九十六話
いつの間にかクラスメイトのおしゃべりの話題はバレンタイン一色になり、漂っている空気も甘い香りがしそうだった。カレンダーを見ると、柚希に告白するのは三日後にまで迫っていた。どくんどくんと全身が沸騰しているように熱く、夏ではないのに汗がだらだらと流れていた。すずめの緊張に気付いたのか、そっと蓮が耳元で囁いた。
「逃げるんじゃないぞ」
「に、逃げないよ。ちゃんと告白するよ」
「よし。フラれても落ち込んだり泣いたりするなよ」
「平気。とにかく頑張る」
けれど、実は告白の内容をこっそりと変えていた。始めは柚希と恋人同士になりたいというものだったが今はそうではなく、ずっと片思いだった、大好きだったというものだ。村人と王子は付き合えるわけないのだから、柚希を困らせないようにただ気持ちだけバラし、わがままは言わないことにした。それなら柚希も安心して聞いていられるし、苦笑しながら断らなくて済む。はあ、と息を吐くすずめの頭を柔らかく蓮が撫でた。顔を上げるとすぐに手は引っ込んだが、何となく応援されているような気がして胸が暖かくなった。いつも不愛想で無口だが、根は優しいのだと改めて感じた。いつもそうだ。なんだかんだ言って、蓮にはたくさん助けられている。励まされ背中を押されている。厳しいけれど、蓮がいてくれたおかげで解決した問題もあり、すずめにとってはかけがえのない存在となっている。だからこそ蓮と高校卒業して離れ離れになるのが嫌なのだ。柚希や圭麻と別れるのは仕方ないと諦められるが、蓮とは絶対に離れたくない。
「……ねえ、蓮くん。もし高校卒業したら」
「ねえ、ヒナコ。バレンタインデーって用事ある?」
圭麻に遮られ、首を横に振った。
「ごめん。大事な用事が入っちゃってるの」
「大事な用事? それが終わったら、俺と」
「悪いけど、バレンタインデーは夜まで忙しいんだ」
「ええ? そうなのか。じゃあ、パーティーしようと思ってたんだけど無理かあ」
「ごめんね。次の日だったら空いてるけど」
「次の日は、俺が予定あるんだ。残念だけどパーティーは諦めるしかないね」
「うう……。本当にごめんね」
深々と頭を下げると、今度は圭麻に優しく撫でられた。圭麻の、すずめを楽しませたい笑わせたいという気遣いが、しっかりと胸に刻み込まれた。そのまま彼は立ち去ってしまったが、頬に手を当てると火照っていた。イケメンは、熱でさえもかっこいいのか。どきどきと鼓動が速くなっていく。
「……って、違うっ。あたしが告白するのは柚希くんだっ」
蓮と圭麻にときめいている場合ではない。好きだと伝えるのは柚希だと自分に言い聞かせた。
いつの間にか朝になり、いつの間にか夜になるのを繰り返して、ついにバレンタインデー当日になった。ほとんど睡眠はとれず、こんな状態で告白などできるかと心配になったが、気合で登校した。休み時間はA組の教室に女子が溢れかえり、柚希の名を呼ぶ黄色い声がB組にもはっきりとわかった。
「それにしても、柚希って女の子にモテモテだよなあ」
尊敬の眼差しで圭麻が呟き、すずめは即答した。
「圭麻くんも同じくらいモテモテじゃない」
「そうかな? まあ確かに、前の学校ではあれくらいチョコもらってはいたけど」
「でしょ? この間、初詣に行く時に圭麻くんの元カノに会ったよ」
「え? あいつ?」
「うん。相変わらず、失礼極まりない態度だったよ。彼氏と一緒に歩いてた」
「ふうん。新しい男見つけたのか。どういうやつだった? 金持ってそうな?」
「ちらっとしか見えなかったから、よくわからないよ。でもあの子お金大好きだし、お金持ちの彼氏かもしれないね」
「またわがまま言ってるんだろうな。俺もあいつに散々無駄遣いされたよ。服だのバッグだのアクセサリーだの。金返してほしいくらいだ」
「酷いよね。彼氏じゃなくて、彼氏の持ってるお金が好きなんて」
「やっぱりあいつと別れて正解だったな。ヒナコの方が、ずっと可愛いし俺を大切にしてくれるし、まさに理想の恋人だよ。いつかヒナコと付き合って幸せになれたらいいな」
ずきん、と心の中に冷たい槍が刺さった。この後柚希に告白するのに、圭麻はすずめとの明るい未来を夢見ている。こんなに愛してくれる圭麻を裏切り柚希を選ぶ自分が嫌になった。
昼休みになって、ようやく柚希に会った。すずめがチョコを作ってくれていると期待しているようで、ずっと満面の笑みだった。
「あ、すずめちゃん。えっと、今日は」
「あのね、放課後ちょっといいかな?」
「ん? 放課後?」
「だめ? できれば放課後にしたいんだけど」
「別に構わないよ。だけど、どうして放課後?」
「誰もいないところじゃないとだめなの。絶対に邪魔されない場所がいいの」
「そうなの? まあ、放課後は暇だし、俺は大丈夫だよ」
すずめが一体何を企んでいるのかと戸惑っているみたいだ。まさか告白されるとは想像できないだろう。
「じゃあ、帰り支度が終わったら空き教室で待ってて」
「うん。必ず行くよ」
チョコくらいいつでも渡せるじゃないかと不思議なのか、柚希は笑顔を消し目を丸くしていた。とりあえず約束をし、すずめも小さく息を吐いた。
