12-ニーナと強欲な貴族
カガンは、今の所はあの女王様に会わなくていいやと決めて、針で刺されたような激しい頭痛の間、ずっと寝具の上で深く息を吐いていた。
「ニーナ。来い」カガンが言うと、部屋の脇に立っていた召使が寝具の側に素早く寄った。
彼女は他の召使と同じように髪を覆うフードを被って、チュニックを厚めに着込んだ若い召使で、昨夜アーカスがカガンに与えた女だった。
彼女は、昨日から一睡もしていないはずなのに眠気を感じさせない態度で、すっと背を伸ばして立った。
カガンは昨夜の彼女の姿を思い浮かべた。黒髪の巻き毛で、生気を感じさせない黒目、死んでしまったかのように唇は血の気が引いて真っ白だったことが印象的だった。
ただ、その均整の取れた身体や容貌には、あの中年男も見る目があるなと感心するほどだった。ラジカの女はどれほど美しいのだろうかと彼は考えることを止められなかった。
「どうされましたか。カガン様」彼女は落ち着いた優しい言った。
「お前も大変だな。奴隷の世話をするなんて」彼は歯をむき出して笑った。
「お前の方が奴隷のようだ」
彼女は白い唇を曲げて微笑した。微かに、軽蔑の念が滲んでいるのが見て取れた。
「今、クタシ砦の貴族はこの砦にいるか?」
彼女はご主人様たち――アーカス陣営のことをよく知っているようだった。
「はい。クタシ砦のクジン様はいらっしゃいます。他にも西側の貴族の方々が数名いらっしゃいますが」
彼女は言った。
「お会いになりますか?」
「ああ。案内してくれ。挨拶しないとな」
彼女は細い首を曲げて頷いた。
「ニーナか」禿げ頭で、赤ら顔の体格のいい禿げ頭の男は彼女を見て眉を上げ、彼女を抱きしめた。
そして男は見慣れない客人を見るや否や、すぐに眉と彼女を降ろした。
ニーナはこの男がクジンで、アーカス陣営の最も有力な貴族の一人なのだとあらかじめカガンに説明していた。
彼は、不在のアーカスの部屋でアーカスの椅子に深々と座り、いくつかの勝手に読み漁って広げられたスクロールを机の上に投げ捨てていた。着込んだローブには宝石が散りばめられていて、口調や態度から嫌な商人みたいな奴だとカガンは思った。机には飲みかけのワインのグラスがあった。
「ニーナ。こちらの方は?」
「クジン様、こちらはカガン様です」ニーナはあの軽蔑するような微笑を向けて、男に返事をした。
彼はまた急いで立ち上がると、近寄り、カガンの姿をまじまじと見た。
「ああ、お前がカガンか。レオン様の従者に打ち負かされたそうだな。痛々しい姿だ!」男は質の悪い酔っ払いのように豪快に笑うと、彼の肩を叩いた。
「なに。落ち込むことはない。あのヘラクレスの生まれかわりである女武者に善戦したそうだし。それに、あのアーカス殿がお前のことを褒めていたくらいだ。お前は我らの戦力になると確信しているぞ」
「そうか。よろしく」彼は遠慮なく言った。
「お前はどうやら不死身のようだな」男はにやにやと笑うと、彼の肩に腕を回した。
「いやすまん。アーカス殿にはいろいろと聞かされたよ。あの女に滅多打ちにされて生き延びるし、その口ぶりだ。本当に自分が死なないとでも分かってるようだ。
農耕民のやり方では、偉い人は敬うもんだぜ? 時々、それで命を落とす奴もいるんだ。だが、俺は優しいからな。赦してやるぜ。兄弟よ!」
彼は、カガンを抱き上げた。
クジンは彼を降ろすと向き直り、彼の両肩に手を置いて、深刻そうに言った。
「それに、あの遊牧民どもの指揮をする代わりに、略奪に対する恩赦とあの女王を奴隷にする権利を要求する……、か」
男は再びあの大声で笑い出した。どうやらこの男は相当酔っているらしかった。
「いくらアーカス殿を惚れさせるほど賢くあっても、遊牧民としての欲望は弁えられないか! しかし、アーカス殿もこのような要求をよく呑んだものだ。本当に、お前に惚れこんでいると言うことだろうな」
