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八十八話

 暗い柚希を見たくないなと思っていたが、翌日廊下ですれ違った彼の表情はしっかりしていた。すずめが励ましたのもあるかもしれないが、とりあえずはほっとした。蓮と圭麻にも伝えると同じく息を吐いていた。とはいえ、たぶん心の中はぼろぼろに傷ついているだろう。柚希の気持ちは、蝶よ花よと甘やかされてきたすずめにはとても理解できない。昼休みになると、圭麻が弁当箱を差し出してきた。

「これ、柚希に渡して」

「作ってくれたの?」

「あまりにも可哀想だからさ……。ヒナコ、一緒に食べてあげて」

「もちろん。少しでも柚希くんが明るくなれるように……。あたしたちが支えなきゃ」

 手作り弁当を受け取り、さっそくA組に向かった。

 そっと覗いてみると、柚希の姿はなかった。もしかしてと第二図書室に行くと、一人でぼんやりと座っていた。ドアを開けると、こちらに視線を移動した。瞳は真っ黒で光が消えていた。体は生きているが心が死んでいる状態で、何だか怖くなった。

「……すずめちゃん」

「あ、あのね……。圭麻くんがまたお弁当作ってくれたよ。よければ二人で食べない?」

「天内くんが? 優しいなあ。いつもお世話になっちゃってて……。だめだよね」

 弁当を受け取ろうとしたが指が震えているし力も弱く、床に落としてしまった。中身は全て零れ、柚希は石のように固まった。

「あ、あたしが片付けるよっ」

 慌ててスカートのポケットからティッシュを取り出すが柚希には聞こえなかったらしく、さらに震えが激しくなる。

「……馬鹿だったのかな……。薫子さんは……」

 消えそうな囁きに目が丸くなった。

「え? 馬鹿?」

「昨日、母さんに言われたんだ。薫子ほど馬鹿な女はいないって。自分が重い病気を持っていて長生きできないって知ってるのに、子供を産みたいなんて考えて。結局自分は死んで、柚希の面倒を私が見る羽目にもなったし、本当にろくでもない人間だったってね。まあ、さっさと死んだから、それはよかったって」

 すずめの全身から炎が沸きあがった。あまりにも酷い言葉に、怒りが爆発しそうになった。

「何それ? 死んでよかった? ろくでもない馬鹿女は、あいつの方でしょっ。好きなものは金だけで愛情の欠片もない奴に悪口叩かれたくないっ」

「俺も怒鳴ったよ。しかも、母さんって元々は田舎育ちで貧乏人だったらしくてさ。同じ学校で、みんなから尊敬されてる薫子さんに嫉妬して、いつか死ぬのを待ってたみたいなんだ。亡くなったって聞いて、大喜びで父さんに近付いて結婚したんだって。父さんからは再婚したくないって断われたけど、とにかく金持ちになりたいから必死だよね」

