八十二話
そのまま夏休みは終わり、新学期が始まった。クラスメイトの中には小麦色に日焼けした子もいるし、少し太った子もいる。すずめが教室に入ると、すぐにエミが近寄って夏休みに起きた出来事を全て語ってくれた。海でナンパされたこと。宿題が大変で、ぎりぎりまで続いたこと。今年は違う夏祭りに行ったこと。楽しそうなエミの表情を見るだけで、すずめの胸も明るく元気になっていく。一通りしゃべると質問してきた。
「すずめは、その……用事はちゃんとできたの?」
「もちろん。用事だけじゃなくて、遊びにも行ったよ」
「誰と? どこに?」
だが正直に答える勇気がなく、苦笑しながら誤魔化した。
「別にどうだっていいじゃない。お互いに、いい夏休みになってよかったね」
「……ねえ。すずめは、あたしと一緒にいるのが嫌なの?」
突然の固い一言にどきりとした。冷や汗が流れ始める。
「え? い、嫌って?」
「あたしが嫌い? もし嫌いなら、どこが不満なのか教えて欲しいの。自分なりに、すずめに好かれるよう努力するよ。ね、だから」
「あ……あたしは、エミを嫌いだと思ったことなんか一度もないよっ」
首を横に振って叫んだ。可愛くて美しいエミに嫉妬してしまいそうで真っ直ぐ目を合わせられず、俯いたまま拳を作った。もしかしたら、この夏休みの間ずっとエミは「自分が嫌われているのではないか」と悩んでいたのかもしれない。どうしたら、すずめに好きになってもらえるか、そばにいられるのかと落ち込んでいたのでは。大切な親友を傷つけてしまったと自己嫌悪に陥った。すずめにとってエミはとても大事な姉なのだから。
「本当? 嫌いなんじゃ」
「やめて。おかしな勘違いしないで。海や夏祭りに行かなかったのは、エミと一緒にいたくないからじゃないの。変な妄想しないで」
ぎゅっと抱き付くと、エミはわかったと伝えるように抱き返してくれた。不安でいっぱいだったけれど安心したみたいだ。
他のクラスメイトに呼ばれ、エミは腕を放して歩いて行った。申し訳なさでがっくりと項垂れると、背中から声をかけられた。
「ヒナコ、おはよう。……やけに暗い顔してるね」
圭麻の軽い口調に、はっと頭を上げる。エミを傷つけてしまったと話そうとしたが、彼にまで迷惑をかけたら、さらに自分が嫌になりそうだ。
「寝不足なの。ごめんね」
「そっか。ちゃんと睡眠はとらないとだめだよ」
「うん。ありがとう……」
すずめが答えるのと同時に、蓮が教室に入ってきた。そのまま席に座り、いつも通り無口無表情でイヤホンを外す。
「蓮くん。おはよう」
一応、挨拶をするが、こちらに視線も合わせない。やはり二人きりでないと優しい態度や笑顔は絶対に見せてくれない。
「……蓮って、いい奴なのか悪い奴なのか、意味不明だよな」
耳元で圭麻が囁く。すずめも同じ気持ちだったので大きく頷いた。
「二重人格って感じだよね。冷たかったり暖かかったり。いろんな顔を持ってるから振り回されちゃう」
「二重人格か……。確かにそうだな。ヒナコの言う通りだ」
圭麻が呟くと、教室に担任が入ってきた。そこでおしゃべりは止め、散らばっていたクラスメイトも着席した。
特に学校生活は問題なく進み、放課後になった。圭麻にお茶を飲みに行こうと誘われたが、「ごめんね」と頭を下げて断った。蓮にお願いしたいことがあったのだ。一人で帰り道を歩く背中を見つけると、名前を呼びながら駆け寄った。
「ちょ、ちょっと待ってっ。蓮くんっ」
ぴたりと足が止まり、蓮は振り向いた。はあはあと荒い息を整えながら、もう一度言う。
「れ、蓮くんって歩くの早すぎじゃない?」
「お前が遅いだけだろ」
「違うよー。柚希くんと圭麻くんは、あたしに合わせて歩いてくれるのに」