放課後が近づくにつれ、不安と緊張で授業など上の空だった。呼吸も荒く、圭麻が聞いてきた。
「具合悪いの? ヒナコ」
「だ、大丈夫」
「大丈夫そうに見えないよ。保健室に行った方がいいんじゃない? 俺がついていくよ」
「ううん。平気だよ。いつもと同じだよ」
首を横に振り、ぎこちなく微笑む。圭麻はまだ何か言いたそうだったが、しつこくするのもよくないと考えたのか黙った。
帰り支度を終わらせ、走って空き教室に向かった。中に人気はなく深呼吸をしながら柚希が来るのを待って座っていた。
必ず行くよと言っていたし約束を忘れるわけないのでずっと待ち続けていたが、なぜか現れない。まさかすずめが告白すると知り、帰ってしまったのでは……。
「もしかして、また失敗?」
顔が青くなっていく。クリスマスパーティーも誕生日もだめでは、もうチャンスはない。今日伝えなかったら二度と告白はできない。
「そ、そんな……。酷すぎる……」
「すずめちゃん? どうかしたの?」
明るく穏やかな声が背中から飛んできた。素早く振り向くと、笑顔の柚希が立っていた。
「ゆ、柚希くんっ」
「遅くなってごめんね。先生に雑用頼まれちゃってさ。しかも、けっこう面倒な仕事で」
「そうなんだ。でもそれって優等生だから信用されてるって意味だよ。柚希くんって先生にも好かれてて、すごいよねー」
「いや、お願いすれば絶対に断らない生徒だって思われてるだけだよ。優等生なんて褒められてないって」
こんな話をしたくて呼んだのではない。もっとロマンチックで素敵な雰囲気にしたい。その気持ちが届いたのか、柚希は真剣な眼差しを向けてきた。
「で、すずめちゃん。用があるんだろう?」
「う、うん……。そう……」
「聞かせてくれる? 最後まできちんと聞くよ」
心臓がありえない跳ね方をしている。ついに、ついに……。この時が来たのだ。ぎゅっと拳を作り、そっと話す。
「あ、あのね……。あたし、柚希くんのことが好きなの……」
震えて情けないが、それでも柚希の顔を見つめて告白した。柚希は目を丸くし、口を開けている。
「……え? す、すずめちゃんが? 俺のこと……」
「そう。大好きなの。中学一年生の時に一目惚れして、それからずっと片思いしてて……。ごめんね。あたしみたいな可愛くない奴が好きになっちゃいけないよね。でも、どうしても好きって伝えたかった。一度でいいから、柚希くんに教えたかったの。もちろん恋人同士になりたいなんて馬鹿な願いはしてないよ。最初から無理ってわかってるし。……じゃあ、そういうことだから」
一気に思いをぶつけ、空き教室から出て行こうと歩き始めた。しかし柚希に腕を掴まれてしまった。
「は、放して」
「嫌だよ。もっとすずめちゃんのそばにいたい」
「あたしの話はここまで。これ以上は何も」
「俺も隠さないで話すね。すずめちゃん、大好きだよ」
「えっ?」
一瞬、心臓が止まった。夢を見ているような気がした。さらに柚希は続ける。
「俺、すずめちゃんが大好きなんだ。恋人になりたくて堪らないんだ。心優しくて可愛くて、すずめちゃんが彼女になれば、俺はもう何もいらない」
「……そ、それ……。本当……? 本当にあたしのこと……好きなの……?」
「本当だよ。大好きだからクリスマスパーティーにも誘ったし、部屋にも泊まってって言ったんだ。他の子にはそんなことしないだろ? 全部すずめちゃんを愛してるからだよ」
「そうだけど……。あたし、おしゃれじゃないし平凡なのに」
「おしゃれじゃなくても平凡でも俺は構わないよ。そんなもので好き嫌い決めないし。一番大切なのは心なんだ。すずめちゃんの心は、清くてきらきら光ってて、とっても純粋で真珠みたい。他人の悪口も話さないし、子供っぽかったりお母さんみたいだったり愛情でいっぱいなんだよね。明るくて暖かくて、声だけで元気になれる素晴らしい子だよ。周りの人とほとんど会話をしない高篠くんでさえ、すずめちゃんとはおしゃべりするんだから」
そこで、ぽろりと涙がこぼれた。柚希にここまで褒められて、感動と感激が胸に溢れかえった。
「あ……ありがとう……。嬉しい……。大好きな柚希くんに、そんなふうに言ってもらえるなんて……」
「泣かないで、にっこり笑って。すずめちゃんの笑顔は、俺の癒しなんだ」
「う、うん……。わ、わかった……」
ごしごしと目をこすり、まだ涙は止まっていないが微笑んだ。すると柚希にぎゅっと抱きしめられた。さらに頭を柔らかく撫でられた。
「俺たち、今日から恋人同士っていう関係になるのかな?」
「あたしなんかが彼女でいいの?」
「もちろんだよ。すずめちゃんしか好きになれないよ。他の子なんて興味ないし。……まさか両想いになれるなんて夢にも思ってなかった。最高の誕生日プレゼント、どうもありがとう。絶対にすずめちゃんを幸せにするよ」
抱きしめる腕の力が強くなった。すずめもしっかりと抱きつき距離を縮める。勇気を振り絞って諦めないで頑張った自分を、盛大に褒め称えた。




