1-カガンの牧歌的生活
カガンは大きく欠伸をして、二人の女を繋いだ荒縄を無遠慮に曳きながら、小屋の中でうなだれるようにして座り込む女を奪い合う二人の男を蹴飛ばした。
「おい! そんなとこで何してる! 商品を傷つけるんじゃねえぞ。馬鹿ども」
「すいません。お頭ぁ」小太りで汚れた金の髪を額に張り付けたピピンは、雨が降った後の崩れやすくなった土手に手をついた。
「でも、違うんですよぉ。こいつが俺の女を盗ったんでさぁ」
痩せて、前歯の無いニギは、目を向いて唾を飛ばしながら言い返した。
「これは俺が見つけたもんだろ! お前が嘘を吐いてんだ! 盗人が!」
そう言うと、彼は飛び上がってピピンに殴りかかった。
見苦しさのあまり、カガンはため息を吐いた。
「おいおい、落ち着けよ。見苦しいぞ馬鹿ども。俺がどっちの物か決めてやる」
彼らはお構いなしに喧嘩を続けた。ピピンはいつものようにニギに馬乗りになると、何度も殴りつけた。ニギは額から血を流して、呻き声を上げた。
「俺が決めてやるって言ってんだろうが!」
カガンはピピンを思いきり蹴りつけた。彼は情けない声を上げて倒れ込み、腹を抱えた。カガンは彼らの前に座り込み、微笑して子供に言い聞かせるように言った。
「俺が、決めてやる」
「でも、俺が最初に見つけたんだ!」ニギは怖気づくことなく叫んだ。
「いいか? それでも、俺がお前たちの頭だ。喧嘩を見過ごすことはできないな。もし俺が命令したら、お前はいつものように従うだろ? そしたら、ピピンと喧嘩せずに済む。それは、お前にとってもいいことだと思わないか?」
すると、ニギは期待に目を輝かせて、彼の黒い目を見つめた。
「もちろんだ! そしたら、あれは俺のだよな!」
「さあ、どうだろうな。まずは女を見ないとな」カガンは小屋の中に入り込み、俯いた女の顔を無理に引き寄せた。白く、痩せ気味の肌の割にはつやつやとした黒い髪で、若々しい凛とした目つきの女だった。彼女はまるで殺してやろうかと挑みかかる烏のように、見下すように彼を見上げて睨みつけた。
彼は、苛立ちが湧き上がるの感じた。彼は女の頬を叩いた。
彼女は悲鳴も上げずに、ただ彼を睨みつけた。彼女の表情には得体のしれない自信と、拠り所の無い尊厳が溢れんばかりに感じ取れた。
「よし!」彼は言うと、女の腕を掴んで強引に引っ張り上げた。
「こいつは俺が貰っていく、ほら、あれだ。迷惑料だ。俺の手を煩わせただろ?」
ニギは眉を顰めて、不服そうに彼を見ていた。
「安心しろよ。ニギ」彼は微笑した。
「こっちの年増の方を一人やるよ。二人で仲良く分け合えよ」
ニギの表情は些か和らいだが、まだ不服そうだった。
「いいことを教えてやろう」カガンは言った。
「お前が選んでいいんだぞ。自由に! さっきは一人を二人で奪い合ったが、今度は二人の中から一人、お前が選ぶことができる。それをピピンと分かち合うんだ。素晴らしいと思わないか? いいよな、ピピン?」
ピピンは腹を抱えて、何か吐き出しながらしきりに頷いた。
ニギの表情は重い曇天の下で輝くように、影一つなかった。
ニギは意気軒高と肉付きのいい女を選ぶと、ピピンの手を取って踊りながら女を連れ去った。
「おいおい、そんな目で見るなよ」カガンは新しい奴隷の手首を縛りつけながら、彼女に微笑して見せた。
「何の自信があってそんなに強気でいられるわけだ? お姫様よ。お前みたいな女は、痛めつけて、痛めつけて、殺したくなっちまう」
「殺せばいいわ」彼女は頬を震わせながら微笑して見せた。彼女の薄く開いた眼からは侮蔑の念が漏れ出た。
「言葉の綾だ。俺は、殺しはしないさ。大切な商品だし、何よりお前の自信を打ち砕くのが楽しみで仕方がない。奴隷になるのは死ぬことよりも恐ろしいぞ」
彼の表情に恐れをなしたかのように、彼女の笑みは引きつって、痙攣した。
カガンはもう一人の奴隷に洞窟まで案内させると、中で、薄い唇を青ざめるほど強く噛みしめる老人に声を掛けた。
「|酋≪しゅう≫長さん。土産を持って帰って来たぜ」
血塗れの老人は酷く腫れあがった顔を上げて、立ち尽くした少女を抱き上げようと立ち上がった。
