六十三話
翌日は、蓮も圭麻も言い争いはせず目も合わせなかった。それは安心したのだが、蓮にどう思われているのかが気になって、すずめは全く授業などうわの空だった。教師の声が右から左へ通り抜けていく。テストがあったがほとんど解けず、どんな酷い点で戻ってくるか怖くなった。普段よりも大人しいすずめに、圭麻は少し驚いていた。
「今日はヒナコ、黙ってばっかりだね。どうしたの?」
「別に。寝不足なの」
「睡眠はきちんととらないと体に悪いよ」
「わかってる。ありがとう」
適当に答えると、となりにいる蓮にちらりと視線を向けた。
「そんな馬鹿で魅力の欠片もない女、ほしくねえよ。くれるって言ってもお断りだ」
そう彼は話した。可愛くもないし女の子らしさもない。自分でもわかっているが、改めて聞かされるととてつもなくショックだった。柚希と圭麻からは褒められているため、余計傷つくのかもしれない。一番可愛いと言ってほしいのは蓮なのだ。
「魅力の欠片も……」
ぼそっと呟くと、蓮が目だけこちらに動かした。はっとして俯き、口を閉じた。つい昨日の出来事だから、蓮の方も忘れてはいない。気まずい雰囲気のまま昼休みになった。
「一緒にお弁当食べよう」
圭麻に誘われ、素直に頷いた。今日は蓮と二人きりになるのは無理だと感じた。声をかけてもらってありがたかった。
「しかし、蓮って失礼な奴だよなー」
むっとした口調で圭麻が呟く。
「馬鹿で魅力の欠片もないって?」
「ヒナコはこんなに可愛いのにさ。くれるって言ってもお断り? 始めからやらねえよっ」
「蓮くんってもともとああいう冷たいタイプだし、生まれつきだからしょうがないんだよ。あたしは、柚希くんと圭麻くんに褒めてもらえれば充分なの」
「でもさあ……。絶対、蓮には彼女できないだろうね。女の子に優しくなれない男って、本当にだめ人間だから」
「蓮くんをだめ人間って決めつけないでよ。たまに笑ったり穏やかな態度とったりはするんだよ。……本当にたまにだけど」
「お人好しだねえ、ヒナコは。たくさん庇って助けてもらってる子に、あんな悪口……。許せないよ」
「け、喧嘩はやめてってば」
慌てて手を掴むと、圭麻はにっこりと笑った。
「もちろん、ヒナコが泣くから喧嘩はしないよ。でも、大好きなヒナコを馬鹿で魅力の欠片もないなんて。やっぱり頭にくる」
「あたしは全然気にしてないから。あたしがどうでもよければ別にいいでしょ?」
「うーん。まあ……」
圭麻は、これまでにすずめが蓮にどんなことをされてきたのか知らない。怪我の手当てや風邪の看病など蓮のために努力してきたのに、怒鳴られたり睨まれたり……。ありがとうもごめんも言われたことがない。だが、なぜか蓮ばかり追いかけ、放っておけない。一人にしたらいけないと考えてしまう。とっつきにくいし向こうは嫌がるのだから付き合うのをやめれば不安もないのに、いつもいつも蓮の方ばかり見てしまう。
「……ヒナコは、蓮をどう思ってるんだ……?」
質問され、どきりとした。
「え、えっと……。ただのクラスメイトって思ってるけど……」
「そうじゃなくて、好きか嫌いかって意味だよ」
「そんな風に見たことないからわからないよ」
「……好きでもないし嫌いでもない?」
「う、うん。そんな感じ」
「じゃあ、ライバル視しなくてもいいのかな……」
少し圭麻の口調が変わった。ほっと安心しているような、胸のもやもやが晴れてすっきりしたようなイメージだった。すずめが蓮を意識していないと伝わって表情も柔らかくなった。
「蓮くんは、あたしなんか興味もないし、はっきりと嫌いって言われてるから。ライバル視する必要なんてないよ。だからこれからは蓮くんと仲良くして」
「仲良くはなれないと思うけど。喧嘩はしなくなるだろうな」
