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七十七話

「俺、明日誕生日なんだ」

 と圭麻に聞かされたのは、八月二日の夜だった。

「え? そうなの?」

「うん。有那に電話がかかってくるまで気づかなかったよ」

 ははは、と軽く笑う圭麻の声を聞きながら、だらだらと冷や汗が流れた。突然だったのでプレゼントなど何も用意していない。圭麻は、すずめを愛してくれているし、できれば贈り物を渡したい。けれど時計はすでに九時を指している。今から買いに行くわけにはいかない。

「流那から、ちょっと早いけどってピアスもらったよ。有那と二人で買ったんだって。でも女物で、俺が付けるのは恥ずかしいなあ……。ヒナコ、いらない?」

「あたしはピアスの穴開けてないから、もらってもだめだよ。恥ずかしいなら、家にいる時に付けたら?」

「そっか。それもそうだね。せっかく俺のために選んでくれたんだしね」

「そうだよ。誕生日なのは圭麻くんなんだから」

 答えながら、自分もピアスをプレゼントしようかと考えた。しかし今のすずめの小遣いでは、ピアスを買えそうにない。知世にお願いしても誰のためにと質問されたら、圭麻の存在をバラすことになる。

「ねえ、流那ちゃんって、そこにいるの?」

「いるよ。ヒナコに会いたいって騒いでるよ」

「じゃあ、明日は三人でプールに行かない?」

 ふと思いついた。流那がプール好きだと圭麻が話していた。驚いたらしく、圭麻も口調を変えた。

「プール? 別に俺はいいけど」

「よかった。あたしも予定はないの。約束してたし、流那ちゃんも早く行きたいだろうし、待たせてたら可哀想だもんね」

「ありがとう。流那、喜ぶよ。どこで待ち合わせしようか?」

「あたしが圭麻くんのお家に迎うよ。三人で一緒に遊びに行こう」

「よし。流那に話しておくね」

 圭麻も嬉しそうだ。二人の笑顔は癒される。すずめも期待で胸が高鳴った。電話を切ると、知世に報告した。

「エミちゃんとプール? 急に決まったの?」

「そう。クラスメイトが誕生日なんだって」

「ふうん……。今年は海にも夏祭りにも参加しないって話してなかった?」

「そうだけど、お祝いしたいじゃない」

 そして水着を取り出す。去年とそれほど体型は変わっていないので、とりあえず心配はなさそうだ。バッグに押し込み、さっさと寝ようとベッドに潜った。

 睡眠をしっかりととり、天気もよく、気持ちのいい朝を迎えた。しかしトイレの中でタライが落っこちてきた。女の子の日になっていた。そういえば、そろそろ予定日ではあったが、圭麻をお祝いしたいという気持ちですっかり忘れていた。これではプールには入れない。おまけに腹もやんわりと痛む。

「……しょうがない。女なんだから……」

 痛み止めの薬を飲み、水着をバッグから取り出した。

 圭麻の家に向かうと、すでに外に並んで立っていた。流那が満面の笑みで駆け寄ってきた。

「ヒナちゃーんっ。会いたかったあっ」

「あたしもだよ。久しぶりー」

 流那はすずめに抱き付き、ぐいぐいと腹に顔をうずめてきた。きゅっと痛みが走り、笑顔が歪んだ。

「ヒナコ? どうした?」

 すずめの小さな変化を圭麻は見逃さなかった。はっとして流那も後ずさる。

「え? ヒナちゃん?」

「何でもないよ。大丈夫。早く行こう」

 くるりと振り向いて、すずめは大股で歩き始めた。

 夏休みのため人が多く、電車はかなり混んでいた。すずめはあまり痛みは強くないのだが、なぜか今回はじわじわと冷や汗が流れ息も荒くなっていく。けれど満席だし、誰も譲ってはくれない。

「ヒナコ、本当に平気なのか? 具合悪いんじゃ」

「心配しないで。全然……具合なんて悪くないから……」

「顔色よくないぞ? 無理なら、ちゃんと教えてくれよ」

「わかってる。ありがとう」

 ふう、と深呼吸を繰り返し、ようやく降りる駅に辿り着いた。

 徒歩十分の場所に屋内プールがあった。流那は圭麻と更衣室に行き、すずめは着替えずにTシャツのまま中に入った。汗がものすごいのでハンカチで拭い近くに置いてあるベンチで待っていると、二人はやって来た。

