九十五話
エミや有那に応援されてはいるが、やはり自分の姿に自信がないため鏡を見るたびに逃げ腰になってしまう。俯いているすずめを心配し、圭麻が話しかけてきた。
「ヒナコ? どうしたの?」
「別に……。ちょっと寝不足で」
「そうなの? もし悩み事でもあるなら俺が相談に乗ってあげるよ」
「悩み事なんてないよ。本当に何でもないから」
ははは、と苦笑すると、蓮が近寄ってきた。ちらりとこちらを見て、すぐに視線を逸らす。すずめの思いが蓮には伝わっているのだとわかり、無意識にすずめも顔を横に向けた。二人の行動がおかしかったからか、圭麻はこっそりと疑いの目で覗き込んできた。
「ねえ、もしかして蓮に酷いことされたんじゃない? もしされたなら俺が怒鳴ってやるよ」
「されてないされてない。お願いだから余計なことしないで。むしろ蓮くんに励まされて助けられてるんだから」
「助けられてる? よく意味わからないけど。とりあえず傷つけられてないなら安心だよ」
「うん。心配なんかしなくていいよ」
「そっか。今夜からは、しっかりと睡眠とってね」
「ありがとう。早寝早起きは三文の徳だもんね」
微笑むと、圭麻はゆっくりと歩いて行った。
休み時間に柚希と廊下で会った。どきりとして後ずさりすると、柚希は満面の笑みになった。
「すずめちゃん、昼休みに一緒にお弁当食べない?」
「え? あ……。う、うん……。い、いい……けど……」
とても歯切れの悪い答えを返すと、柚希は嬉しそうに頭を撫でてくれた。
「すずめちゃんと食べると、ものすごく元気になれるんだ。母さんと桃花に傷つけられたとしても、すずめちゃんがそばにいれば癒されるから。すずめちゃんは俺の大事な薬だね」
「い、癒されるなんて……。あたし、誰かを癒す力なんて」
「あるんだよ。実際に俺は何度も癒されてるんだ。俺だけじゃなく、高篠くんも天内くんも同じだと思うよ。こんなに素晴らしい魔法を持ってるなんて、すずめちゃんだけだよ」
どくんどくんと鼓動が速くなっていく。もしできるのなら今すぐ告白してしまいたいが、勇気はどうしても出てこない。休み時間終了のチャイムが鳴り、柚希は教室へ歩いて行った。すずめも戻り着席すると、となりに座っていた蓮が聞いてきた。
「今、ちょうどいい雰囲気だったのに。早く伝えないとタイミング逃すぞ。諦めたくないんだろ?」
「遠くから見てたの? そ、そういうのやめてよー。ストーカーみたいじゃない」
「本当に告白したのか確かめないといけないだろ。去年のバレンタインデーと一緒だ」
「ちゃんと好きって言うから、こっそり跡つけるのはやめてよ。柚希くんも嫌だろうし、蓮くんってそういう性格じゃないでしょ」
「まあ、俺もやりたくはないな。その言葉、信じていいんだな?」
「もちろん。誕生日に、絶対この思いを届けるよ」
ぐっと拳を作ると、よし、と蓮も大きく頷いた。
信じてはくれたが、逆に焦りと不安も増えていく。完全に逃げられなくなってしまった。勇気を振り絞り、当たって砕けるしかない。やりきるしかないのだ。村人のくせに王子に好きだというなんて、と呆れの笑い声が聞こえてきそうで恥ずかしいが、片思いは事実なのだから仕方ない。小刻みに体が震えて俯いているすずめの頭に、蓮は軽く手を乗せてきた。はっと顔を上げると、蓮は窓の外を眺めていた。周りにクラスメイトがいるため無口で無表情だが、何となく背中を押された気がした。ぽっと頬が火照って、どきどきしてしまう。柚希だけではなく蓮もイケメン王子なのだ。もっと言うと圭麻もイケメン王子だ。すずめのそばにはたくさんの王子がいて、ここまで仲が深くなったのはものすごい奇跡だ。こういうのをシンデレラストーリーと呼ぶのだろう。まさか自分がそのストーリーの主人公になれるとは夢にも思っていなかった。
