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九十八話

 秘密は、それほど長くは続かない。一週間たったある日圭麻が電話をかけてきた。

「はい。圭麻くん? どうか……」

「ヒナコが急に可愛くなったのって、柚希と恋人同士になったからなんだな」

 くぐもった、あまりにも低い口調。ぎくりとして冷や汗が流れる。

「え?」

「そうか。そういうことか。おかしいと思ったんだ。いきなりおしゃれして何かあったのかなとは考えてたんだけど。そう……。柚希の彼女か……」

「お……落ち込んでるの……?」

「そりゃあ落ち込むよ。一人だけ馬鹿みたいに期待して浮かれててさ。もう無理なのに」

「で、でも、あたし柚希くんとお付き合いはしてるけど、圭麻くんが嫌いになったってわけじゃないよ? 別に、そんなに」

「嫌だよ。俺はヒナコを自分だけのものにしたいんだ。柚希に奪われて、また失恋だよ……。くそ……。どうして俺はいつもいつもこうなんだ……」

 ぐすっと涙が混じった声になった。慌てて言葉を付け足そうとしたが一つも浮かばない。

「ご、ごめん。圭麻くん、泣かないで……」

「俺は死ぬまで独りぼっちなんだ。ずっと独りきりだ。誰も俺を愛してくれない……」

「愛してるよ。あたしも大好きだし有那さんや流那ちゃんもいるでしょ?」

「だけど、ヒナコ……。柚希の方を選んだじゃないか」

 ぎゅっと目をつぶった。自分がとても汚らしい生き物に見え、無意識に俯いた。

「……だけど、圭麻くんのことは」

「わかったよ。諦める。願ってもヒナコは俺の彼女にはならないんだもんな。じゃあ、もう話しかけたりしないよ」

「え? ま、待ってっ。あたし、これからも仲良く圭麻くんと」

 ぶちっと一方的に電話を切られた。体は石のように固まり、指一本動かせなかった。まさか圭麻にバレてしまうとは。

「嫌だよ。あたし、圭麻くんと友だちでいたいのに……」

 ぽろぽろと涙が溢れる。しばらくすすり泣き、ゆっくりと蓮に電話をかけた。意外にも早めに出てくれた。

「どうかしたのか?」

「あのね、圭麻くんに、柚希くんと付き合ってるって知られちゃったの。それで、俺は独りぼっちだって誰にも愛してもらえないんだって思い込んで、これからは話しかけたりしないって……」

「ふうん。一体どこで気づいたんだろうな」

「それより、圭麻くんと仲良くできないのがショックなの。あたし圭麻くん大好きだし、恋人にはならなかったけど友人ではいたいの」

「友人でいたい? お前ずいぶんと自分勝手だな」

「え? 自分勝手?」

 驚いて目が丸くなる。ふう、と息を吐いて蓮が言い切った。

「柚希くんもほしい。圭麻くんもほしい。あまりにも自分勝手でびっくりするな。もし柚希くんにフラれたら圭麻くんと付き合えばいいやとか考えてたんじゃねえの? もっと他人の気持ちを大切にしろよ。あいつが、どれだけお前に惚れてたのかわかってんのか?」

 確かに、圭麻に愛され可愛がってもらっていたのに結局は柚希の彼女になってしまった。柚希くんも好き。圭麻くんも好き。どちらも自分のものにしたいと思っている。

「どっちかにしろよ。どっちもはだめだ。どっちかを心の底から愛し、もう片方は完全に捨てる。寂しいとか諦めたくないとか考えるなよ。両方手に入れるのは無理なんだから」

 蓮の言葉は最もだと思った。圭麻と仲良くしていたら、柚希は浮気をされているみたいで不快だろうし、圭麻も叶わないのを知りながらすずめを可愛いと褒めて、虚しさでいっぱいになる。

「自分の彼女が他の男とイチャついてたら、さすがのあいつも怒るんじゃないか?」

「あたし、圭麻くんとイチャついてないし、イチャついたことも一度もないもん」

「抱き合ったりキスしたりするのをイチャつくって言うんだよ。家に泊まったりベッドに無防備で寝たり数えきれないほどしてきたくせに、よくもまあイチャついてないなんて答えられるな」

 悔しいが、その通りなので黙るしかなかった。息を吐いて蓮は続ける。

「とにかく、どっちかに決めろよ。あっちいったりこっちいったりしてたら、絶対に愛想をつかされるぞ。あいつは穏やかだから冷たいことは話さないと思うけど、俺だったら怒鳴り散らしてやる。浮気女って」

 そして一方的に電話を切られた。浮気をするつもりなどはなく、ただの男友達として付き合っていきたいだけだ。イチャついたりはしない。もし誘われても、柚希がいるからと断って抱き合うのもやめる。ちょっとしたおしゃべりや二人で散歩に行くくらいなら別にいいじゃないか。

