九十九話
圭麻と別れたわけではないが距離を置いたと蓮に電話で教えた。蓮も即答した。
「それでいいぞ。家に入らないで帰ったのも偉い」
「寂しいけど、しょうがないもんね」
「どっちもなんて欲張っちゃいけないぞ。恋人はたった一人しか作れないんだ。諦めるのって難しいけど、大切なことなんだよな」
「うん。あたしは柚希くんを愛していくんだね。心の底から」
「ずっと片思いしてて、ようやく実ったんだしな。あいつもお前を幸せにしてくれるだろ」
「そっか。愛し愛されて生きるんだ……」
ほっと息を吐き、ふと蓮に質問をした。
「ところで、蓮くんは?」
「は? 俺がどうかしたのか?」
「だから、蓮くんは彼女作らないの?」
繰り返すと蓮はすぐに答えた。
「俺は必要ないだろ。一人でも寂しくないし。大体、女に興味もないしな」
「そんなこと言わないで。蓮くん、かっこいいのに彼女いないなんてもったいないよ」
「俺にとって恋人は邪魔以外の何物でもない。金遣いが荒かったりわがままだったりしたら最悪だろ」
「女の子って、みんながみんなああいう性格じゃないよ? もっとおしとやかで大人っぽい子もたくさんいるよ。そういう子と付き合えば大丈夫だよ」
「もしこっちが好きになっても、向こうが好きにならなかったら無理だろ。お前はすんなりと両想いになったけど、普通はそれほど簡単には恋人同士になれないからな」
「まあ、そうだよね。本当あたしはあっさりと彼氏ができて、幸せ者だったなあ」
まさか柚希に好かれていたとは。そしてこれからも、もっと幸せになっていく。結婚して出産して素晴らしい人生を柚希と歩んでいく。明るい未来が二人を照らしているのだ。
「俺は恋人はいらない。もしほしくなったら一人で探す。お前は心配しなくていいぞ」
「応援したいから、もしできたらあたしに一番に報告してよ。相談にも乗るよ」
すっかり自分は恋愛のベテランのように思い込んでいた。まだ柚希と付き合って一カ月も経っていないのに偉そうな態度をとり、蓮も呆れたのか電話を切ってしまった。しかしその後、携帯が鳴った。「はい」と出ると、柚希の声が耳に飛び込んだ。
「すずめちゃん、今度の土曜日って空いてる?」
「空いてるよ。どうしたの?」
「デートしようよ。すずめちゃんの好きな場所でいいから」
「デート? うわああっ。嬉しいっ。ついに初デートかあ……。わかった。ありがとう。土曜日の……何時頃? 待ち合わせ場所は?」
「じゃあ、十二時半に図書館の前で。どうかな?」
「うん。楽しみにしてるね。めちゃくちゃおしゃれしていくよっ」
「俺も楽しみだよ。なかなかデートに誘えなくてごめんね」
「ううん。柚希くんは忙しいし家の中でもやることいっぱいあるって知ってるから」
「ありがとう。すずめちゃんって優しいなあ……」
短く言うと柚希はすぐに電話を切った。すずめはもう少し会話をしたかった。恋人同士になったのだから、できたら夜までいろいろなおしゃべりをしたい。もちろん柚希の都合もあるし母親にバレないようにという思いもあるのだろうが、それでも愛しい人の声を聞いていたい。
「あの蛇女さえいなければ……」
くっと悔しく呟いて、早く大学生になりたいと願った。
初デートに行くという約束で胸がうきうきし、代わりに他のことが億劫で授業も上の空だった。宿題もサボってばかりだ。テストでもかなり点数が悪く、採点が終わった答案用紙は見られないようにさっさとゴミ箱に捨てた。知世に話しかけられても反応がなく、また手伝いを頼まれても全て断った。
「お母さん、すっごく困ってるのよ」
「そんなのあたしに関係ないじゃん。お父さんに頼めば?」
「お父さんは会社で疲れてて、お願いなんてできないよ。最近、すずめがいろいろと助けてくれて、とっても感謝してたのに……。急に冷たくなって、どうしたの?」
「冷たくなった? 前からずっとこうだけど? 勝手に妄想しないでくれる?」
「そのしゃべり方、やめなさい。すずめらしくない。もっと穏やかで優しいしゃべり方だったでしょ?」
「別にいいじゃん。いちいちうるさい。あたし買い物に行ってくる」
「待って。服を買うの?」
「そうだよ。それが何?」
