七十六話
いつもと同じく、すずめはベッドで蓮はソファーに眠ることになった。部屋の電気を消す前に、早口で話した。
「実は、昨日も柚希くんのお家に泊まったの」
「そうなのか」
「もちろん、おかしなことは一切してないよ。また今夜も蓮くんの家に泊まるのはどうしようって不安だったんだ。違う男の子の部屋に二日連続で泊まるのってよくないことなのかな?」
「さあな。よくないことなのかは、お前が考えて決めろよ。もう子供じゃないんだから。電気消すぞ」
「うん。ありがとう……」
仕方なく呟くと、一瞬で周りは闇に覆われた。
目をぎゅっとつぶっても、睡魔は全く現れなかった。ある疑問が大きすぎて、とても眠れそうになかった。その疑問は、自分が蓮にどう見られているのかということだ。馬鹿で魅力の欠片もないと悪口を言われたが、先ほどは従順で素直だと褒められた。しかも帰ろうとしたら泊まっていいとまで……。普通は嫌いな人を自分の家に泊まらせたりはしない。できれば、さっさとこの場から消え去ってくれと感じるはずだ。特に蓮は、興味がない人と目も合わせない口も聞かない性格だ。絶対に近寄るなと怒るタイプだ。かといって、すずめが好きという意味でもない。圭麻に、蓮が好きか嫌いかと質問された時、すずめはうまく答えられなかった。それと一緒で、蓮の方も曖昧でよくわかっていない状態なのだ。もしかしたら本当はすでにわかっているけれど、もし口にしたら全てを失ってしまいそうであえて黙っているというのもある。もしここに圭麻や柚希がいたら、たぶん帰れと冷たく言われたかもしれない。あの笑顔や優しい態度は、すずめの前でしか見せない。誰かがいると絶対に無表情で無口だから、蓮と二人きりになりたくて、いつも追いかけてしまう。そして圭麻が横に割り込んできてイライラするのだ。「蓮くんをイライラさせないで」ではなく「あたしをイライラさせないで」が正しい。圭麻の言葉で頭に来ているのは、すずめの方だ。
うつらうつらだけして朝になった。疲れは残っているが、仕方なくベッドから起き上がった。リビングに移動すると、蓮はまだ眠っている。顔の上に雑誌を乗せていて、すずめにはどんな表情をしているのかわからない。そっと雑誌をずらすと、すやすやと心地よさそうな寝顔が見えた。
「かっこいいなあ……」
ふと独り言が漏れた。空き教室で何度も蓮の寝顔は見ているけれど、本当に容姿が美しくイケメンで羨ましくなってしまう。性格は少し難ありだけれど最近は優しくなっていて、さらに良い男に成長している。もちろん、柚希も圭麻も王子様で、ずっと憧れている。こんなに整った姿をしているのに彼女はいらないなど、もったいなさすぎる。柚希もあれだけファンがいるのに誰とも付き合おうとしない。お姫さまみたいな女の子だってたくさんメンバーにいるのに、村人のすずめと仲良くしようとする。
「あたしのそばにいても、しょうがないのに」
ふう、と息を吐くと、ようやく蓮の瞳が開いた。
「あれ? もう起きてたのか」
「うん。おはよう」
笑うと、勢いよく蓮は立ち上がった。
「しっかり休んだか? まだ疲れてるような感じだけど」
「平気。ぐっすりと熟睡したよ」
「それならいいけど」
素っ気ない口調だが、一応心配はしているのだと考えた。もともと蓮はこういう性格だと知っているので、落ち込むこともない。
「蓮くんは? ちゃんと疲れ取れたの?」
聞くと、蓮は即答した。
「まあまあかな。雑誌読んでたら三時になってて、急いで寝たんだよ」
「遅寝になっちゃったんだね。やっぱり早寝じゃないと、ぐったりするよね」
「そのせいか、変な夢見たぞ」
「変な夢? どういう夢?」
「誰かに、かっこいいって褒められたんだよ」
どきりとしたが、知らないフリをしてもう一度聞いた。
「へえ……。どんな声だった?」
「同い年くらいの女だったな。お前にちょっと似てた」
「ふうん。不思議だね。褒められてよかったじゃない」
「まあ、夢なんて幻だからな。別に嬉しくはないな」
「でも、これからもっとかっこいいって思われるように努力した方がいいよ。幻であっても、褒められたのは間違いないんだから」
