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八十六話

 約束した通り、蓮から「テスト勉強するぞ」と電話がかかってきた。柚希のこともあって、とても勉強する気など起きなかったため断ろうとしたが、「必ず来いよ」と怒鳴って電話は一方的に切られた。仕方なくバッグを手にマンションに向かうと、すぐに中に入れてもらえた。

「よし、来たな。偉いぞ」

「あたしにも都合があるんだよー」

「都合? どんな都合だよ。どうせろくでもない妄想だろ。真壁の本当の母親を探し出すとか」

「ひいいっ。どうしてわかるのよー? 蓮くんって超能力者なの?」

「超能力者なわけないだろ。ほら、教科書開くっ。ノートもっ」

「うう……。容赦ないんだから。もうっ」

 くっと悔しくなりながらも、バッグから教科書とノートを取り出した。蓮の教え方はわかりやすく、英語が苦手なすずめにはありがたかった。とは言っても甘くはなく、ペンが止まる回数も多かった。ようやく終わったのは、五時の鐘が鳴る一分前だった。

「これだけ勉強しておけば、次は二十点じゃないだろ」

「恥ずかしいから、二十点って繰り返し言わないで」

「いや、もっと厳しくさせないと。もし二十点以下をとったら」

「ええ? まさか殺すの?」

「殺しはしないけど。それなりの説教はする」

「うわああっ。そうやってあたしをいじめるのやめてよーっ」

 涙を流すと、蓮は小さく微笑んだ。頭を撫で「冗談だよ」という目つきをしている。優しく穏やかな態度に、すずめもどきりとした。

「れ……蓮くん……」

 その時、ふとカレンダーに目が行った。もう十月。十月には、何か特別な日があったような……。

 はっと驚いた。蓮の誕生日は十月十五日。すっかり忘れていた。

「そうだっ。今年の誕生日はどうする? どこかにお出かけしたりする?」

「出かける? 別にお前は何もしなくても」

「あたし、蓮くんをお祝いしたいの。去年は確か……」

 蓮にキスをされたのだ。柚希とプレゼントを買いに行ったが選べず、結局キスをプレゼントした。渡すというより、無理矢理奪われた感じだが……。頬が赤くなり、蓮も蘇ってきたのか視線を逸らしている。あれから、いろいろな出来事があった。喧嘩や言い争い。逆に優しい微笑みや縮んでいく距離感。数え切れないほど、いいことも悪いことも起きた。そしてこれからも深く関わっていくのだろう。

「蓮くんは、ほしいものはないの?」

「ない。お祝いもしてもらわなくていいし。そういうのは、あいつらとだけしろよ。俺は好きじゃないんだ」

 蓮の性格はすでにしっかりと理解している。思いつくイベントも見つからず、諦めてため息を吐いた。

 それほど暗くはなっていないが、すずめが外に出ると蓮も途中まで付いてきた。まさか家まで送ってくれるのかとどきどきしたが、単にコンビニに買い物するためだったらしく、ガーンとショックを受けた。もっと女子をときめかせる言葉を話してほしいのに、蓮はその期待に応えてくれない。代わりに柚希と圭麻が可愛いと褒めてくれるが、蓮にも嘘でも構わないから褒めてもらいたい。

「寒くなってきたね。蓮くん、風邪引かないようにしてね」

「ひいたら、また看病しに来るんだろ」

「そりゃあそうだよ。心配だもん。頑張ってお粥も作るよ」

「それって、俺以外の男にも作ってやるのか?」

「え?」

「例えば、真壁や天内が風邪ひいた時も、看病するのか?」

 突然の質問に戸惑った。なぜそんなことを聞くのか。

「ま、まあ……。柚希くんと圭麻くんにも看病してお粥作ってあげるよ」

「ふうん……。俺だけだと思ってたのに」

 少しブスっとした口調で呟き、蓮は歩いて行った。早足だったので、すぐに姿は消えた。

「……蓮くんだけ?」

 もしかして、すずめに特別扱いされていると考えていたのか。蓮だから手厚く看病し、おいしいお粥も食べさせてあげる。どくんどくんと鼓動が速くなり、石のように全身が固まった。

「……これって、独占欲ってやつかな……」

 男には独占欲があり、自分の大事な人や宝物は死んでも奪われたくないという心の動きだ。蓮はほしいものが存在していないため独占欲はなさそうだが、やはり備わっているのかもしれない。そして、蓮が大事にしているのは……。

「……いや、あたしなわけないし。なに勘違いしてるんだろ。馬鹿じゃないの……」

 頬に手を当てると熱くなっていた。自分は村人なのに、何をときめいているのか。ぶんぶんと首を横に振って、走って家に帰った。



 風呂からあがり部屋に戻ると、携帯が鳴った。「はい」と出ると、柚希のかなり焦った声が耳に飛び込んだ。

「す、すずめちゃんっ。ようやくわかったよっ。母さんも桃花もB型だってっ」

「B型? じゃあ血が繋がってないんだね?」

「しつこく質問してたら、いい加減にしてって嫌気が差して全部教えてあげるわって。本当の母さんの名前もわかったよ。薫子かおるこって」

「薫子? 真壁薫子さん?」

「うん。大金持ちの一人娘で、父さんの婚約者だったんだって。もちろん血液型はA型」

「大金持ちの一人娘で、婚約者……。お嬢様だね」

「来週の日曜日、空いてる? もし暇だったら図書館で待っててくれないかな? 薫子さんの日記が残ってるんだ。まだ一ページも読んでない。すずめちゃんと一緒に読もうと思って」

「そ、そうなの?」

「情けないよな。一人じゃ日記読めないなんて。男のくせに」

「そんなことないよ。何が書かれてるのか緊張しちゃうもんね。あたしも薫子さんについて知りたい。日曜日、必ず行くよ」

 しっかりと返すと、柚希は「ありがとう」と感謝を告げて電話を切った。

「薫子さん……。柚希くんの本当のお母さんは、薫子さんっていうんだ……」

 やっと謎が解けた。ぐっと拳を作り、全身が震えた。蓮と圭麻に教えようかと考えたが、まず日記を読んでからにしようと決めた。完全に明らかになるまでは余計な行動はしない方がいい。柚希にも迷惑をかけてしまうし、べらべらと言いふらしていたら嫌われる可能性がある。口が軽い女だと見られたくなかった。

 翌日、学校に行ったが柚希には会えず、衝撃の事実は頭の隅に追いやって勉強に集中した。薫子という名前も忘れ普段通りに過ごす。一人になるとつい蘇ってくるが、蓮にも圭麻にも気づかれず、約束の日曜日がやって来た。

 図書館の前で立っていると、十分ほどして柚希が駆け寄ってきた。小さな紙袋を持っている。あの中に日記が入っているとわかった。

「遅れてごめんね。さっそく中に行こう」

「うん。何か緊張するね……」

 無意識に胸に手を当て、軽く深呼吸をする。柚希も真顔で、すずめに見つめられているのにも気づいていない状態だった。


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