「悪いけど、俺はお前と無駄話する暇はないんでね。勉強があるんだ」
「勉強って?」
すかさず聞くと、蓮は首を横に振った。
「別に知らなくてもいいだろ。お前には関係ないし」
素っ気ないが、これはいつもだから気にはならない。それに、頼みたいことがあるのだ。
「あのね。ずっと前から蓮くんにやってほしかったんだけど……。英語でしゃべってくれない?」
「は? 英語?」
「蓮くんって英語ペラペラなんでしょ? 日本語より得意って言ってたじゃん。何でもいいから、英語でお話してみて」
いきなりで少し戸惑ったのか、蓮はツリ目を大きくした。期待をしていたが、もう一度首を横に振った。
「いや、意味が通じない奴にしゃべったって仕方ないだろ」
「えー。かっこいい蓮くんを見せてよー」
「かっこいいかっこいいってよく言ってるけど、別に俺はかっこよくないぞ。お前の勘違いだ」
「勘違いじゃないよ。あたしの親友のエミは男に興味ないの。そのエミが、蓮くんをパーフェクトって褒めてたんだから。どうして自信失くすのよ」
「自信失くしてるわけじゃない。始めから俺は一つも良さがないだめ人間だって意味だ。だめ人間だから友人も恋人も現れない。魅力の欠片もないんだよ」
「え?」
馬鹿で魅力の欠片もないと悪口を叩かれたのを思い出した。あれは、もしかしたらすずめに向けてではなく自分に向けて吐いたのか。
「……それって、あたしでしょ? 魅力の欠片もないのは……」
呟いたが、蓮は答えず黙って歩いて行ってしまった。姿が消えるまで、すずめはその場に立ち尽くしていた。
家に帰って柚希に蓮の言葉を伝えようとしたが、いくらかけても電話には出てくれなかった。仕方なく圭麻にかけると、すぐに声が飛んできた。すずめの話を全て聞き終えると、「うーん」と唸った。
「あんなにプライドが高くて俺様なのに、まさか自分をだめ人間だと決めつけてるのかな?」
「あたしもびっくりだよ。そんなわけないのに」
「性格に難ありだけど、意外と優しいところもあるしね。とっつきにくくて無口で仲良くなれそうにないけど」
「友だちや恋人だって、作ろうと努力すればできるのにな……。特に彼女がいらないっていうのはもったいなさ過ぎるよ。イケメンなのに彼女がほしくないとか、絶対に」
「女が怖いのかもしれないよ?」
ふと圭麻が遮った。驚いて目が丸くなった。
「どうして怖いの?」
「母親に虐待されたから、女は怖い生き物だってトラウマになってるんじゃない? まあ、ヒナコは怖がってはいないけどね」
「ああ……。また彼女に傷つけられるんじゃって意味か……。それも確かにあるかもしれないね」
ふむふむと頷いた。男子の圭麻の意見は、柚希と同じくタメになる。男は女よりも弱いのは間違いではない。
「じゃあ、蓮くんはお母さんに、笑顔も恋愛も奪われたんだね。酷いお母さんだ」
「柚希も、あれだけファンがいるのに彼女いないしな。可哀想だよな」
圭麻も口調が低く、結局そこで会話は途切れた。知世に風呂に呼ばれ、電話を切った。
「……魅力の欠片もない……」
呟きながら、自分の地味な裸体を眺める。すずめは村人だし、そう言われても仕方ないが、蓮は違う。頭もいいし容姿も整っているし、もう少し穏やかになれば理想の彼氏になる。魅力に溢れているのに、なぜだめ人間扱いするのか。
「……そういえば」
勉強とは、どういった内容なのだろう。最近始めたのか。すずめには関係ないと言っていたが、関係なくても教えてくれたっていいではないか。けれどしつこくすると態度を変え怒鳴られてしまうため、これ以上詳しく質問はできない。
のぼせないように早めに風呂からあがり、また柚希に電話をかけたが出なかった。どうやら電源を切っているらしく、迷惑になるので諦めるしかなかった。