「俺が就いた方は必ず勝つだろうからな。アーカスが俺を欲しがるのも無理はないさ。ともかく、俺はアーカスと話がしたい」
「いいぞ。言え。俺が伝えておこう」男は額に大汗をかき、半身をこちらに向ける形で元の席に戻った。またワインのグラスを傾けた。
「だが、俺はアーカスと話がしたい。戦の話だ。お前にわかるのか?」
「いや構わん。言え」男は前のめりになって脅すように言った。
「お前の役割は、遊牧民を率いて各地の砦を襲い、勢力を集中させないことにある。そして、お前と同じように、俺もこの戦いにおいて重要な役割がある。いいか? 奴ら補給は俺に任せっきりだ。お前は俺が要らないとでも?」
「……。まあいい、そうしよう」彼は気圧されたように小さく頷いた。
「騎兵の指揮をするとは言ったが、遊牧民どもの頭にはならないと言うことを念押しに来た」
男は苛立たしそうに首を傾げた。
「しかし、お前が同意したのは、遊牧民傭兵の指揮だ。お前はそれに同意したんだ。」
「いや、違う。俺は、騎兵の指揮をすると言ったはずだ。遊牧民傭兵の長に座を譲れと言っても反感を買うだけだ。そうなると、こちらを襲い始めるかもしれん。だから、それは不可能だ」
「そうだろうな。俺でも想像がつく。アーカス殿は遊牧民騎兵の強さを知っていて、お前にそれができると考え、そして、それ以上の働きと武勲を期待してお前にこれほどまでの褒美を取らせるのだ。これはアーカス殿への裏切りになるぞ。なぜ、今更そんなことを言う」
彼は不自然に微笑した。「言ったろ。俺が同意したのは、騎兵の指揮だ。あいつらの頭になることじゃない」
「だが、アーカス殿は遊牧民傭兵の指揮をすると言っていたが?」
「それなら、俺かアーカスの間違いだ」
男は深く息を吐いて、まるで怒りを抑え込むように唸った。
「遊牧民風情が。兎でも追っていればいいものを……。できぬとなれば、お前は裏切り者だ。この話はここだけにしておいてやる。とっとと失せろ」
「代案がある」彼は臆さず言った。「お前たちには思いつかない方法だ」
「言ってみろ」
「言ってもいいが、俺はアーカスがいる時に話したい」
男は勢いよく机を殴りつけた。スクロールが微かに浮き上がって、カランという乾いた音と共に机の上で跳ねた。
「言っているだろう! これはアーカス殿には言えぬことだと!」
男は咳払いした。
「代案の内容にもよるが、それとなく伝えてやってもいい。俺はお前があの女武者を倒し損ねたとはいえ、期待しているんだ。あまり失望させるなよ」
彼は小さく頷いた。「わかった」
「ニーナ!」男は戸口に立っていた召使に怒鳴った。「少し席を外していろ」
「しかし……」彼女は遠慮気味に食い下がった。
「いいから出て行けと言っている!」男が声を荒げた。
「いや、出て行かなくていい」カガンは彼女を庇うように言った。
「俺はどちらにせよアーカスに伝えるつもりだ。ニーナがこれを伝えてくれるのなら手間が省ける」
「わかっていないな」男は語気を強めて言った。「これは裏切りなのだぞ!」
「しかし、アーカスは戦での働きを期待して俺を選んだ。この案は真っ向勝負をするよりも確実な方法だ。どのような方法であれ、俺が戦の役に立つなら、アーカスは俺を使うだろう。何か不都合があるのか?」
「しかしだな……」男は唸るように言った。「……わかった。とにかく言ってみろ」
「最初からそのつもりだ」彼は言った。
「まあいい。まず、あんた。騎馬の強みは何だと思う?」
「さあな」男は不機嫌そうに言った。
「いや、白兵戦か」
「そうだ。馬と弓。これらのおかげでたったの少数であっても、帝国の軍隊すら粉砕するほどの力を持つことができる。しかし、攻城戦に置いて、石の壁に馬は役に立たないし弓は弾かれてしまうだろう。欠点はこれだ。わかるな?」彼は言った。
