2-カガンの奴隷生活
彼は墓場にいた。暗闇の中で辺りを見回して、天井から燻った赤が差し込むのが見えた。彼はその霊室から這い出ようと、木の根を掴んでその穴へ向かった。行けども行けども、終には辿りつけずに高くまで上った。しかし、彼は上り続けた。そして、とうとう木の根は折れて、彼の手に一房の土塊を握らせたまま、地底に落ちた。土塊は、いつの間にか魔女の足首に変わっていた。
カガンは揺れる荷台の籠の中で目を覚ました。
早朝の湿って霞掛かった小川の横の道を通り、彼はあまりの寒さに身を震わせた。
「よお、目が覚めたか?」御者台に座った男は言った。周りには革の鎧で武装した男が座り込み、カガンを嘲るように笑っていた。
カガンは締め付けるような痛みの額を押さえながら言った。「ここは?」
「檻の中さ」御者は言った。「お前さんは今から売られることになった」
「それは知ってる。俺が言いたいのは違う。ここはどこだ」
御者は返事をしなかった。
「どうしてあいつらは俺を殺さなかった?」
「お前さん、自分がそれほど価値ある人間だと思ってるんかい?」御者が言うと、男は黒く焼けた顔から白い歯をのぞかせた。
「まあ、恨まれてはいるな」
「お前さん、名の知れた盗賊なんだろ? 不死身のカガンとかいう」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれん。どっちにしろ関係ないことだ」
「でも、そうでなかったら生かす意味はないよな」御者が男に視線をやると、男は棍棒で何度も彼を殴りつけた。打たれるたびに、熟れた果実のように膨れた全身からグチャリ、グチャリと音がした。
「やめてくれ、何でも言うから!」カガンは震える声で言った。
「お望みのことはなんだってしますから、許してください!」彼は泣き崩れて、腫れた頬を荷台に押し付けながら何度も叫んだ。
「お前さん、面白い奴だな!」御者は楽しそうに言うと、彼をまじまじと見ようと身を捩った。
「なんだってする! だから許してください! 本当に人違いなんだ!」
御者は聞こえなかった風に、笑い続けた。
「うーん。女でも最初は叫ばないもんなんだがなあ」御者が話す間、従者の男は握った棍棒を下げた。
「そうなんです! 俺は女以下なんです!」
「女ってのは、お前に売られた奴らのことだぞ。あいつらでさえ少しはましだった」
従者は思いきり棍棒を叩きつけた。
彼は痛みに身を捩った。
「お前は盗賊どもの頭目で間違いないな」
「ああ。ああ、そうです。だからやめさせてくれ!」カガンは叫んだ。
御者は微笑して見せた。「よろしい。初めから認めていればいいのだ」
彼は蹲って呻き、吐息のような返事をした。「……はい」
「もう、お前は奴隷なんだぜ。分かってるか? 女王様の献上品だ。行儀よくできるな?」
彼は必死に、しきりに頷いた。
「寝かせてやれ」御者が言うと、男は棍棒を彼の頭に振り下ろした。
「王女様、お許しを」カガンは跪いた。「私めは、間違いでここに連れてこられたのです」
御者たちは目を剝いて彼を見つめた。
「この男たちは私めを無理やり連れ去ったんです」彼は涙を流して、ぼやけて焦点の定まらない目で、恐る恐る玉座を見上げた。
彼女はまだ幼く、痩せた体を白のチュニックで覆っているように見えた。
彼女はカガンをまじまじと見て、微笑した。「それは本当なのか? ホルツキ」
彼女はあの御者の方を見て眉を顰めた。
ホルツキは落ち着き払った声で返事をした。
「いいえ。そのようなことはありません。この男は不死身のカガンと呼ばれる盗賊に間違いありません」
「ふむ」彼女は頷いた。「では、この男が嘘を言っているのか? ホルツキ」
「嘘です! 王女様!」カガンは叫んで、青くなった左腕を彼女の方に差し出した。
「あの男の従者に何度も何度も殴られました。棍棒でです!」
「嘘です、女王様」あの男は淡々と言った。
「まあ、待て。ホルツキ。この男の言葉を聞きたい」彼女は不敵に笑って見せた。
「何があった? 私は優しいんだ。信じて何でも話してくれ。奴隷の男よ」