「……それもだめなの? 圭麻くんを捨てるなんて、あたしにはできない」

 かっこよくて優しくて、すずめを大事に護ってくれる。だから、すずめも圭麻を大事に思ってそばにいる。離れ離れなんて悲しすぎる。

「どうしたらいいの……? あたし、わからないよ……」

 俯き、首を横に振った。柚希と恋人同士になれて、これからただ楽しく幸せな日々しか来ないと信じていたのに、とてつもなく大きな問題が生まれてしまった。この悩みがなくなるには、本当に圭麻を捨てるしか方法はないのか。

 うつらうつらとしか睡眠がとれず、頭が重いまま朝を迎えた。学校に行きたくなかったが、自分を奮い立たせて登校した。圭麻がどれほど落ち込んで泣いているのかとどきどきしていたが、いつまでたっても現れなかった。

「今日は、天内くんはお休みですね。急に熱が出たみたいです」

「ね、熱? 風邪ひいたの?」

 担任の話に驚いて呟くと、蓮がじろりと見つめてきた。風邪ではなく、お前の態度のせいでショックを受けているんだろ、と視線で伝わった。柚希も圭麻もほしい。どっちとも仲良くしたい。そんなの不可能なのに。がっくりと項垂れて、さらに頭が重くなった。

「あたし、放課後に圭麻くんの家に行く」

 休み時間に蓮に言った。蓮は首を横に振って固い口調で即答した。

「だから、やめろって言ってるだろっ。天内は捨てろ。心配したりするな」

「でも、具合悪くしたの、あたしが原因だし。ちょっとでも元気になれたら……」

「一カ月も二カ月も続くわけないんだし、いつかは学校に来るだろ。むしろお前の顔見て、さらに熱が酷くなるかもしれない。なかなか治らなかったら、姉さんに看病してもらうだろ」

「そうかなあ。一人で心細くしてるんじゃ……」

「じゃあ、真壁に聞いてみろよ。家に行っていいかって。家の中に二人きりになっても怒らないかって。たぶん嫌って言うはずだぞ。しかも看病だから体も触れ合うし、家に泊まりこんだりもするかもしれない。そんなことしてても平気って話す彼氏はいないぞ。自分の知らないところで恋愛が生まれたら大変だしな」

「あたし、柚希くんを裏切ったりしないもん。圭麻くんの看病は友だちだからだよ。友だちが苦しんでる時に助けてあげないなんて冷たすぎでしょ」

「看病のついでに、ちょっとエロいこともしようって考えてるんじゃねえの?」

「うるさいなあっ。圭麻くんがエロ男じゃないって、何度話したら信じてくれるのよ? あたしは柚希くんが大好きなの。でも圭麻くんも大好きなんだよ。これからは抱き合ったりキスしたりは一切しないよ。誘われても断る。でも、ちょっとお茶飲んだりおしゃべりしたりはいいでしょ。柚希くんだって、それくらいなら許してくれるよ」

「じゃあ好きにしろよ。俺はどうなっても知らないからな」

 ぎろりと睨みつける蓮を無視し、柚希には連絡せず圭麻の元に行くと決めた。




 放課後、走って家に向かった。インターフォンを押すと十分ほど経って圭麻が現れた。

「あれ? ヒナコ」

「熱があるって聞いて……。大丈夫? 心配で来ちゃったよ」

「ああ。しばらくしたら元気になったよ。明日からは普通に登校できるよ」

「そうなの? よかったあ……。一人で苦しんでるのかと思ってた」

「もし治らなかったら有那に電話するし。昔から俺が体調崩すと、自分がどんなに忙しくても急いで看病しに来る性格だからさ」

「優しいお姉さんでいいなあ。あたしもそういうお姉ちゃんがほしかったなー」

「玄関で立ち話してるのも辛いだろ? お茶淹れるから、中に」

「ううん。柚希くんが嫌がるだろうし安心したから、あたしはここで帰る」

 きっぱりと言った。圭麻は目を丸くしてから、残念そうな表情に変わった。

「お茶飲むだけだよ? どうして」

「だって、あたしには彼氏がいるから。圭麻くんが嫌いなわけじゃないよ。ただ、今までみたいには付き合えないよってこと」

「……確かに、彼女が他の男の部屋に上がり込んでたら、いい気はしないよな。それでもいきなりヒナコに他人行儀な態度とられたら……。俺、ショックだよ……」

 すずめも、こんな言葉は聞かせたくなかった。しかし、けじめをつけないと柚希に愛想をつかされてしまう。嫌われてしまう。どっちが好きなんだ? と怒鳴られるかもしれない。

「ごめんね。これからは抱き合ったりキスしたりもやめるよ。部屋にも泊まらない。二人で散歩したりおしゃべりはできるけど」

「そっか。わかった。もうヒナコは柚希のものなんだもんな」

 悲しさと寂しさが胸に溢れかえる。柚希と恋人同士になったのは間違いだったのかもしれない、と罪悪感も生まれた。柚希という恋人を手に入れたと同時に、圭麻という友人を失ったのだ。


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