侵略者に荒らされ、まるで虚ろな朽ち木の洞のように風が吹き抜ける洞窟の聖地を松明が照らし、浮かび上がった老人の姿を見た少女は勢いよく泣き崩れた。
「おお! ということは本当にお姫様か!」カガンは楽しげに言った。
老人は震えるように泣き出して歩き出した。足に繋がれた縄がぴんと張り、老人は勢いよく硬い石の地面に衝突した。周囲から侵略者たちの笑い声が響いた。
「酋長さん。この子は一体、あんたのなんだね?」彼は言った。
「素直に言えよ?」彼はなだめるように優しく少女の首元を撫でた。
「ああ!」老人は震える声で叫んだ。「頼むから、その子には手を出さないでくれ!」
「もちろん、約束するよ。おじいさん。俺は老人思いなんだ」彼は優しそうに言うと、冷淡に続けた。「で、答えは?」
老人は感極まり、吃って、やっとのことで言い切った。
「娘だ」
「その歳でこんなに若い娘がいるのか? 凄いな、爺さん! それで、隠したお宝はどこにある?」
老人が答えると、洞窟の中にいた仲間たちのほとんどは我先にと外へ出て走った。
カガンは出て行かない仲間を不機嫌そうに見た。
「ほら、お前らも行けよ」
「どうせ、もう先に行った奴らに盗られただろうよ」一人が言った。
彼は目を回してため息を吐くと、荒縄を切ってもう一人の奴隷を突き出した。
「ほら、お前ら全員でこれ使え。いいから出て行け」
男たちは喚く女を荒々しく担ぎ、洞窟の外へ飛び出した。
彼は繋がれた猛獣のように襲い掛かろうとする老人に向き直って、笑みを浮かべた。
激しく抵抗する娘を押さえつけ、ぼろのような服をゆっくりと剥いでいった。彼女は目に溢れんばかりの涙を湛え、それでも目には自信が宿っていた。
カガンは未明に、愛馬の嘶きで目を覚ました。毛皮を抱き込むように着込むと、白い息を吐きながら洞窟を出た。冷たく尖った針のような空気が鼻に刺さり、痛みを伴った。敵の男たちの死体の間で死んだように眠りこける仲間たちを足で押し退けながら、馬を止めていた小屋にたどり着いた。
彼の馬は彼を見つけて鼻を鳴らした。彼はその鼻先を撫でた。
「静かにしてくれよ。眠れないだろ?」カガンは笑みを溢して、冷たくなった鼻先を馬に押し付けた。
馬の後ろで枯葉が弾ける音がして、彼は注意深く見た。
「誰だ?」
影の中から弓が鳴り、彼は咄嗟に体を捩った。矢は彼の頬を掠めて空を切った。間髪を容れずに軋む音が響いた。
彼が馬を力いっぱい叩くと、馬は勢いよく後ろの刺客を蹴り上げ、走り出した。彼は手綱を掴み、何とか愛馬に縋りつくと、かろうじて背に乗り上げた。
「敵襲! 敵襲!」カガンは叫んだが、応えは無かった。
愛馬は何度か仲間たちを蹴りつけて走ったが、誰も起き上がりはしなかった。彼らは本当に死んでいた。
「出てこい卑怯者ども!」彼は叫んだ。それと同時に小屋の戸口から、キリキリというリスの断末魔のような音が響き、矢が空を裂く音が彼らの後ろから迫った。
馬は勢いよく倒れ込み、カガンは湿地に投げ出された。
こんなところで、死ぬわけにはいかない……。駄目だ、逃げるんだ……。
彼は無様に片足を引きずりながら、凍えるような川の対岸に向かった。
突然、頭を何度も川底に叩きつけられ、彼の意識は途絶えた。
彼はまだ完全に目を開くことはできなかった。
ぼやけ狭まった視界で、緑の目と褐色の肌の女が石の玉座に座って、偉そうに足を組みながら何か言うのが見えた。音は未だ遠く、他の感覚と共に徐々に戻りつつあった。奇妙な香の匂いで満たされた部屋は無機質で冷たく湿って、それに苛立っているのか玉座に座った女は側に立つ男と口論しているらしかった。
カガンは咳払いして、ゆっくりと膝をついた。
「お許しを、王女様」
一話。読んでくださり、ありがとうございます。煩雑でまだ拙い文章ですが、間違いがあればコメントなどで指摘していただければ幸いです。
経験の浅い書き手ですが、読んでくださるだけで大変ありがたいです。心から感謝します。
誤字脱字等の指摘、お願いします。(;_;
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