六十八話
翌日、柚希が学校を休んだとファンクラブのメンバーのおしゃべりで知った。柚希が学校を休むのは非常に珍しく、少し不安が生まれた。さっそく圭麻に話しかける。
「風邪かな?」
「けど昨日は元気だったし……。いきなり風邪になるものかな?」
腕を組み、圭麻も首を傾げていた。蓮は相変わらず黙り、ぼんやりとしている。
「……蓮くんも、少しは心配してあげたらどうなの? 蓮くんが風邪をひいた時、柚希くんめっちゃ心配してたよ」
「心配したって、風邪が治るわけじゃねえんだ。それに俺に心配されたって嬉しくもないだろ」
「柚希くんは、蓮くんと友だちになりたいって願ってたでしょ。きっと喜ぶと思うよ」
「え? 柚希って、蓮と友だちになりたいのか?」
圭麻が目を丸くした。そういえば、まだあの頃は夜ツ木の生徒だったので、知らなくて当然なのだ。
「去年の話。柚希くんって、意外と男友だちがいないらしいんだ。ほら、女の子にモテモテだから、自分の彼女を取られたって恨まれちゃうの。蓮くんは恋人がいないから、ちょうどいい相手なんだよ」
「へえ……。実は俺も男友だち一人もいないんだよね。いつもお前がいるから別れたって怒鳴られてさ。俺が何したっていうんだよ」
「圭麻くんも? みんな一緒なんだ。蓮くんは?」
そっと質問してみる。蓮は即答した。
「俺は始めから他人と付き合ってないし、そういう経験はないな」
「ふうん。アメリカと日本では、ちょっと違うのかもしれないね」
「アメリカと言えば、夏休みに有那がハワイに行くけど、ヒナコはお土産なにがいい?」
「お、お土産なんていらないよー。圭麻くんと流那ちゃんの分だけ買って来てって伝えて」
「有那が、ヒナコをものすごく気に入っててさ。あんな可愛い子なら義理の妹にしたいなって褒めまくってるんだ」
「義理の妹? ひ、飛躍しすぎだよっ」
「流那もヒナコ大好きで。早く会いたいって暴れてるんだって」
「そうなの? あたしも楽しみにしてるけど……」
すずめの言葉を遮るように、休み時間終了のチャイムが鳴った。もっとおしゃべりしたかったが、我慢して着席した。
柚希がなぜ休んだのかと頭の中がいっぱいになり、教師に名前を呼ばれても気づかなかった。
「ヒナコ、呼ばれてるよ」
後ろから圭麻に声をかけられ慌てて立ち上がったが、授業もほとんど集中していなかったので「わかりません」としか答えられなかった。
「全く。日菜咲は、いつもいつもぼけっとしてるな。だからこの前のテストも三十五点しかとれなかったんだぞ。まあ、頭悪い奴は、いくら勉強しても仕方ないな。生まれつき馬鹿なんだから」
嫌みったらしく教師は笑い、クラス全員にテストの点数がバレた。顔が真っ赤になり、悔しくて全身が震えた。
「何だよ、あいつ。わざわざ点数バラさなくたっていいだろ」
背中で圭麻がイラついていたが、すずめは涙を流しながら俯いた。ずっと秘密にしていたのに……。母親にだってテストの点を隠していたのに……。
休み時間になり、女子たちがすずめの周りに集まってきた。
「あいつ、ああやって生徒を馬鹿にするのが大好きなんだよ。他のクラスでもバラされたって子、たくさんいるって聞いたよ」
「三十五点だって立派じゃない。すずめちゃん、あんな親父に負けちゃだめだよ」
励ましてくれるクラスメイトの優しさに、じんわりと胸が熱くなった。
「ありがとう。大丈夫だよ。次は一〇〇点とってやるっ」
「そうそう。見返してやろうよっ」
「あたし頑張るねっ」
もう一度繰り返すと、エミが近寄ってきた。廊下に出て、誰もいない場所まで移動する。
「すずめ、酷い嫌がらせされちゃったね」
「……うん……」
「今日の放課後、どこか寄って行く? カラオケでも喫茶店でも。ストレス解消したいでしょ?」
エミの気遣いがそのまま伝わり、ぎゅっと抱き付いて涙を流した。
「悔しいよう……。あんなことされるなんて……。まさかバラされるなんて……」
「よし、次また嫌がらせして来たら、あたしがぶん殴ってやるっ」
「やめて。乱暴はよくないよ」
「もちろん冗談だよ。でも、それくらいあたしも頭に来てるって意味」
親友の暖かな思いに感動し、すずめも目をごしごしと拭いて笑顔に戻れた。
放課後は、しょんぼりとした気分を晴らすためにカラオケに行った。エミなら下手でも歌詞を間違えても恥ずかしくないし、大声で叫んだらすっかり元気になった。
「絶対に一〇〇点とってやるぞっ」
「そうだっ。すずめは馬鹿じゃないんだから」
エミに応援され、よっしゃっとやる気が沸いた。
家に帰り夕食をとって風呂に入った。ベッドに寝っ転がると携帯が鳴った。「はい」と出ると、柚希の固い声が飛び込んできた。
「あ……。すずめちゃん……」
「柚希くん? 今日学校休んでたけど、どうしたの? 風邪?」
「俺、今、外にいるんだ」
「え? 外?」
驚いて目が丸くなった。うん、と答えて柚希は続ける。
「耐えられなくなって、勝手に出てきちゃったんだ」
「……お母さんに、また酷いことされたの?」
「そう。俺、母さんに怒鳴っちゃったんだ。すずめちゃんはそんなこと言わないってね。もっとすずめちゃんを見習ったらどうなんだって。もちろん黙ってるわけないよ。まだあの田舎娘と付き合ってるの? さっさと別れなさい。別れないなら退学させるって……」