「それって、やっぱり外科医になれって意味か」
「いやいや。蓮くんの将来の夢は蓮くんが決めるんだし、好きな仕事を選んで構わないよ。だけど医者って素敵な職業ではあるし、せっかくお父さんが外科医なら蓮くんも外科医を目指せばいいのにって考えたの。柚希くんが、有名会社の社長を継ぐみたいに」
とはいえ、外科医はとても難しい。勉強もそうだが、手術が長引いても集中していられるように体力もつけなくてはいけないらしい。人の命に関わるのだから、きっと苦しい修業が待っているに違いない。じっとすずめは蓮を見つめたが、その思いは届かず視線を逸らされてしまった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
呟くと、蓮は冷蔵庫から何かを取り出した。すずめの好きなオレンジジュースだ。
「これ飲んでいけよ。昨日渡そうと思ってたんだけど、すっかり忘れてて。これ飲むと元気になるだろ」
「ありがとう。いただきます」
受け取って、ごくりと一気飲みをした。全て飲み干すと、バッグを持ってドアを開けた。
「また、エミちゃんのお家にお邪魔したの?」
知世に玄関で聞かれ、ぎくりとした。少し怒ってる口調だ。
「夏休みの宿題が、なかなか終わらなくてね。迷惑かけて申し訳なかったなー」
「あんまりエミちゃんを頼りにしちゃだめだよ。一人で頑張らなきゃ」
「うん。もう子供じゃないんだしね」
蓮にも言われた。もう子供じゃないんだから。しかし、すずめはとても子供っぽく、とても大人とは呼べない。周りにいるみんなはどんどん成長していくのに、すずめだけ取り残されてしまう。どうしたら、もっと大人になれるのか。がむしゃらに手足だけ動かして、ただ疲れと焦りが増していく。
「そういえば、まだ好きな男の子はいないの?」
「え?」
「彼氏だよ。すずめは結婚や出産したいんでしょ? 学校に素敵な男の子は一人もいないの?」
うん、と頷いたら嘘になる。すでに柚希という片想いの王子様がいるし、蓮と圭麻というイケメン王子までいる。そしてすずめは三人の王子に囲まれて過ごしているのだ。しかし正直に打ち明ける勇気がなかった。
「うーん。やっぱり、かっこいい男の子ってなかなか見つからないよ。もし見つかったとしても仲良くなるのは本当に可愛い子だけだもん」
「すずめは可愛い子だよ。自信持ちなさいよ」
「こんなに地味で村人みたいなあたしに優しくしてくれる男の子なんか、ほとんどいないよ。馬鹿で魅力の欠片もないんだから」
そう蓮は話していた。あのツリ目の瞳にはそんな姿で映っていると知り、ものすごく傷ついた。くれるといってもお断り。自分でもわかっていたのに、改めてはっきりと伝えられて落ち込んでしまった。それなのに二人きりになると態度が変わり、お願いも聞いてもらえたりする。柚希は、蓮はすずめを嫌ってはいない。大切な女の子だと思っていると断言していたが、結局どうなのかはあやふやだ。
「馬鹿で魅力の欠片もない?」
知世が身を乗り出してきた。すずめの両肩を掴む。
「え? お母さん、どうしたの?」
「そうやって自分を悪く見るのはいけないよ。もしかして誰かにそう言われたの?」
「違うよ。頭もよくないし平凡だなって……」
「すずめには、すずめの良さがあるの。良さを持ってない人間はいないの。平凡だっていいじゃない。そういう子が好きって男の子、たくさんいるよ?」
「地味で子供っぽい子が?」
「うん。お母さんだって全然モテなかったし、おしゃれもしてなくて地味だったけど、お父さんと結婚してすずめを産んだんだもん。きっといつか彼氏はできるよ」
かなり熱のこもった声だった。大切な一人娘の幸せそうな姿を知世も見たいのだ。
「ね。ネガティブになっちゃだめだよ。ちょっと図々しいくらい、すごいんだぞって信じてなさい」
自慢をする気は起きなかったが、とりあえず頷いた。悩んでも仕方ないし、柚希と圭麻からは可愛がられているのだから、明るい笑顔でいようと決めた。




