3-魔女
カガンはシルクで覆われた柔らかな寝具の上で目を覚まし、火照った体を冷ますように、手の平に残った嫌な感触を擦り付けるように、何度も手の平で表面を撫でた。全身にまかれた包帯は、動くたびに焼けるような痛みを発した。
「目を覚ましたか」寝具の横に座り込んだ女が言った。
「三日も眠って、もう死んでしまったのかと思ったよ」
彼は動かすたびに激痛が走る首をゆっくりと曲げて目線を足元にやり、包帯だらけの手を握った。筋が強張って浮き上がるばかりで、力が入らない。
「俺は、まだ生きているのか?」
彼女は小さく笑った。「生きてなかったら、今こうして話すことはできないはずだ」
「そうか」彼は呟いた。喉が詰まるのを感じ、涙がぽろぽろと溢れ出た。
「あの傷で死ななかったのか……。俺は、ついてる」
「痛いのか?」彼女は身を乗り出して、包帯で覆われた彼の頭を撫でた。
「一体どうした。子供みたいに大粒の涙を流して。君のような男は人を殺すし、女であれば老人だって犯すんだろう? お鉢が回って来たんだとは考えないのか?」
彼は天井のぼやけた木目を見つめて、ため息を吐いた。
「俺にだって哲学はある。何でもいいってわけじゃない。俺が犯したいと思うのは、意味もなく反抗的な女だけだ。自分の立場も弁えないで俺を見下すような女だけ。そう言ったのは、くだらん尊厳のために死ぬからな。買い手に渡す前にその根拠のない自負を折ってやるんだ。その方が幸せだろう?」
「軽蔑するよ」彼女は言った。
彼は、召使の顔を見ようと首を捻った。涙でぼやけて、ランプの明かりに浮かび上がったその人影をうまく捉えられなかった。
「目元を拭ってくれ。顔が見えない」
彼女は、布の切れ端で丁寧に彼の顔を拭った。
美しい、淡い緑の双眸と、暗がりで灰色になった柔らかそうなまだ幼げな頬、それとは不釣り合いな、しかめっ面の唇の下には背伸びをするように大人びた小さなほくろが一つあった。彼女の後ろに置かれたランプが繊細な、細い輪郭を際立たせた。
「なんだ、お前か」カガンは目を回して、彼女の細い首に視線を落とした。
「知っているのか? 奴隷さん」
「ああ。小さな女王様」彼は気怠そうに言った。「俺を生かしてどうしたい? 痛い目に合わせるのか?」
「なんだ。そうすると言えば、自殺でもするのか?」彼女は緑の目を細めた。
「いいや、魔女よ。お前のために死んでやるもんか」
彼女は目を丸めた。「そうよ。私は魔女の末裔。だから、薬草に関してはちょっとしたものだ。君のために痛い薬草を塗り込んだけど。どうだった」
彼女は微笑した。
「最悪だ。動くと痛いし、目も拭えない」
「苦しんでくれるなら私は嬉しい」
彼は短く息を吐き出した。「ハッ、それで、お前は俺を生かしてどうするつもりなんだ?」
「君の名はこの国にも届いている。不死身のカガン。君が率いるたったの数百人の軍勢で砦を落としたとか、矢に当たっても倒れないとか」
「農耕民の弓で俺を殺せるか」彼は言いきった。
「だが、不死身のカガンとは気に入ったな」
「それならいいんだ」彼女は言った。「それで、私は君に私の軍勢を率いてもらいたいと思っている」
「敵は? ああ、あの男か」
「そうだ。アーカスという男なのだが、奴は貴族どもを懐柔して謀反を起こそうとしているから……」
カガンは彼女のか細い首元を捕まえて、力を加えた。
「男一人殺すのと、女一人殺すの。どっちが簡単だと思う?」
彼女は彼の腕を掴んで、抵抗して見せた。だが、彼の力むばかりの腕からですら逃れることはできなかった。
「お前を殺した方が簡単なようだな。痛みはあるようだがまだ歩ける。お前を人質にしてここを抜け出し、そのまま攫って行ってもいい」
「それは名案だ」彼女は彼を見下ろしながら、かすれた声で必死に言った。
「恐らく、私に就くよりもはるかに勝算はある。だが、私の側に就けば、一つ約束をしてやろう」
「話せ」彼は腕の力を少し緩めた。
「元の地位に戻してやる。少数であるが、お前の軍隊を持つことを許して、北の草原地帯一帯の王だと認める」彼女の緑の瞳は揺ぎ無かった。
彼は身震いした。「ああ、ああ、それはいい。だが、それだけではだめだ。俺は、今お前の命を握っているぞ」
彼女は彼の腕に、爪を立て力を加えた。
彼は激痛で悶え、彼女はするりと抜け出した。
「いてえ! ひでえよ!」彼は喚いた。
彼女は荒く息を吐くと、彼の手の跡がくっきりと残っている首元をしきりに撫でた。目の端に浮かんだ涙の粒が、ランプの明りで強調された。
「高望みはするな」彼女は言った。「お前は私に生かされているのだから」
彼の目には、それが悔し紛れに見えた。
「ハッ、アーカスという男を殺した後は俺を殺すんだろう」彼は言った。
「君は生かす」彼女は言い切った。
彼は意外な返事に面食らって、調子よく返答できなかった。
「だから、私の力になってほしい。先代の指揮官の多くはもう、アーカスに懐柔されてしまったんだ。私には、君しかいない」
彼は黙り込んだ。
「明日、また聞こう」彼女は美しい、洗練された仕草で立ち上がると戸口へ向かった。ツンとした年相応の胸や、長い髪が掛かった少し痩せ気味の背や、腰つきが際立った。
「分かった!」彼は彼女との会話を止めたくなかったかのように、彼女を逃がすまいと声を掛けた。
「あんたの味方になってやる」
「ありがとう」彼女は困り果てて曲がった眉に、さらにしわを寄せて笑みを浮かべた。
「だが、条件がもう一つだ」
彼女は目を眇めて、彼に向き直った。
「あんたを俺のものにしたい」
彼女は目を丸くして、吹き出した。その様は、年齢相応の少女の姿だった。
彼はそれを見て、懐かしみ、俺のものにしたいという欲望を確かにした。
「俺は本気だぜ」彼は、真っすぐ彼女の目を見据えた。
少女は顔を赤くし、落ち着きを失って、一度戸口へ向かおうとしたがすぐに振り返った。
「考えてやる……」歯切れが悪く、先ほどまでの自信は声に乗っていなかった。
「ただし! 私の価値は国三つ分はあるぞ!」まるで自信満々に言い切った。
「いいだろう」彼は笑みを浮かべた。「国の三つくらい簡単に墜としてやる。その時は俺の物になれ。わかったな!」
「だから、考えておくと言っただろう!」彼女は慌てて言った。
「ふん、そうなればあんたの方から俺に抱いてほしいと懇願するだろうな」
彼女は首を傾げると、再び戸口に向かった。彼はまた呼び止めた。
「なんだ、一緒に寝てくれないのか? また泣きたくなったらどうする? 薬草が染みて涙が止まらなくなるぞ?」
「そうなればいいわね」彼女は嬉しそうに言った。「それが、あなたへの罰ね」
「なあ」
「最後にして」
「なんで俺を信用できる?」
彼女は振り返ると、先ほどの、いたずらな子供っぽい無邪気な笑みを浮かべた。
「信用はしない。ただ、縋ることしかできないの。でも、あなたは裏切らないでしょう? 魔女の勘がそう言ってるもの」