 全て金なのだ。金以外ほしくないのだ。とんでもない業突く張りで、また怒りが増す。

「酷い性格だね。あたしを貧乏人って呼んでたけど、自分じゃない」

「でも今はお金持ちだから、そうやって馬鹿にできるんだよ。もし薫子さんが生きてたら、ずっと貧乏人のままだったのに」

 なぜ薫子が死ななくてはならなかったのか。優しくていい人ばかり不幸な目に遭う世の中が不思議でならない。むしろ蛇女が死ぬべきではないか。

「……せっかく作ってもらったのに。天内くんにごめんって伝えてくれる?」

 柚希もティッシュで弁当の中身を片付け始める。震えはなくなり、それだけは安心した。

 教室に戻ると、圭麻に弁当を返した。こぼしてしまったことや薫子を馬鹿にされた話を聞かせると、圭麻もイラついた表情になった。

「よくもまあ、そこまで性格悪くなれるよな。ヒナコを貧乏人扱いするなって、俺も怒鳴ってやりたい」

「金好き蛇女だよね」

「金好き蛇女?」

「そう。蓮くんが付けたニックネーム。あたしと蓮くんは、そう呼んでる。意外と蓮くんって他人についてよく考えてるんだなって思わない?」

 ふと蓮の方に視線を向けると、席に座っていなかった。まだ空き教室にいるのかもしれない。

「へえ……。じゃあ俺もそう呼ぼうかな」

「もちろん柚希くんには言えないけどね」

 厳しいが、一応育ててはもらっている。感謝する気はゼロであっても、とりあえず母さんと呼ばなくてはいけない。それもまた哀れだ。

 しばらくすると蓮が現れた。無表情で着席するとイヤホンで音楽を聴き始める。蓮も可哀想な子供だ。虐待され、大怪我はなかったものの心はぼろぼろに壊された。笑顔も恋愛も母に奪われた。

「ねえ。蓮くんにも本当のお母さんがいたり……」

「それはないんじゃない? 血の繋がってない親子なんていっぱいいないし。蓮は本当のお母さんに傷つけられたんだよ」

「そっか……。子供を愛せないのって、どうしてなのかな?」

 はあ、と息を吐くと昼休み終了のチャイムが鳴った。そこで会話は終わり、蓮もイヤホンを外した。

 そのまま放課後になり、帰り道を歩いていると蓮が声をかけてきた。

「あいつ、どうだった?」

「柚希くん?」

「そうだ。かなり落ち込んでるのか?」

「そりゃあ。本当のお母さんには二度と会えないし、顔も声もわからないんだもん。哀れで堪らないよ」

「ふうん……。じゃあ、お前があいつを幸せにしてやれよ」

「え? どうやって……」

「告白するんだよ。中学生からずっと好きだったんだろ。きっと喜ぶんじゃねえの」

「告白? できるわけないよっ。あたしみたいな村人が王子様に告白するなんて……」

「いいじゃねえか。当たって砕けろだ。それとも、何もしないで片想いのまま諦めるのか?」

 諦めたくはなかった。好きなのは事実だし、確かに告白をしたいとは考えてはいる。だがなかなか勇気が出ず、また今度でと誤魔化してしまう。

「……もしフラれたらどうするの? お互いに関係がぎくしゃくしておしゃべりしづらくなっちゃうよ。だったら、まだ告白はしない方がいいでしょ?」

「そうやってすぐに弱気になるの、お前の悪い癖だよな。もしかしたら彼女になれるかもしれないだろ。絶対に失敗するって妄想するのよくないぞ」

 柚希の彼女に……なれたらいいが、もし無理だったらと怖くなる。自分に自信がなさ過ぎて、とても柚希と恋人同士になれる未来を描けない。きっとフラれるに決まっている。うまくいくわけない。

「……だめだよ。告白なんてできない」

「でも、いつかはしろよ。高校卒業するまでに」

 厳しい蓮の言葉に緊張が生まれた。現在、すずめたちは高校二年生。卒業するまであと一年ちょっとしかない。告白をしなかったら蓮に怒られるだろうし、産まれて初めての恋を無駄にしたくなかった。

「わ、わかったよ。いつかは告白する」

「よし。必ずするんだぞ」

 そう言い残すと、蓮は大股で歩いて行った。




「……柚希くんに告白か……」

 最近は、薫子や血液型などで頭がいっぱいで、自分が柚希に恋しているのを忘れていた。自分の恋愛よりももっと大きな問題が出てきて、柚希を助けるのが一番だと考えていた。蓮に告白をしろと言われ、柚希は初恋の人だと蘇ってきた。

「本当に、好きだなんて告白できるのかな。あたしが告白してもいいのかな」

 優しいから、冷たく断ったりはしないだろうが、苦笑しながら「ごめんね」とフラれるのも傷付く。そのまま仲良しの友だちという関係を続けられればいいが、蓮に聞かせたようにぎくしゃくしてしまったら……。だったら、出しゃばった行動はやめて、ずっと隠し通しているのが気楽だ。


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