八十五話
「ふうん……。やっぱり血が繋がってなかったのか」
翌日は休みだったので蓮のマンションに行った。忙しいと門前払いを食らいそうだったが、意外にもあっさりと部屋に入れてもらえた。
「まだ確実ではないけどね。とりあえず、お父さんが帰ってくるまでは」
「あいつがA型なら、たぶん母親はB型だろうな。妹も。B型の母親からA型の息子は産まれない」
「そうだね。お父さんがO型でお母さんがB型だったら、A型の子供はありえないもん」
どくんどくんと鼓動が速くなっていく。すずめが緊張しているのに気付いたのか、蓮は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。
「これ飲んで落ち着け。興奮するのは体によくないぞ」
「あ……。どうもありがとう……。そうだよね。いただきます」
一気飲みし、ふうっと息を吐いた。
「……柚希くんは、すでに本当のお母さんは死んでるって考えてるみたい。死んで、お父さんが再婚して、今のお母さんになったんじゃないかって」
「二度と本当の母には会えないって意味か。気の毒な奴だな」
「うん……。頑張って自分を産んでくれた人に会えないなんて可哀想だよ……」
せめて写真でも残っていればいいのに、全て燃やされてしまった。本当の母親に関するのものが何一つないのは切なすぎる。顔も声もわからないなんて。
「どこかで生きていれば……」
呟いたが、蓮は首を横に振った。もし生きていても、あの母親が再会を許さないだろうと伝えているのだろう。柚希は一生、歪んだ愛を持つ蛇母親と過ごすしかないのだ。ストレスとプレッシャーの世界で苦しみ続ける。
「……話って、これだけか?」
蓮に言われ、はっと我に返った。そろそろ勉強をしたいと思っているのか、口調が固かった。
「う、うん。お邪魔してごめんね」
「別にいいけど。あ、この後、もしかして天内の家に行く気じゃ……」
「え? どうしてわかったの?」
目を丸くすると、ぐいっと腕を掴まれた。
「二人きりになるなって注意してるだろ。あいつには電話で教えろよ」
「エッチはしないから大丈夫だよ。家で直接おしゃべりしたいのに」
「学校で嫌ってほどおしゃべりできるだろ。ここでかけていけよ」
どきりと胸が速くなった。自分のマンションにいてもいい。蓮に特別扱いされていると嬉しくなった。もちろん直にそう言われたわけではないし違うかもしれないが、すずめには充分満足だった。
「そ、そう? じゃあ」
ソファーに座り、バッグから携帯を取り出した。先ほど蓮に教えたように打ち明けると、圭麻も柚希を同情し、「また弁当作ってあげようかな」と呟いて電話を切った。
「……どうして、お母さんに愛される子供と愛されない子供がいるんだろうね?」
悲しみでいっぱいになり、そっと囁いた。蓮は視線を逸らし、抑揚のない声で答えた。
「子供は親を選べないからな。俺も小さい頃は死ぬほど辛い日々だった」
「愛せないなら産まなきゃいいのに。子供がほしくて堪らないけど産めない人がどれだけいるのか知ってるのかな?」
「まあ、真壁の場合は血が繋がってないのが理由だから。自分が産んだ子供は可愛がってるんだろ、そいつ」
「そう。ベタベタに甘やかして、お小遣いなんか毎月二十万円もあげてて。そのせいで桃花ちゃんもわがままで自分勝手でやりたい放題だし。叱るのは柚希くんじゃなくて桃花ちゃんの方でしょ」
「母親がそれなら子供も一緒だな。俺だったら、そんな妹がいたら絶対にぶん殴るな」
「暴力はいけないよ。でも、失礼極まりないよ。初対面で年上のあたしにブス女呼ばわりだもん。あたしも未だに何こいつ? ってイライラしてる」
母と妹の言いなりになっている柚希が哀れで堪らない。早くあの屋敷から逃げ出して、一人暮らしさせてあげたい。
また興奮し全身が熱くなっていた。蓮に頭をぽんぽんと軽く叩かれ、張りつめていた息を吐き出した。
「じゃあ、あたし帰るね」
立ち上がって玄関に行くと、蓮は腕を組んで話した。
「おかしな妄想して泣いたりするなよ」
「妄想ばっかりしてるわけじゃないよ。あたしを馬鹿にしてるね」
「馬鹿にしてるつもりじゃねえよ。お前が落ち込んでる姿なんか見たくねえって言ってるんだ。お前は、泣いてる時より笑ってる時の方が似合ってるから」
「に、似合ってるって? どういう意味?」
「ほら。さっさと帰らねえと、母さんに心配かけるぞ。気をつけて帰れよ」
無理矢理外に出されてしまい、はあ、ともう一度息を吐く。似合っているという言葉が、よくわからなかった。それはもしかして可愛いということか。蓮は、すずめの笑顔に癒されているのだろうか。
「……そんなわけないか……」
独り言を漏らし、暗くなってきた道を走った。
翌日も休みだったが、誰の家にも行かず電話もかけず、部屋に引きこもっていた。蓮の残した「似合っている」が胸に浮かんでいて、食欲も沸かなかった。女の子は笑顔が一番とよく言われるが、蓮も笑う女子が好きなのか。自分は全く笑わないのに好きなタイプは笑う子なのも不思議な話だ。
月曜日は学校があるため、余計な疑問は消し勉強に集中した。いつも通り放課後になり帰り道を歩いていると、蓮が声をかけてきた。
「来週テストがあるって言ってだだろ。俺の部屋でテスト勉強するか? 英語だし」
「えー? いいの? 助かるよー」
「前回のテストは二十点だったからな。酷い点数で、はっきり言って驚いたぞ」
すぐとなりに座っているので、隠そうとしても隠せない。苦笑して頭をかくと、「じゃあな」と蓮は歩き始めた。
「ま、待ってっ」
慌てて蓮の背中に貼りつき、どきどきしながらもしっかりと伝えた。
「あ、あのね……。あたしも、無口で無表情の時より笑ってる時の蓮くんがいいな。優しくて穏やかな方が、蓮くんには似合ってるよ」
真似をして「似合っている」を使ってみた。蓮は足を止め、なぜか俯いた。怒っているのかとぎくりとして体を離すと、そのまま走って行ってしまった。名前を呼ぶことも追いかけることもできず、すずめは取り残され、その場に立ち尽くした。
「どうしたんだろ……。イライラしたのかな……」
やはり男子の気持ちは理解できない。特に蓮はわけがわからない。きっと、ずっと謎の人物なのだろう。
翌日は、あまり蓮に声をかけず、なるべく圭麻とだけおしゃべりをした。そうすれば圭麻も喜ぶし、蓮は一人で気楽に学校生活を送れる。また、柚希からある情報を教えてもらった。
「夜遅くに、母さんと桃花がこっそり部屋で話し合ってたのを偶然見かけたんだ」
「え? どんな話?」
「疑い始めてるとか、このまま隠し通せるかなとか、秘密会議みたいだったよ」
「柚希くんが血液型について聞いてきたから、慌ててるのかもしれないね」
「うん。俺は、母さんとも桃花とも血が繋がってないの確実だね。問題は、本当の母さんがどこにいるのかってこと。死んでるのか生きてるのか。生きてるなら、どこで暮らしているのか」
「そうだよね。もし会えるなら、本当のお母さんの元で生きたいもんね」
今の厳しい母とわがままな桃花とはお別れできる。幸せな毎日がやって来るのだ。
「……とにかく、まだ謎だらけだから、父さんが帰ってくるまでは何もできないけどね」
寂しげに笑い、柚希は手を振って歩いて行った。