「ありがとうございます。王女様」
彼は額を床につけて感謝を示した。
「私めは、ただの猟師で、兎なんかを狩っていました。ですが、この男は仲間たち数人と馬を連れてやって来たんです。私たちは最初歓迎しましたが、すぐに奴らは本性を現して!」
「待ちなさい。奴隷の男」彼女は憐れむように微笑んだ。
彼女は玉座から立ち上がり、目の前でしゃがみ込んで緑の目でまじまじと男の顔を覗き込んだ。周りからは窘めるようなどよめきが上がり、彼女の側に立っていた男は憮然とため息を吐いた。
「そうだなあ。まずは君の暮らしぶりから知る必要があるかな。家族はいたか? 妻は?」
「妻、妻はいました。それと一人の老人と暮らしていました」
「それはお前が殺した人の事か?」ホルツキは憮然と言った。
「商人、わきまえろ」彼女が言うと、彼は目を回して黙り込んだ。
彼女はカガンの腫れあがった頬に手を当て、労わるように親指の腹で撫でた。
「さあ、言ってごらん。ことによってはこの男を罰してやろう」
「もうやめにしませんか!」
玉座の側に立つ男は叫ぶように言った。男は細身で長身の中年で、黒い髪を短く整えていた。
「ホルツキ、この男を連れて帰りなさい。このような者はコルキアの王家にふさわしくない」
「それは私が決めることで、あなたの決めることではありませんよ」
彼女は立ち上がり、男に食って掛かった。「決めたわ! ホルツキ、この男を買いましょう」
「では、最初のお約束通り……」
「待ちなさい!」中年の男は言った。
「ホルツキ、わかるか? このような男はコルキア王の奴隷にふさわしくないんだよ。そもそも、このような汚らしいを男を宮殿に連れ込むなど……。すぐに連れて帰りなさい」
「残念ですが、ここの玉座は私の物であって、あなたの物ではありませんよね」彼女は男に詰め寄った。
「ここにあなたの玉座はありませんので。命令したいのならご自身の玉座にお戻りになられてはいかが?」
「今の言葉は取り消せませんよ」男は奥歯を噛み締めて、彼女を睨んだ。
「それは脅しですか? アーカス殿?」
男は、取り繕うように引きつった笑みを浮かべた。「いえ、いえ。違います。ただ、助言しようと……」
「そうですか。あなたが何と言おうと、この男を私は気に入りました。買いましょう! ホルツキ」
「し、しかし」
「私はあなたの意見を尊重して、初めて奴隷を買うのですから、私の好きにしてもいいはずですよ。そうですよ。私はあなたの顔を立ててこうするんですよ。自分の考えを曲げてまで。あなたが謀反を起こさないように」
「謀反など、滅相もない!」
「ちょっと待て! おい、俺はどうなる!」
カガンは呆気に取られていたが、腹立たしさに任せて叫んだ。「おい! こいつ、この、ホルツキとかいう犯罪者へのお咎めは?」
「あー、カガン。悪いね」彼女は憐れむように彼を見下ろし、すぐに目を逸らして悪びれもなく言った。
「私が君を連れてくるように頼んだんだった」
「私めは、カガンなどという名ではありません!」カガンは叫んだ。「私めは、ただの猟師でございます!」
「ハハハ!」彼女は玉座の前で恥知らずに笑いこけた。
「その太々しさ! ますます気に入った! 私のものにしてあげる」
「だから、違います!」
「女王様、これで黙らせましょうか」ホルツキは笑みを浮かべて、懐からあの棍棒を取り出した。
彼女はそれを受け取り、小さな肩から腕をぴんと伸ばして、カガンの前に突き出した。
「ほら、君の名前は?」
カガンは古くない、檻の中の記憶を思い出だし、全身のあざを震わせた。
「私めは、私めは……、カガンでございます……」
「よろしい」彼女は彼の腫れた鼻にそれを押し付けた。「私の物になるのね?」
「はい……」彼は息を呑んで頷いた。「私めは、遊牧民のカガンでございます……。あなた様の奴隷です」
「よろしい。では、君を飼うことにしようか」彼女は意気揚々と言って、棍棒を投げ捨てた。
カラン、と石の床を跳ねる音を聞いて、安心しきった彼は気を失った。