「退学? だから今日学校に来なかったの? これから二度と学校に来れなくなっちゃうの?」
「まだ退学とは決まってはいないよ。でも……。母さんなら絶対にするだろうな……」
頑固で子供の想いなど一切考えない母親。震える口調で、すずめは囁いた。
「柚希くん……。今、どこにいるの?」
「え?」
「あたし迎えに行く。ずっと外にいられないでしょ?」
「でも……」
「教えて。すぐに行くから」
すずめが本気だと伝わったのか、柚希は「学校の前だよ」と答えてくれた。
「わかった。すぐに行くから。待ってて」
一方的に電話を切り、全力で彼の元に向かって走った。
校門の前に、柚希はしゃがみ込んでいた。すずめに気が付くと立ち上がり、駆け寄ってきた。夜というのもあるが、柚希の瞳には光が消え肌も青白く、まるで死人のような表情をしていた。
「すずめちゃん……。来てくれたんだ……」
笑顔も力がなく、すずめは両手を握り締めた。
「大丈夫? これからどうするの?」
「どうって?」
「家には帰れないでしょ? だからと言って、ずっとここにいたら危ないし……」
話しながら、柚希の心の声が届いた。緊張しながら聞いてみる。
「……あたしの家に来る……?」
「え? すずめちゃんのお家に?」
「しばらく、あたしの家に泊まる? 狭いし古いし普通の家だけど、それでも構わないなら。お父さんとお母さんも柚希くんなら大歓迎だよ。息子ができたって喜ぶと思うよ」
すると柚希は手を握り返してきた。じっと見つめ、小さく首を傾げた。
「……迷惑じゃないの?」
「全然。柚希くんはイケメンだし人間もできてるし、あたしもそばにいてくれたら嬉しい」
「なら、お邪魔しても……」
突然、目の前に大きく黒い車が止まった。そして二人の男が降りてきて柚希を背中から羽交い絞めにした。
「やっ……やめろっ。放せよっ」
抵抗するが、瞬く間に男たちは柚希を捕まえ車に乗せた。ドアを閉め、車はすぐに走り去ってしまった。
「……な……何?」
頭が真っ白になり、すずめはへなへなと座り込んだ。まさか探しに来るとは思っていなかった。家を出ても放っておくだろうと柚希が話していたため、少し油断していた。あともう少しで、柚希は心のよりどころが見つけられたのに。やっと、ほっと息が吐ける場所ができたのに……。
「そんな……。酷すぎるよ……」
これほどまでに厳しい母親はそうそういない。すずめも走って家に帰り、泣きながら蓮に電話をかけた。
「どうしよう。柚希くんが退学されちゃうかもしれない」
「は? 退学? 何でだよ?」
いきなり聞かされたら戸惑ってしまう。すずめは柚希の言葉を一つ一つ説明した。
「ふうん……。ずいぶんと性悪な母だな」
「悪魔だよ。家出しても、すぐに見つかっちゃうし。ねえ、どうしたらいいんだろう? 柚希くんが退学したら、あたし……」
「これから、あいつと仲良くするのやめれば?」
「やめる?」
「さっさと別れろって命令されたんだろ? 言われた通り別れたら文句もないだろ」
「柚希くんと友だちをやめて、話もしないって意味? やだよ。あたし……。寂しいよ」
「退学してほしくないんだろ。寂しくても付き合うのやめろよ。自分のせいで、あいつを地獄に落としてもいいのか?」
柚希は立派な社長になるために陽ノ岡に入学したのだ。すずめのわがままで柚希の夢を壊してはいけない。女王様は村人のすずめが大嫌いなのだ。つまり、すずめが柚希のそばから離れれば、退学は免れる。
「……そっか。そうだよね。高校卒業したら、あたしたちバラバラになるんだもんね」
「違うクラスだから毎日顔合わせなくて済むし、次第にあいつも避けられてる理由がわかるんじゃねえの? 馬鹿じゃないんだし」
「うん。……決めた。あたし、柚希くんと仲良くするの今日で終わりにする」
空しくて、心にぽっかりと穴が空いた。ずっと憧れていた王子様とのひとときが、色褪せていくようだった。楽しかった、嬉しかった日々。かけがえのない宝物だ。しかしこれ以上そばにはいられない。諦めるしかないのだ。
「ありがとう。蓮くんのおかげで、答えが見つかったよ」
感謝を告げたが、蓮が一方的に切ってしまった。すぐに圭麻にも電話をかけ、柚希と蓮の言葉を伝えた。固い口調で圭麻は呟いた。
「しかし、とんでもない母親だな。愛情の欠片もないな」
「あたしも一度だけ会ったんだけど、ものすごい悪口言われたよ。地味だの田舎くさいだの……。柚希くんが家出したくなるのも当然だよ」
「そんな母親から、よく礼儀のなってる子供が生まれたよな。父親に似たのかな」
「あたしが仲良くしなければ、柚希くんは学校に通っていられるよね? あたし、柚希くんの夢を叶えてあげたいの。そのためには近寄らなきゃいいんだよね」
「女王様は、柚希とヒナコが親しくなるのを嫌がってるから、別れたら怒らないよ。寂しいかもしれないけど、我慢しかないね……」
がっくりと項垂れた。ここまで柚希と距離が縮んだのに、あの母親のせいで引き裂かれる羽目になった。だが村人のすずめは反抗できない。王子の柚希でさえも、命令を無視することはできないのだから。
「……夜遅くに、こんな暗い話してごめんね。聞いてくれてありがとう。おやすみ」
短く言い、電話を切った。その日はほとんど眠れず、うつらうつらで朝を迎えた。