「この間、部屋の中に入ったんだけど馬鹿みたいに高い服いっぱい買ってるじゃない。あんなにいらないでしょ? 化粧品やバッグまで」
柚希と恋人同士になってから、暇さえあれば服を買いに行っている。もっともっとと買い集め、すでに五十枚以上になった。クローゼットにはしまえず、袋から出していない服もある。
「本っ当うるっさいなあ。女だから服や化粧品は必要なの。お母さんはおばちゃんだから安いので充分だけど、あたしは高校生だからね。服だけじゃなくてアクセサリーも買わなきゃ」
「アクセサリー? すずめって、アクセサリーに興味なかったじゃない。大体、アクセサリーを買うお金なんてあるの?」
「今までは興味なかったけど、大人だからね。それよりお金ちょうだい。そろそろお小遣いなくなってきた。えーっと……十万円。本当は二十万くらいほしいけど」
手を差し出すと、その手を叩かれた。
「誰が、そのお金を頑張って稼いでると思ってるの? ほしいなら自分でバイトでもして貯めなさい」
「……ひっどーい……。冷たいの、お母さんの方じゃん。十万くらい持ってるでしょ? まあいいや。エミに貸してもらおっと」
「エミちゃん? やめなさいっ。他人に迷惑かけるんじゃ」
「はいはい。もうわかったから。あたしも忙しいの。お母さんに付き合ってる時間はないのよ」
きっと睨み、後ろを振り向いて外に出た。
とにかく柚希の顔に泥を塗らないためにも、おしゃれをしなくては。彼女が綺麗だったら彼氏は喜ぶはず。どこへ行っても恥をかかないよう、気に入った服は全て買った。化粧品もバッグもアクセサリーも、もっと手に入れなくては。
「あたしは、何一つ間違えてない」
なぜか独り言が漏れた。自分に言い聞かせるためか、無意識に呟いた。大股で歩き、知世の言葉を頭から振り払った。
その日も服を大量に買い、六万円も使ってしまった。家に帰ると知世はソファーで疲れた表情で眠っていた。頬には薄く涙の跡がある。すずめがわがままを言い、ショックを受けたのかもしれない。しかしそんなことはどうでもよく、部屋に入って袋を床に放り投げた。確認すると小遣いはほとんど残っていなかった。はあ、と息を吐いたが、すぐにいいアイデアが浮かんだ。
「そうだ。お母さんのお金、盗んじゃおう」
音を立てずにリビングに移動する。まだ知世は眠っていて、テーブルに置いてあったバッグから財布を取り出した。一万円を数枚抜き取り、素早く部屋に走る。
「おばさんだし、ちょっと減ってても気づかないよね……」
渡さない方が悪いんだ。家族だから金を使っても問題ない。盗んだ札を財布に入れ、小さく笑った。
そんな日々を過ごしていて金曜日になった。明日は初デートと興奮していると、柚希から電話がかかってきた。
「ごめんね。明日のデートだけど、行けなくなっちゃった」
「ええ? どうして?」
「用事ができちゃって。楽しみにしてたのに、ごめん。来週の土曜日でいい?」
「いいけど。残念だよー」
「俺もだよ。本当にごめんね」
そして電話が切れた。もっと声を聞いていたいのに、さっさと切られてしまう。まるで迷惑と思われているような感じがして、心に暗い鉛が生まれた。
「でも、延期になったってだけで中止になったわけじゃないし」
ほっと息を吐き安心した。
しかし、次はすずめの方に用事ができてしまった。父が会社の階段から落ちて骨折してしまい入院し、知世が看病をするため家事はすずめに任せると金曜日の夜に言われたのだ。
「えええ? 嫌に決まってるでしょっ」
「お願いよ。頼めるのはすずめだけしかいないの。お母さんも早めに帰ってくるから」
「あたしにも都合があるんだよ。その日は約束してて、絶対に行かなきゃいけないの」
「じゃあ誰が家事をするのよ?」
「近所の人にでも頼めば? とにかくあたしはやんないからねっ」
「すずめ、いい加減にしなさい。優しくて思いやりのあるすずめは、どこに行っちゃったの?」
泣きながら知世は叫んだが、無視をしてすずめは部屋に飛び込んだ。そんなの関係ない。うっかりしていた父が悪いのだ。自分は何一つ悪くないし、間違えていない。
「そう。あたしは正しいことしかしてないんだから」
うんうんと頷き、すぐに目をつぶった。




