九十二話
「それは、またずいぶんとタイミングが悪かったな」
翌日、朝早くに蓮のマンションに向かうと、昨日の出来事を打ち明けた。はあ、とため息を吐いて頭を抱える。
「あたしは告白しようって緊張でいっぱいだったのに、まるで逃げるかのように別れちゃうって……。どういうこと?」
「お前が告白するのがわかってたみたいだな。で、告白を受けたくないから、さっさと立ち去った」
「うう……。あたしは柚希くんに好きって言えないの?」
愚痴りたくなるのも仕方ない。蓮は冷蔵庫からオレンジジュースを出し、目の前のテーブルに置いた。
「恋愛って、ほとんどそういうものだろ。うまくいかないことだらけで悩んでばっかり。だからこそ恋人同士になれた時の達成感がものすごいんだよ」
「でも、告白できなかったらどうしようもないよ……。あたしの気持ちが伝わらなかったら、ずっと友だちのままでしょ。あーあ……。昨日はホワイトクリスマスでロマンチックで、めっちゃいいムードだったのになー」
「あいつもあいつだよな。もう少しお前の話を聞いてやってもいいじゃないか。せっかく勇気出せたのに、次はいつ告白のタイミングが来るんだよ」
「蓮くんの言う通りなの。また自信なくなっちゃった……。やっぱりあたしは無理なんだって」
「無理ではねえよ。またいつかチャンスが来れば、きっと」
「いつかって、いつよ? 本当に来るの?」
タイムリミットは卒業までだ。しかしその前に受験があるため、できれば受験が始まる前が一番だ。柚希は有名会社の社長になりたいので志望校も難しい大学だろうし、勉強で忙しくて告白のチャンスもなくなる。
「まあ、昨日は疲れてて帰りたかったんだから、許してやれよ」
「そうだけど、せっかくのクリスマスに……。もったいなさすぎて……」
はあ、ともう一度ため息を吐く。ホワイトクリスマスに二人きり。告白に最適の雰囲気だった。
「そういえば、蓮くんってどこの大学に行くか決めてるの?」
ふと疑問が生まれた。蓮は即答する。
「いや。まだ特には。将来の夢も決まってねえし」
「ふうん……。あたしも決まってないけど」
好きな人と結婚して子供を抱っこしたいというあやふやな未来しか描いていない。それで満足だし、幸せな毎日を送っていけたら問題ないのだ。
「……外科医になる気はないんだよね?」
びくっと蓮が反応した。視線を逸らして頷く。
「俺は、他人の命を預かるなんて怖くてできねえよ。もし死んだらどう責任とればいいんだ。難しい手術でした、で納得する奴なんかいないだろ。もしかしたら恨まれるかもしれないぞ」
「まあね。医者になるのって相当覚悟しないとだめだよね。特に外科医は」
だからこそ名外科医に尊敬するのだ。たくさんの患者を治し感謝されている外科医を見ると、かっこいいと思う。そして蓮にもかっこいい外科医になってほしいと願っている。もちろん本人にその気がないなら無理にとは言わないが、もっと蓮が素敵に輝いたら嬉しい。
「……じゃあ、あたしは帰るね。蓮くんに愚痴聞いてもらってすっきりしたよ」
「俺にしか言えないもんな」
「うん。圭麻くんは嫉妬するし、お母さんは好きな子がいるってバレちゃう。蓮くんしか愚痴が吐ける人がいないんだよね」
「また嫌なことがあったら来いよ。いくらでも付き合ってやるぞ」
どきりとした。こんな言葉でどきりとするのはおかしいが、距離が縮んだと感じられて胸がどきどきするのだ。
「ありがとう。オレンジジュースごちそうさま」
頭を下げドアを開けた。
クリスマスが終わると、すぐに街は年末年始で騒がしくなる。ぶらぶらと散歩していると、背中から肩を叩かれた。くるりと振り向き目が丸くなった。有那が立っていた。
「あれ? 有那さん?」
「どうしたの? 買い物?」
「いえ。暇つぶしに歩いてただけです。昨日はおいしい料理ありがとうございました」
「いいのよ。また来年もパーティー開くかもしれないから、遊びにおいでね」
