九十一話
クリスマスが近づくにつれ、心の中は不安と緊張と焦りで溢れかえった。ラブレターではなくきちんと口で伝えるとは決まったが、うまい言葉が見つからない。おまけに舌を噛んだらどうしよう。顔が赤くなったらどうしようという他の心配まで出てきて、睡眠もろくにとれなかった。
「ヒナコ。もうすぐでクリスマスだね」
圭麻が期待でいっぱいの口調で電話をかけてくる。すずめも「そうだね」と明るく返すが、冷や汗がだらだらと流れていた。
「ところで、柚希はクリスマスパーティーに来れるの?」
「来れるんじゃない? 特に何も聞いてないし」
「そっか。流那が新しいお兄ちゃんに抱っこしてもらえるって喜んでるよ。早くお兄ちゃんに会いたいって」
「柚希くん、優しいからね。流那ちゃんのお願いも叶えてくれるよ」
その時、ふとある事実に気が付いた。クリスマスパーティーは圭麻の家で行うのだ。そして圭麻はすずめに惚れている。もし告白しているところを圭麻に見られたら嫉妬されるかもしれない。ヒナコは俺のものだと言い争いになったらクリスマスどころではない。つまり、告白をするのは帰り道だ。柚希と二人きりになってから好きだと伝える。柚希からどんな返事が飛んでくるのかはわからない。しかし、たとえフラれても泣いたり落ち込んだりはせず、これからも仲良しの友人でいてほしいと話す。ぎくしゃくしないで、また付き合っていけるように。そして、柚希に彼女が現れたら心の底から祝ってあげる。
「……初恋は、実らないっていうし……」
「え? 何か言った?」
ぽろりと言葉が漏れていた。すぐに「何でもないよ」と誤魔化し、電話を切った。
クリスマス当日になり、圭麻の家に行った。中に入るとクリスマスツリーやリースなど、賑やかな飾り付けがしてある。キッチンには有那が立って料理を作って、流那はテーブルの上のお菓子をつまみ食いしていた。
「じゃあ、俺行ってくる」
「え? どこに?」
「駅前。柚希は俺の家知らないだろ。迎えに行ってあげないと」
「そっか。確かに初めてだもんね」
「あとクリスマスケーキの予約もしてるんだ。それも取ってくる」
「ケーキ? うわあ……。楽しみー」
ぼんやりと想像していると、流那がすずめに抱き付いてきた。
「ヒナちゃん。今日は、お兄ちゃんが来るんだよね」
「うん。とっても優しくてかっこいいお兄ちゃんだよ」
「抱っこしてくれるかな?」
「してくれるよ。しかも流那ちゃんにプレゼントも持ってきてくれるよ」
「プレゼント? やったあっ。早く来ないかなっ?」
「優しいからって、わがまま言っちゃだめだよ」
有那がひょいっと顔を出した。すずめを見ると、にっこりと微笑んだ。
「いらっしゃい、ヒナコちゃん。久しぶり。元気にしてた?」
「はい。夏休みのお土産ありがとうございました。全部一人で食べちゃいました」
「あれくらい、どうってことないよ。今日は柚希くんって子が来るんでしょ? ヒナコちゃんが誘ったんだよね」
「そうです。あたし、中学生の頃からずっと憧れてるんです。初めて好きになったんです」
「初恋? 若いっていいね。青春だねえ。私は圭麻が一人ぼっちになるから、なかなか恋愛ができなくてね。まあ結婚したし流那も生まれたけど」
「あたしも好きな人と結婚して子供産みたいです。有那さんが羨ましいです」
「結婚して子供が生まれても必ず幸せになるわけじゃないから、相手はしっかりと選ばないとね」
女だけの会話をしていると、ガチャンとドアが開いた。ケーキの箱を持った圭麻の後ろに柚希が立っている。
「寒いと思ったら雪降ってるよ。ホワイトクリスマスだ」
「ロマンチックだね。……あ、初めまして。真壁柚希です。お邪魔します」
ぺこりと頭を下げる柚希の姿を見て、有那がこっそりと耳元で囁いた。
「ちょっと、ヒナコちゃん。柚希くんめっちゃイケメンじゃない。学校でもモテモテじゃないの?」
「モテモテです。お金持ちだし、ファンクラブもたくさん」
「お父さんとお母さんの顔が見てみたいなあ。特にお母さんの顔に興味あるわー」
どきりとして、すずめは口を閉じた。柚希の母はすでに病死している。写真も全て燃やされ一枚も残っていない。だが、せっかくのクリスマスに暗い話を聞かせたくなかった。有那も母を失くしているし、寂しさが蘇ってくるかもしれない。
「お兄ちゃん。抱っこしてえ」
さっそく柚希の足元に駆け寄り、流那がお願いをした。
「え? 抱っこ?」
「うん。だめ?」
「いいよ。抱っこくらいなら」
そして流那の背中に腕を回し、勢いよく立ち上がった。少しよろめいたが、落とさないようにしっかりと支えた。
「うわーっ。高ーいっ。圭ちゃんと一緒だーっ」
はしゃぐ流那に、柚希もにっこりと笑った。
「流那、背が高い人に抱っこされるのが好きなんだ。俺はずっと抱っこしてるから肩凝っちゃうよ」
「へえ……。でも可愛いから、嫌とは言えないんだろう?」
