九十七話
見事、柚希と恋人同士になれた。しかし、いろいろと決まり事を聞かされた。
「まず、恋人同士になったってことは誰にもバラしちゃだめだよ。二人だけの秘密。それから、デートは頻繁に行かない。行くとしても他人の目につかない場所で。母さんや桃花に会うかもしれないしね」
「そっか……。しょうがないけど、別れたくないもんね」
「あいつらが、どこで俺たちを見張ってるかわからないからね。残念だけど、家に泊まるのも禁止で……」
「いいよ。あ、でも、高校卒業したらどうする? 大学生になれば一人暮らしできるんじゃない? 一人で暮らしたら、そういう決まり事も守らなくてもいいんじゃないの?」
「大学生か。確かに大学生になったら、自立して親と離れる人も多いよね。俺もできれば一人暮らししたい」
「あたしも一人暮らしするんだって決めてるんだ。一人暮らしできるようになったら、せっかくだし二人暮らししようよ」
「すずめちゃんと二人暮らし……。想像するだけで、うっとりしちゃうなあ」
「大学を卒業したら、その次は」
「結婚だね。そして子供も。すずめちゃん、俺の子供産んでくれる?」
「もちろん。痛いのは怖いけど、それを乗り越えたらかけがえのない宝物が手に入るんだもん。一緒に可愛がってあげよう」
「まだまだ先の話だけど、俺も楽しみ。もし産まれるなら女の子がいいなあ」
「性別は選べないけどね。男でも女でも、可愛いのは間違いないよ」
そこまで妄想し、暗くならないうちにと家に帰ることにした。
「俺も、すずめちゃんのお家に行ってもいい?」
「え?」
「送り迎えだよ。大好きな恋人と一秒でも長くそばにいたいのは当然だろ?」
「うわあ……。嬉しいなあ。あたしもできる限り柚希くんと一緒におしゃべりしたい」
「じゃあ、さっそく行こうか」
柔らかく笑って、並んで歩き始める。途中、柚希が手に触れてきてどきりとした。すずめも握り返し、どんどん距離が縮んでいくのがわかった。家の近くで、くるりと振り向いた。
「ここまででいいよ。送ってくれてありがとう」
「こちらこそありがとう。じゃあ、また明日」
繋いでいた手を外し、ゆっくりと柚希は歩いて行った。姿が完全に消えるまで、すずめはその場に立ち尽くし見えなくなってから家に向かって走った。
なぜか、目に映るものが全て輝いて見えた。部屋、ソファー、ベッド……。どれも金色になっている。また、ふわふわと宙を浮いているように体が軽かった。胸がいっぱいで、夕食を半分以上残し九時にベッドに潜った。普段は十一時までは起きているが、早く明日になって柚希に会いたくて眠りについた。
翌日、朝になると空は快晴だった。勢いよくドアを開け、キッチンに立っている知世に声をかける。
「お母さん、おはようっ。今日も奇麗だねっ」
「奇麗? どうしたのよ? 褒めても何も買ってあげないよ」
「いらないもん。すでにほしいものは手に入ったからね」
ウインクをし、洗面所に駆け込んだ。鏡で確認しながら、いつもより凝ったメイクをしていく。もっと柚希に可愛いと言ってもらいたい。かっこいい柚希の顔に泥を塗らないように、すずめもおしゃれに変身しなくては。
「うふふ……。あたし頑張っちゃうぞ……」
告白ができたのだから、もうどんなこともできそうな気がする。大学に合格するのも一人暮らしも結婚も出産も絶対にできるし、全て乗り越えられる。柚希も助けてくれるだろうし、これからは不安や悩み事も一人で抱え込まなくて済む。
「はあ……。恋人ができるっていいな……。あたしだけの素敵な王子様……」
ふと、あることを思い出した。柚希にはバラすなと言われたが、蓮には教えても構わないと考えた。携帯を持ち、さっそく蓮に電話をかける。意外にも今回はすぐに出た。
「おう。どうした? 告白したのか?」
「うん。おかげさまで、柚希くんと恋人同士になれましたー」
「そうか。よかったな。やっぱりフラれなかったんだな」
「どうして蓮くんはフラれないってわかったの? あたし、魅力の欠片もないんでしょ?」
「まあ、俺はそう言ったけど、あいつはお前を大事にしてるって気づいてたから。初恋は実らないってよく聞くけど、お前の初恋は実ったな」
「うん。イケメン王子に愛されて、あたし本当に幸せ者だよ」
そっと囁くと嬉し涙がぽろりと零れた。諦めず頑張った自分を、また褒めてあげた。これからどんな毎日を過ごしていくのか、期待で胸が膨れ上がる。ただ、一体どこで蛇女が現れるのかは予想できず、それだけは心の底にぼんやりと浮かんではいる。
「じゃあ、一応報告ってことで」
短く言い、蓮の返事を待たずに電話を切った。
いつもはそのままにしている髪をリボンで結わいてサイドテールにし学校へ向かった。まず始めにすずめの変化に気付いたのは圭麻だった。