「あれ? どうして着替えてないんだ?」

「ヒナちゃんの水着、見てみたかったのにー」

 残念そうな表情に申し訳なくなった。だが周りに迷惑をかけるのはもっと嫌だ。

「ごめん。忘れてきちゃった。あたしって、うっかりしてるから」

「えええー。ヒナちゃんと泳げないなんて……」

 浮き輪を抱き締めた流那が泣きそうな顔で俯き、慌ててもう一度言った。

「でも、またいつでも行けるじゃない。ね、今日はだめだけど、いつかは泳げるよ」

「うん……。次は、ちゃんと水着、持ってきてね……」

「本当におっちょこちょいで、だめ人間だよね。ごめんね」

 圭麻の方に視線を移した。じっとこちらを見つめて考えている。

「……もしかして、ヒナコ……」

 そこまで言って口を閉じた。彼が何を想っているのかは理解できなかった。

 流那は波のプールに走り、すずめと圭麻はジュースを買いに行った。ずっと続いている痛みに耐えていると、そっと囁きが聞こえた。

「ヒナコって、けっこう強い方なんだね」

「え?」

「俺は、有那がいるから知ってるんだ。一カ月に一度来る……。あれだろ?」

「う、うん。……バレてたんだね。いつもはそんなに痛くはないんだけど。やけに今日は辛いの……」

「どうする? 流那に話して、もう帰ろうか?」

「だめだよ。あんなに楽しそうにしてるのに。流那ちゃんが可哀想じゃない」

「でも、苦しんでるヒナコも可哀想だよ」

「平気だってば。せめて、あと三時間くらいはいようよ」

 ぐっと拳を握ると圭麻が腹をさすった。ほっとしたのか、すずめは圭麻の胸に崩れるように倒れた。慌てて立ち上がろうとしたが、そのままぎゅっと抱き締められて、ぐったりと項垂れた。

「……とりあえず横になろう。ジュースは俺が買っておく。ヒナコは楽な姿勢で休んでて」

「わかった……。ありがとう……」

 頷いて、長いベンチに寝かされた。また汗を拭い深呼吸をする。

「痛み止めの薬は? 飲まなかったの?」

「飲んだけど、全然効かない。ごめん、眠ってもいい?」

「そうだね。俺は流那のところに行くね」

 安心して、すずめは目を閉じた。一瞬で周りの音がなくなり、深い闇に落ちていった。

 


 何時間そうしていたのか覚えていない。はっと起き上がると、かなりの客が消えていた。腹の痛みも治まっており、走って二人を探した。十五分ほどして、アイスを食べている流那と圭麻が現れた。

「あ、ヒナコ。起きたんだね」

「ヒナちゃん、お腹痛かったの? 大丈夫?」

「痛みはもうすっかりないよ。心配かけて本当にごめんね。プールには入れないけど元気になったよ」

 にっこりと笑うと、流那も圭麻も嬉しそうに息を吐いた。

「そろそろ疲れたから帰ろうかって話してたんだ。流那も満足だろ?」

「とっても楽しかったよ。眠くなってきちゃった……」

「よし。じゃあ着替えてこよう。ヒナコは先に外で待ってて」

「わかった。ゆっくりでいいよ」

 手を振り、圭麻と流那は更衣室へ、すずめは出口へ歩いた。

「それにしても……」

 どうして今日の痛みは強かったのだろう。他人に迷惑をかけてはいけないと緊張していたからかもしれないが、今まで経験した中で一番の酷さだった。冷や汗と荒い呼吸。痛み止めを飲んだのに、全く効かなかった。圭麻が月経について知っていたのも驚きだ。姉がいるし一緒に生活していれば嫌でも目にするだろうが、まさか気づくとは思っていなかった。

「いつか、流那ちゃんも体験するんだな……」

 独り言が漏れた。成長した流那に会ってみたいと期待が浮かんだ。

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