昼休みに、柚希が教室まで迎えに来てくれた。いつもの空き教室に並んで歩き、床に座って弁当の蓋を開ける。まず最初にから揚げを口に放り込んだ。
「すずめちゃんって、から揚げが大好物なんだね」
「子供の頃から大好きだよ。名前が鳥だからかな?」
「俺も、から揚げ大好きだよ。すずめちゃんのお母さんは、から揚げが得意料理なんだろ?」
「うーん。どうだろう? ただ、よく作ってくれるよ。落ち込んだ時や風邪ひいた時にも。お母さんのから揚げ食べれば、すっかり元気になっちゃう」
「いいなあ。俺も母さんの手料理、食べてみたかった」
寂しげな柚希の口調に、はっとした。柚希の母親は蛇女ではない。美しく子供想いの薫子だ。
「薫子さんの?」
「うん。無理なのはわかってるけど」
がっくりと項垂れ、柚希は悔し気に目をつぶった。すでに薫子のことは諦めているようだったが、そうではなかった。たぶん、一生薫子は柚希の胸を締め付け、脳裏に焼き付いて離れないだろう。
「あ、あの、から揚げどうぞ」
慌てて弁当箱を差し出した。まだから揚げは残っている。柚希は驚いた表情で首を傾げた。
「え?」
「あたしのお母さんのから揚げだけど、もしよかったら。一応、愛情はこもってるよ」
「いいの? 俺がもらったら」
「あたしは家でも食べられるでしょ? 柚希くんの悲しげな顔見てるの辛い」
呟くと、柚希の手が伸びてきてから揚げをつまんだ。口に入れて、ぱっと明るく微笑んだ。
「おいしい。子供想いのお母さんは、こんなにおいしい料理が作れるんだね。うちの母さんとはまるで正反対だ」
「きっと、薫子さんも暖かくておいしい料理が作れる人だったはずだよ」
付け足すように言うと、柚希はすずめの体に寄りかかってきた。距離が縮んで、ばくんばくんと鼓動がさらに速くなる。
「ゆ、柚希くん?」
「昼休みが終わるまで、こうさせて。あんまり体重はかけないようにするから」
ふわあ、と欠伸をし目を閉じた。このまま眠るつもりだと直感した。
「柚希くん、ちゃんと寝てないの?」
耳元で囁くと、柚希は曖昧に頷いた。
「まあ、家の中に他人がいたらね。ぐっすりと熟睡はできないよ」
他人という呼び方に、柚希がすでに二人を家族だと思っていないのがわかった。心優しく穏やかな柚希が少し冷たい口調になって、ぎくりとした。
「だめかな? 俺がここにいると迷惑?」
「迷惑だなんて……。あたしでよければ肩かすよ」
「ありがとう。……いろいろと疲れちゃった。悪いけど、しばらく寝かせてほしい」
「う、うん。ゆっくりと休んで」
すずめの返事に安心したのか、柚希はさらに距離を縮めて眠りについた。すずめは身動きが取れず、石のように固まって座っていた。まだ弁当は残っていたが、とても食べる余裕などない。
「あたしも眠くなってきちゃった……」
独り言を漏らしたが、それではずっと二人で寝てしまう。頬を叩き、近寄ってくる睡魔を蹴散らした。
憧れの王子様の枕になれるなんて、中学一年生の頃の自分には想像もできなかった。柚希だけじゃなく、蓮や圭麻と出会えるなど、全く夢にも思っていなかった。
「……高校卒業したら、離れ離れになっちゃうのかな……」
急に寂しさがこみあげてきた。落ち込んではいけないとはわかっていても、せっかくここまで仲良くなれたのに距離が縮んだのにと悲しくなってくる。しかし人生はそれぞれ違う。ずっとそばにいられないのは仕方ないのだ。
突然、昼休み終了のチャイムが鳴った。俯いていた顔を上げ、眠っている柚希の肩を揺らす。