「あれ? ヒナコ。ずいぶんとおしゃれだね」
「だってもう高校三年生なんだから。メイクも大人っぽくしようってね」
「そっかあ。でも、何で突然?」
「急に思いついたの。どう? 似合ってる?」
「似合ってるよ。すっごく可愛い。もっとヒナコが好きになっちゃうよ」
ずきんと冷たい槍が胸に刺さる。すでにすずめは柚希の恋人。圭麻は、ただの男友達だ。しかしすずめと柚希が付き合っているのを知らずに、いつか自分の彼女になると信じている。もう無理なのだとはっきり言ってしまおうかと考えたが、悲しむ圭麻の顔も見たくない。黙って俯くと蓮が近寄ってきた。ちらりと視線を向けたが、すぐに逸らして椅子に座った。すずめが今、どんな気持ちでいるのかを見透かしたようだ。こんなに優しくてすずめを愛してくれる圭麻をまるで裏切ったかのような自分を責めていると、教室に担任が入ってきて学校生活が始まった。
柚希に会えたのは昼休みになってからだった。「可愛いね」と褒められ、頭を撫でられた。
「もしかして、メイク変えたのかな?」
「そう。柚希くんと恋人同士になれて、せっかくだからイメチェンしようと思って」
「すずめちゃんは何着ても似合うし、わざわざ変えなくても充分可愛いよ」
「うわあ……。嬉しいよ。大好きな柚希くんに、そんなふうに言ってもらえるなんて……」
顔を赤くすると、柚希は満面の笑みになった。
「夢見てるみたいだよ。すずめちゃんとお付き合いができるなんてね。でも夢じゃないんだよね」
「あたしも未だに信じられないよ。あんなに女の子にモテモテの王子様が彼氏なんて、奇跡でも起きない限りありえないもん」
「本当。二人で素晴らしい幸せ掴み取ろうね」
「うんっ。お母さんと桃花ちゃんに邪魔されないように気をつけて」
大きく頷くと、また頭を撫でてくれた。
「放課後、お茶でも飲もうか?」
誘われて目を丸くした。
「え? いっ、行きたいっ」
「じゃあ決まり。空き教室で待ってるから、すずめちゃんも来てね」
「わかった。楽しみだなあ……」
にっこりと微笑み、柚希と別れた。
教室に戻ると、圭麻に声をかけられた。
「ねえ、ヒナコ。放課後お茶しない?」
「え?」
「可愛いヒナコを見てるだけで癒されるんだ。少しでもそばにいたい」
「あ……。あたし、放課後は用があるの」
「用? どんな?」
「詳しくは言えないんだ。大事な用だから断るのもできない」
「へえ……。じゃあ、いつだったら空いてる?」
空いているというか、柚希という彼氏がいるので圭麻に誘われても行けないのだ。彼氏ではない圭麻と仲良くしていたらおかしいし、柚希にも迷惑をかけてしまう。どちらが好きなのかと不快になるはずだ。
「あたし、柚希くんと付き合ってるから……」
掠れた声で呟いた。圭麻の耳には届かなかったらしく聞き返してきた。
「え? 今、何て言ったの?」
「あ、あたし……」
突然、横から手が伸びてきて口を覆われた。はっと目を向けると、蓮が睨んでいた。圭麻にバラすんじゃないと、はっきりと伝わった。
「……ヒナコも蓮も、どうしたんだよ?」
二人の顔を交互に見ながら、圭麻は戸惑っていた。一人だけ仲間外れされている圭麻も可哀想だが、もし教えてしまったら嫉妬の炎で頭が狂ってしまう。絶対にバラさないよと視線で蓮に伝えると、手は引っ込み解放された。
約束通り空き教室に行くと、柚希がすでに待っていた。
「あ、すずめちゃん」
「ごめん。遅くなっちゃった」
「いいよ。さて、どこの喫茶店にしようか?」
「柚希くんにお任せするよ。ただし、お酒しか置かれてないところはだめだけど」
ワインで酔ってしまったバーが蘇る。「そうだね」と頷き、駅前の喫茶店に決めた。
若い子が多く、もしクラスメイトがいたら噂されるかもしれないため、一番奥の暗い席に向かい合わせに座った。
「甘いものも頼んでいいよ」
「いやいや。ただの紅茶だけで」
「俺も頼むから。彼女なんだし、ちょっとはわがままもしてほしい」
「柚希くんにわがままなんて言えないよ。申し訳ないよ」
「彼氏に申し訳ないなんて思っちゃだめだよ。他人行儀な態度とってたら、恋人っぽくないじゃないか」
だがいきなりそんなことを言われても、わがままなど思い浮かばない。とりあえず一番安いプリンを頼み、柚希は満足そうに微笑んだ。
「そうだよ。そうやってたくさんお願いするんだよ。お金なんて気にしないこと。遠慮なんか、一つもいらないんだよ」
「うう……。わかってるけど、あんまり……できないよ……」
柚希の金が好きだから付き合っていると見られたくない。すずめは、柚希の笑顔や優しい心が大好きなのだ。柚希が金などどうでもいいと思っているように、すずめも金ではなく柚希を愛しているのだから。