「ああ。知っている。だから、トビリスにしても、クタシにしても奴らに近い砦の壁はより頑強にするのだ」
男は苛立たしそうに言った。
「アーカスの作戦はこうだ。兵をより多く集めて、押し寄せる波のように西から東へ攻め込む。俺のような有能な指揮官を使うのに、よりにもよって攻城戦をしようとしているのだ。だが、それはどうでもいい。ネックは西からというところだ。もとより攻城戦なのだから、内側から攻めればすぐに方はつくだろう。わかるな?」
「ああ。だが、お前が言いたいのはなんだ? つまり、西と東からの挟撃か? トビリス砦には王家に忠実な貴族がいる。こちらに寝返るとは思えん。第一、この起伏の激しい国の西から東までは強行軍でも早くて七日ほどだ。それでどのように挟撃することができると言うのだ?」
男は勝ち誇ったように笑っていた。
「まず、俺が言った内側ってのはこの砦の事だ。東から来ずともここを内側から食い破ってしまえばいい」
「違うな」男は得意げに言った。
「この砦を真っ先に落とすにしても、どのように西の軍隊に伝えることができるかが問題なのだ。この砦を落としたとして、トビリスから来た敵軍や女王側貴族が砦を取り返そうとすれば、あっという間に手放さねばならなくなるだろう。西からの援軍を待つにしても素早く伝える手段がなければならない。要するに、我々にはその手段がない。だから不可能なのだ。敵地での孤立は自殺行為だ」
「馬を使えばいい」彼はあっさりと言い放った。
「ラジカとの間にいくつかの駅を作ってそこに伝令を行かせればいい。馬が疲れたなら、駅の馬に乗り換えることで休むことなく素早く伝達ができる。七日の距離なら半日で到達できるはずだ。これが賢いやり方だと思わないか?」
男はばつが悪そうに考え込むそぶりを見せて、唸った。
「確かにそれはそうだ。だが、女王に秘密でそのような施設が建てられるとでも?」
「可能だ。俺は女王様に信頼されてるからな」
カガンは歪みきった微笑をしていた。
クジンは彼の笑みを見て、苦々しい表情を浮かべた。
「それほどまで、あの女を恨んでるのか?」
「さあ。何のことだ。俺はただ、あの女が俺みたいな男に犯されてるのを想像すると、この顔がやめられないだけだ」
彼は冗談めかして言った。
男は大声で笑った。
「ああ。そうだったな。お前の望みはあの女を奴隷にすることか。いくら賢くともやはり欲は遊牧民の物だな」
「お褒めにあずかり光栄ですよ。クジン殿」
「素晴らしい案だった。しかしな、お前は一つ見落としている。それは、この国には騎兵はあるがそれは有名無実だということだ。騎兵がいなければ馬もろくなのがいない」
「では、馬を買っていただけませんか? クジン殿」
男はまた大声で笑った。
「おお。今度は恭しくなったか! 器用な奴だな! いいぞ、お前の案に乗っかってやらんこともない。それで、お前は何を差し出す?」
「そうだな……。農耕民族が遊牧民とほとんど相違の無い程度に馬を操ることができるとして、それを可能にする道具の作り方を教えるとすればどうだろう?」
男は身を乗り出して目を剝いた。「ほう。それは面白いな。ぜひ聞かせてくれ」
「それは鐙という馬具だが、それの作り方を教えよう。それに、馬を揃えるのなら騎兵の訓練もする。どうだ?」
「うーむ……。もう一声だな」
「だが、俺はもうこれ以上持っていないぞ」
「いや、お前が手に入れるものを少し分けてくれたらいい」
「例えば?」彼は目を細めた。
「女王様だ」
カガンはため息を吐いた。
「わかった。じゃあ、あの女を最初に犯してもいい。これでどうだ?」
男は笑った。
「面白い奴め! 気に入ったぞ! そうしよう! しかしだな……。俺はお前を心底気に入ったぞ! 兄弟!」
男は身を乗り出して、彼を抱きしめた。
「お前のような面白い男は今まで見たことがない!」