「まあ、そうなんだけど」
流那を降ろし、柚希はすずめに視線を向けた。
「すずめちゃん。マフラー付けてきてくれたんだ。嬉しい」
「え? すずめちゃん?」
流那が大きな瞳をさらに大きくした。慌てて柚希に囁く。
「圭麻くんがヒナコって呼ぶから、流那ちゃんの前ではヒナコって名前にしてるの。だから、すずめじゃなくてヒナコって呼んでくれる?」
「ヒナコちゃんか。わかった」
「うん。ややこしくてごめんね」
「ねえ、すずめちゃんって誰? どこにいるの?」
さらに聞いてくる。仕方ないので簡単に作り話をした。
「柚希くんのお友だち。ここにはいないよ」
「ふうん……。そのすずめちゃんには会えないの?」
「遠くに住んでるからだめだよ。いつか会えるかもしれないけど」
「そうなのー。あのお兄ちゃんは?」
「お兄ちゃんって?」
その場にいるみんなが驚いた。きょとんとして流那は続ける。
「お散歩に行った時に走ってきた、黒い服着たお兄ちゃんだよ。せっかくだから、あのお兄ちゃんも遊びに来ればよかったのに」
「ああ、あのお兄ちゃんはお勉強してて忙しいんだって。また今度遊びに来るよ」
「流那、あのお兄ちゃん優しいから大好きなの。すっごく優しいんだよね。ヒナちゃんもそう思うでしょ?」
流那の言葉に、柚希の目が丸くなった。
「……う、うーん……。俺は優しいとは思えないなあ」
圭麻が代わりに答える。すずめもこくりと頷いた。
「優しいよっ。圭ちゃん、酷いよーっ」
五歳の流那にはどう映っているのか。蓮の性格を知らないから優しいと感じるのかもしれないが、ここまで好かれるのも驚きだ。
「ちょっと、いつまで立ち話してるの? 早く食べましょうよー」
有那の声に全員が我に返った。そういえばクリスマスパーティーのために集まったのだと思い出した。
すずめのとなりは柚希で、圭麻は流那の世話係をしていた。有那はキッチンから手料理を運んで、ほとんど立ちっぱなしだった。ようやく座ったのはプレゼント交換になってからだ。柚希が流那にプレゼントを渡すと、飛び跳ねて喜んでいた。すずめはチョコクッキーをあげ、それもさっそく食べていた。
「ヒナコ、メリークリスマス」
圭麻からプレゼントをもらい、どきどきしながら開けると手袋だった。彼女と付き合った経験があるから、女の子が好きそうなものをよく知っているのだろう。
「よかったね。す……じゃなくて、ヒナコちゃん」
微笑む柚希の笑顔で、さらに胸が暖かくなった。
楽しい時間は驚くほど速く過ぎてしまう。時計の針が九時になり、そろそろ帰ろうか、と柚希が耳元で囁いた。長くお邪魔するのは迷惑だし、知世も心配する。仕方なく頷き圭麻にも伝えた。
「そっか。ちょっと寂しいけど」
「いつでも会えるし、電話で声を聞くこともできるんだから。プレゼントどうもありがとう。大事に使うね」
「こちらこそパーティーに来てくれてありがとう。じゃあ、気をつけて帰ってね」
「うん。柚希くん、行こう」
「そうだね。天内くん、素敵なクリスマスになったよ。本当に感謝してるよ」
そしてドアを開き、雪が降る外に飛び出した。
「うわあっ。思ってたよりも寒いねー」
「大丈夫? 風邪ひかないでね」
「柚希くんもね。ところで、流那ちゃんどうだった? 可愛かったでしょ? 圭麻くんに似てて」
「あんなに可愛い姪っ子がいるなんて羨ましいよ。お姉さんも綺麗だったし。モデルさんなのかな?」
「モデルじゃなくて、デザイナーだって。けっこう人気らしいよ」
「デザイナーなんだ。おしゃれなお姉さんで、それもまた羨ましい」
はあ、と息を吐く柚希をちらりと見つめ、すずめは焦りと緊張でいっぱいになった。柚希に告白するのは今しかない。帰り道、二人きりになったら自分の想いを伝えようと決めたのだ。きっとフラれるに違いない。苦笑して、ごめんと断られる。だが諦めるわけにはいかない。やらないで後悔するより、やって後悔した方がずっといい。
「……ねえ、柚希くん。聞いて……」
「え?」
ぐっと拳を作り、全身を石のように固める。生まれて初めての告白。ばくんばくんと心臓が跳ねて止まらない。
「あたし、実は」
「すずめちゃん。早く帰ろうよ」
はっと目が丸くなった。俯いていた顔を上げる。
「で、でも……」
「お母さんたちも不安だろうし。俺も少し疲れちゃった」
「待って。短いから、とりあえず聞いてほしいの」
「すずめちゃんも、お風呂であったまって、しっかりと疲れを取ってね。今日は誘ってくれて嬉しかったよ。どうもありがとう。じゃあまたね」
それだけ言い残し、柚希はさっさと走って行ってしまった。取り残されたすずめは、しばらくその場に立ち尽くしていた。こちらは告白する気満々だったのに、まさかこんな結果になるとは……。
「し、信じられない……」
がっくりと項垂れ呟くと、とぼとぼと帰り道を歩いた。