圭麻の言葉に、すずめも心配が軽くなった。うん、と頷くと昼休み終了のチャイムが鳴った。
その後は放課後まで圭麻とおしゃべりをし、蓮とは目も合わせなかった。蓮もいちいち相手にしても仕方ないと考えたらしく、睨んだり怒鳴ったりはしなかった。
「俺、先に帰るね」
「わかった。気を付けて帰ってね」
「ヒナコもね。また明日」
手を振りながら圭麻は昇降口に走って行った。完全に姿が消えてから、イヤホンで音楽を聴いている蓮をじっと見つめる。
「ね、ねえ」
話しかけたが、音楽で耳には届かない。今日は諦めようかと俯くと、タイミングよく蓮はイヤホンを外した。
「あ、蓮くん、ちょっと」
「は? 何だよ」
「お願いしたいことがあって……」
腕を掴み、無理矢理空き教室に連れて行った。ふう、と息を吐いて蓮はもう一度聞いてきた。
「お願いってなんだ?」
「あの……。ネクタイの結び方を教えてほしいの」
予想していなかったのか、蓮は口を開けて驚いた顔をした。
「また圭麻くんに結んでって言われるかもしれないし。蓮くんのネクタイで練習させて」
「別に俺じゃなくても」
「頼れるのは蓮くんしかいないんだよ。柚希くんには、なかなか会いに行けないでしょ? でも蓮くんはすぐとなりにいるし。とにかく教えてよー」
ぎゅっと目をつぶって頭を下げると、蓮の固い一言が飛んできた。
「面倒くせえな……。まあ、ネクタイ結ぶくらいなら付き合ってやってもいいか。じゃあ、よく見てろよ」
ネクタイを取り結び直す。すずめは穴が空くほど手の動きを見ていたが、いまいちよくわからなかった。
「速すぎるよ。もうちょっとゆっくりにして」
「まだやるのかよ? 全く……」
文句を言いながらも蓮はやってくれた。かなり遅いスピードだったが、やはり途中でこんがらがってしまう。
「よし。今度は実際に結んでみろよ」
ネクタイを渡され、どきどきしながら首にかけていく。
「えっと……。こ、こう?」
ぐいっと引っ張ると、蓮は大声を出した。
「おいっ。俺を殺す気か。そんなに力入れたら窒息死するっ」
「え? ご、ごめん」
もう少しで殺人を犯すところだったと冷や汗が流れた。ああでもないこうでもないと試してみたが、きちんと結ぶのは無理だった。ネクタイは皺だらけになり、諦めて返した。
「やっぱりできないよー。難しすぎる」
「慣れれば簡単だけどな。あーあ、こんなによれよれ」
「あたし、アイロンかけるよ」
慌てて答えたが、蓮は首を横に振った。
「家族にバレたらどうするんだよ。誰のネクタイだって聞かれるぞ」
確かに制服は、女子はリボンなのでネクタイを持ち帰ったら絶対に質問される。
「仕方ない。洗濯すれば元通りになるだろ」
「お世話かけて、本当にごめんね……。でも、これからも練習させてほしい」
嫌だと断られそうだが、蓮は小さく笑って頷いた。
「しょうがねえなあ。わかったよ」
優しい態度に胸がときめいた。いつからこうして心が穏やかになったのだろう。すずめも笑い、ありがとうと感謝を告げた。
「ヒナコは、蓮をどう思ってるんだ」
圭麻の言葉が蘇る。馬鹿で魅力の欠片もない奴と思われているが、もしそうならお願いなんてわざわざ聞かないだろう。早く帰りたいのにと怒鳴られるかもしれないと予想していたが、あっさりと付き合ってもらって、とても驚いた。
「……あたし、蓮くんをどういう人間だって思ってるんだろう?」
以前は冷たくて優しさもゼロで、柚希の爪の垢を煎じて飲ませたいという男子だった。しかし現在の蓮は、たまにだが笑顔を見せるし穏やかな気持ちも持っている。だめ人間ではなくなったのだ。うーん……と悩んでも答えは浮かばない。仕方なく諦めて、とりあえずネクタイが結べるように努力すると決めた。




