方の騎兵が一目散に逃走するほどの惨状を作り上げた。


 この騎馬同士の接近戦において、数に劣っていたコルキア騎兵は帝国騎兵と優位に戦った。一つは、遭遇戦で敵の側面を突き、大きな損害を出させたことにあった。そして、その後の白兵戦を優位にしたのが鐙の有無であった。鐙により馬上でも踏ん張ることができたコルキア騎兵は、敵に致命傷を負わせることができた。


 カガンは敵騎兵三騎をすれ違いざまに仕留めると、コルキア騎兵と揉み合ったピピンを狙い、馬を反転させようとした。その時、彼の馬の横っ腹を敵の騎兵がぶち当たり、彼を宙空に弾き飛ばした。

 彼は激しく地面に衝突し、敵軍右翼前方まで丘をずり落ちた。


 レオンはそれを見て、豹変したように顔中に血を(たぎ)らせ馬を走らせようとした。アレクシアは透かさず手綱を取ってそれをたしなめると、我に返った少年に優しく言った。

「まだです。まだ、その時ではありません。軍の騎兵が引くまで待ってください」


 少年は頷くと、深く息を吐いて自身を落ち着けようとした。だが、彼のズキズキと痛む心臓は穏やかになることなく、動かなくなったカガンの体を捉えた視界を揺さぶった。

 その間にもコルキア軍の進軍は続き、アレクシアは、丘の裏から聞こえる規則正しい足並みでゆっくりと駆け上がる音に耳を澄ませた。



「よいか、ラジカ王よ」シルクリフは怒りを露わに、目に涙を浮かべ、帝国騎馬の奮闘を見ていた。

「もはや、わしの騎馬は終わりだ。わしに指揮権を譲るのだ」


 ラジカ王は自分の腿を思いきり殴りつけると、言葉にならない怒号を発した。

「遊牧民など、信じるべきではなかった!」


「その通りでしょうな」老人は悔しそうに頷いた。

「奴とて無能ではないが、敵の策が一枚上手だったのだ……。

 それに加え、この末広がりの丘の斜面は敵が仕組んだもの。左翼が糞詰まりを起こすようにとな。陣形にも問題があった。兵どもは神出鬼没の、居ないはずの敵の襲撃を恐れて、陣形の内側へと詰め過ぎていた。無意識のうちに……。そして、伝令がうまく機能しなかったのだろう」


 ラジカ王は鼻で笑うように、自嘲気味に笑うと、老人を睨んだ。

「説教はいい。それで、貴様は本当にすべての罪を受けるのだな?」

 彼はもはや必死であった。無敗を誇った帝国騎馬を率いて、数で勝る敵相手に大損害を出した老いぼれの将にすがる屈辱さえも感じないほどに。


「もちろんですとも。わしの老いぼれた肉体などどうでもよいが、わしが一番悔しいのは戦に負けることなのだ。もはや、わしの命など、何の価値もない」

 老人は、剣の柄に巻かれた十字に言い聞かせるように言った。そして、呟いた。

 わしは、今まで何をしていたのだ。農民のわしを拾った帝国に報いもせず……、すでにわしに生きる意味などなかったのに……。


「よかろう。貴様が指揮しろ」

 ラジカ王は言った。


 老人は含み笑い、目を眇め自軍左翼を見た。「前進やめ!」

 老人は、後列の兵士に叫ばせた。

 左翼の遅れでちぐはぐになっていた戦列はゆっくりと前進を止めた。


「中央を右翼に素早く移動させ、左翼を中央にまで展開させよ! 間隙を作るな! 敵騎兵に差し込まれるぞ!」


 唇を噛みながら、丘の上で進軍し始めた敵軍を注意深く見るラジカ王に、老人は皮肉っぽく微笑して見せた。

「なぁに、ラジカ王よ。それほど心配するな。こちらにはまだ一万三千以上の歩兵が残っている。敵は八千。負ける道理が無かろう」


「おい……、あれはなんだ」

 ラジカ王は茫然自失で、しきりに丘の上にせり上がる並んだ人影を指さした。


 老人はそれには取り合わず、敗走した騎兵を追いかけて、がら空きになった自陣右翼に迫る敵の遊牧民騎兵隊の対応を優先した。

 そして、老人は、仇の敵騎兵の将が、丘の木陰に力なく横たわっているのを見つけた。

「弓兵構え! 敵騎兵を迎え撃て!」


 ラジカ軍が一斉に弓を放ったその時にも、丘にせり上がり、敵軍に加わる人影は段々と増え、怯えたラジカ王は老人を怒鳴りつけた。

「おい! あれはなんだ!」


 老人は、コルキア軍右翼に敵の援軍が続々と加わっているのを認めて、腰に佩いた直剣を力いっぱい握った。

「隠しておったか……」

「軽装歩兵を前列に出させて重装歩兵を誘導させ、左翼の遅れを利用し、陣を斜めに作らせよ。右翼の端を、あの遊牧民の男の前まで伸ばすのだ」

 老人は、手に力を込めるあまり、手の平から流血させながらも呟いた。

 今度こそは、必ず殺してやるぞ。下種(げす)め。モンテよ、見ていてくれ。必ずあの男を殺してやる。



 矢の雨が降り注ぐ中、バートル騎兵は丘を駆け下り、右翼にできた大きな間隙に入り込むと右翼側面から矢を放ち、敵軍の展開を妨げた。


「何としても、あの遊牧民どもを仕留めろ!」ラジカ王は叫んだ。


 バートルは敵兵と矢の応酬をしながら、丘の中腹で戦いを続ける騎兵たちに目をやった。

 騎兵たちの決戦地に迫るコルキア軍は、槍を構えながら丘を下り続けた。

 彼は、もはや敵軍の展開が間に合わないと悟ると、敵の背後を通り、姿を隠した。



 丘の上にはコルキアの一万一千の兵が全貌を現した。右翼に偏ったコルキアの伏兵三千は、停滞した敵軍左翼を破壊するように、二十列の深い縦列で既存の隊列に加わった。



 レオンは、重装歩兵の加勢が間に合わないことを悟ると、騎兵に退避するよう号令をかけた。怒りと自信に満ちた声は、戦場の混沌の中で兵たちに明快に響いた。

 丘の中腹で戦うコルキア騎兵たちが逃げ去り、最後のコルキア兵が戦場を離れたのを認めると、彼は命令を下した。

「突撃!」

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