「柚希くん、昼休み終わりだよ。起きて」
ゆさゆさと少し強めに揺らしたが、柚希は目を閉じたまま動かない。だらだらと冷や汗が流れる。
「柚希くん、聞いてる? 早く起きないと午後の授業始まっちゃうよ」
耳元で話しても結果は変わらなかった。おまけに柚希に押し倒されてしまった。
「うっ……。お、重いよっ。お願いだから」
起きて、という言葉が話せなかった。その前に素早く唇を奪われた。そういえば柚希は寝ぼけるとキス魔になるのを忘れていた。無理矢理身をよじったが逃げられない。腕も掴まれて離れられない。もし、こんな状況をクラスメイトに見られたら、ものすごい嫉妬の炎がすずめに飛んでくる。早く柚希を起こして教室に戻らなくては……。焦りと不安で、冷や汗が止まらなかった。
「柚希くん、しっかりして」
もう一度話しかけると、ガチャっとドアが開く音がした。ぎくりとして緊張が全身に駆け巡った。ゆっくりと視線を向けると、ドアの前に立っていたのは蓮だった。
「あれ? お前ら、いつの間に恋人同士になったんだよ?」
「恋人同士になったんじゃないよ。柚希くんは寝ぼけるとキス魔になるって教えたじゃん」
「ああ、そういやそんなこと話してたな。じゃあ今は襲われてるところか」
「そうだよ。蓮くん、立ってないで柚希くんを起こしてよ。あたしには無理だよ」
「しょうがねえなあ。おい、真壁。さっさと起きろっ」
近寄り、柚希の頭を強く叩いた。驚いて横から口を出した。
「ちょ、ちょっと。やりすぎだよ。怪我したらどうするの?」
「男なんだから、これくらいどうってことないだろ」
蓮の言った通り柚希は特に傷ついてはおらず、うーんという唸り声とともに起き上がった。すずめと蓮の顔を交互に見つめて首を傾げた。
「あ、すずめちゃん、おはよう。えっと……。高篠くんは、どうしてここに?」
「戻ってこないから探しに来たんだよ」
「え? 蓮くんが?」
どきりとして頬が赤くなった。蓮が心配してくれたのが嬉しかった。
「天内が探しに行くって言ったから、俺が代わりに行くって止めたんだ。あいつに行かせなくて正解だったな」
もし圭麻だったら、すずめが柚希とキスをしていたら黙っていないだろう。絶対に喧嘩になるし、すずめが柚希に惚れているのもバレてしまう。本当に蓮でよかったと、すずめも心の底から思った。
「じゃあ、すずめちゃん。どうもありがとう。ちょっとだけど疲れがとれたよ。またよろしくね」
満面の笑みの柚希に、すずめも癒されながら大きく頷いた。
「いつでも枕になるから。でも、次はちゃんと起きてね」
「そうだね。ごめん」
しっかりと答えて、柚希は歩いて行った。
「……あいつ、キスしたの覚えてないんだな」
呆れた口調で蓮が呟く。すずめも即答した。
「そうなの。こっちはどきどきしっぱなしなのに」
「いいなあ、お前。片思いのあいつにキスされるなんて」
「好きでされてるんじゃないから、感動はしないよ。やっぱり好きっていう思いがなきゃ」
「思いか。確かに思いは必要かもな」
もう一度呟く蓮の腕を掴み、固い声で伝えた。
「蓮くん。あたしが柚希くんとキスしてたって、誰にもバラさないでね」
「俺がいちいち話すわけないだろ。そもそも友人も一人もいないんだし」
「でも、圭麻くんにヒナコ何やってた? って聞かれたりするかもしれないじゃない」
「あいつは俺が嫌いだから、声かけようとしないぞ。キスしてたのは誰の耳にも入らないから気にするなよ」
ほっと息を吐いた。蓮は口が軽い性格ではないし、この言葉は本当だと確信した。そのまま蓮は空き教室から出て行き、すずめは走って後を追いかけた。