「ああ……。ちょっとそれはだめかもしれません。受験があるので。すみません」
「あ、そっか。受験ね。もう大学生なんだね。圭麻も大学生か……」
しみじみとした口調に変わった。有那にとって圭麻は弟というより息子に近いのかもしれない。愛している我が子がいつの間にか大きくなっていて驚いているようだ。
「お母さんが死んで、毎日泣いてばっかりだった圭麻が大学生なんてね。身長もどんどん伸びて、立派になっちゃって。ヒナコちゃんっていう彼女まで作ってるし」
「いえっ。あたしは圭麻くんの彼女じゃないですっ」
首をぶんぶんと横に振る。有那はさらに目を丸くした。
「え? 彼女じゃないの?」
「ただの友だちです。よく彼女に間違われるんですけど勘違いなんですよ」
「そうだったの。ヒナコは俺の宝物って言ってたから、てっきり……。友だち以上恋人未満って感じ?」
「はい。そんな関係です」
「まあ、もし圭麻と付き合ってたら、クリスマスパーティーに柚希くんを誘ったりはしないもんね。ヒナコちゃん、柚希くんに憧れてるんでしょ? すでに彼氏がいたら、憧れの人も彼氏になるわよね」
「でも圭麻くんが嫌なわけじゃないんです。圭麻くんもイケメンだし、たくさん可愛いって褒めてもらって嬉しいんです。昨日も、すっごく楽しかったし」
「流那も喜んでたよ。柚希くん、お気に入りになったみたい」
「優しいですからね。あたしも柚希くんの笑顔が大好きなんです」
「まだ告白はしてないの?」
有那が質問をしてきた。ぎくりとして、すずめも聞き返す。
「え?」
「告白よ。柚希くんに好きだって伝えたの? お返事は?」
「い、いえ……。勇気がなくて、告白はしてません。いつかはしようとは思ってるんですけど」
「してないの? 早く告白しちゃいなさいよ。他の子に取られちゃうよ?」
「だけど、あたし可愛くないし。あたしなんかが告白する権利あるのかな? ってもやもやしてるんですよ。頑張ってもフラれそうで怖いし」
「そうやって、自分をだめ人間って決めつけるのはよくないよ。友だちになれたんだから、きっと恋人にもなれるはずだよ。頑張れ、ヒナコちゃん」
肩を叩かれ、無意識に俯いた。エミや蓮だけでなく有那にまで応援されたら、絶対に告白は免れない。すずめが黙りこくり、有那はゆっくりと歩いて行った。告白の仕方のアドバイスを伝授してほしかったが、有那にその思いは届かなかった。
すずめの気持ちをよそに、時間はあれよあれよと過ぎていく。ついに明日から新しい年が始まる大晦日になっていた。父は大掃除をし、すずめはおせち料理の手伝いをした。
「いつもは全然何もしないのに手伝いしてくれるなんて、どうしたの?」
「あたしも来年は高校三年生になるし、料理の一つは作れないとね」
「そっか。すずめも高校三年生なんだね。子供って育つの早いってよく言うけど、本当にあっという間に大人になるんだね。すずめが大人だとか、ちょっと笑っちゃう」
「何よー。馬鹿にして。お母さん、嫌な感じ」
「ここまで元気に育ってくれてありがとうって意味だよ。すずめは反抗期もなかったし、素直で明るくて優しくて、お父さんとお母さんの自慢の娘だよ」
突然褒められると、それはそれで嬉しくなる。知世に抱き付いて、にっこりと笑った。
「えへへ……。これからも素直で明るい性格で生きていくよ」
そして、またおせち料理の手伝いをした。
去年は、蓮の部屋で新年を迎えたのだと蘇ってきた。せっかくのカウントダウンもつまらなそうな表情で見ていて、蓮が楽しくなる出来事はないのかと不思議になった。また、三人目の王子である圭麻の存在も知らなかった。圭麻に好きだと言われ可愛がってもらう日が来るなんて、あの時は予想もしていなかった。ぼんやりとソファーに座っていると、知世の大声が聞こえた。
「あっ。すずめっ。あと十秒だよっ」
「え? うわわっ。新年だっ」
慌ててテレビに注目する。三、二、一とカウントダウンし、「あけましておめでとうっ」と勢いよく叫んだ。




