六十二話
だんだんと暑くなってきて、クラスメイトの話題も夏休みの予定についてが多くなった。部屋の中でのんびりとしていると、エミから電話がかかってきた。
「すずめ。今年は、いつ海行く?」
明るい口調だったが、すずめは申し訳ない思いで断った。
「あたし、今年は海に行かないよ」
「え? どうして?」
「すでに用事が入ってるの。悪いけど、エミはみんなで楽しんできて」
「そんなあ……。すずめが来ないと盛り上がらないじゃん。夏祭りは行くよね?」
「夏祭りもパス。他の子と遊んで」
「ええ? その用事って何? 必ずしなきゃいけないの?」
聞かれたが、詳しくは話せなかった。本当は、そんな用事などないからだ。エミが主人公になって自分が脇役に回ってしまうという惨めな気持ちになりたくないし、別にすずめなんていてもいなくてもどうでもいい存在だ。楽しい夏休みを暗い気持ちで過ごしたくはない。
「と、とにかくだめなものはだめなの。じゃあねっ」
短く伝えると、一方的に電話を切った。
「……とりあえず、これで辛い目には遭わなくて済む……」
ふう、と息を吐き安心した。今のすずめにとって心地いいのは三人の王子だ。特に圭麻は愛してくれるし、少し嫉妬深いところもあるけれど、普段はにこにこしていて優しい性格だ。柚希も優しくて穏やかで素晴らしく人間ができているし癒してくれる。問題は蓮だが最近はおしゃべりしたり、たまに笑うと胸がどきどきする。理解できないと戸惑いながらも、気が付くと彼らと一緒に過ごすように体が動いている。そしてイケメンなため、優越感に浸れる。地味で平凡な村人の自分が、まるでお姫様になったみたいで幸せでいっぱいになる。
「エミ、ごめん。嘘なんてついて……」
独り言を漏らすと携帯が鳴った。すぐに耳を当てると圭麻の声が飛び込んだ。
「あ、ヒナコ。ちょっといいかな?」
「な、何? どうかしたの?」
慌てて答えると、圭麻は口調を低くした。
「……元気がないね。悩みでもあるの?」
「悩み? そんなものないよ」
「そう? 俺でよければ相談に乗るよ」
だが、これは女子にしか理解できない問題だ。どうして目立たないのか。周りの子に埋もれてしまうのか。「大丈夫だから」と繰り返すと、圭麻の声は明るく変わった。
「夏休みの間、ずっと流那が泊まるんだけど、ヒナコはどうする?」
「どうって?」
「だから、ヒナコもうちに泊まるかってこと」
すぐに蓮と柚希の姿が浮かんだ。申し訳なかったが、二人との約束を守るために断ろうと自分に言い聞かせた。
「会うのはいいけど、泊まるのはちょっと」
「そっか。じゃあ流那が家にやって来たら教えるね」
あっさりと受け入れてもらえて、少し驚いた。もしかしたら疑われたり、残念でならないと話してくるかもしれないと考えていたので、ほっと息を吐いた。
「ありがとう。泊まりは無理だけど、遊びに行くのは大丈夫だからね」
「そうなんだ。流那、プール大好きだから三人で泳ぎに行こうか」
ぽっと頬が火照る。圭麻の水着姿を見たことがないからだ。もちろん、自分の水着姿を見られる恥ずかしさもあった。
「う、うん。海は行けないけど、プールはOKだよ」
「え? ヒナコって海だめなの?」
「だめっていうか、日焼けしたくないの」
「ああ。女の子にとって日焼けは大敵だもんなー」
「ごめんね。でもプールは大丈夫だから」
「じゃあ屋内プールに遊びに行こう」
納得したように答えて、圭麻は電話を切った。海に行ったらエミやクラスメイトにばったり会ってしまうから、が理由だったが、いちいち説明するのも面倒だ。うまく誤魔化せて安心していると、また携帯が鳴った。
「今度は誰?」
慌てて出ると、柚希の声がした。
「あ、すずめちゃん。突然だけど、夏休みの宿題ってお友だちとするの?」
「え? き、決まってないよ」
「そうなんだ。よかったら俺と一緒にやらない? 二人でやった方が捗るし」
「ええ? あたしはいいけど。どこでやるの?」
「喫茶店でも図書館でも。すずめちゃんの好きな場所で構わないよ」
「あたし馬鹿だし、迷惑かけちゃわない?」
「全然。もしわからないなら、俺も手伝うし」
紳士的な言葉に、じーんと胸が暖かくなる。やはり柚希は王子様だと改めて感じた。
「どうもありがとう……。日付は柚希くんが決めてね」
「わかった。こちらこそありがとう。楽しみにしてるね」
そして柚希との会話は終わった。
エミ、圭麻、柚希と続いたので、この流れだと次は蓮から電話がかかってくると予想していたが、いつまで経っても携帯は鳴らなかった。仕方なく、すずめからかけてみた。しばらく間をおいて、蓮の低い声が耳に飛び込む。
「何だよ」
「あ、あの……。蓮くんって、今年も夏休みは家で過ごすの?」
「そうだけど」
「ふうん……。あたしも、海や夏祭りには行かないんだ。蓮くんみたいに家で過ごすよ」
「へえ。お前にしては珍しいな」
「毎年大騒ぎしてたら疲れちゃうもん。圭麻くんと遊んだり、柚希くんと宿題したりはするよ。で、蓮くんとは何しようか?」
「俺と? 別に何もしなくていいだろ」
「それじゃあ、蓮くんは一人きりになるでしょ。蓮くんが一人ぼっちになるのは嫌なの」
寂しくないと本人は話しているのに、なぜか可哀想と思うのは母性からだろうか。常に蓮を追いかけ、お節介ばかりしている。呆れられると考えていたが、蓮は割と優しい口調で即答した。
「買い物くらいなら、付き合ってやるぞ」
「え?」
「ただし、遠くに行くとか荷物持ちに使うとかはお断りだけどな」
「もちろん、わがままは言わないよ。……じゃあ、もし一緒に歩く時はよろしくね」
しっかりと伝えると、蓮は黙ったまま一方的に切ってしまった。まだもう少しおしゃべりを続けたかったが、しつこくすると途端に不機嫌になるため諦めようと決めた。男には独占欲があったり、意外にも繊細で傷つきやすかったり、王子様三人と関わっていくうちに明らかになっていく。それでもまだ完全にわかりきったわけではなく、未だにどうして怒るのか、どうやったら機嫌が直るのかと悩んでばかりだ。いつかは表情だけで心の中が見透かせるようになりたいが、まだまだ修行が足りない。
翌日、学校に行くと、さっそくエミが駆け寄ってきた。
「すずめ。本当に海も夏祭りも来ないの?」
「ごめん。今年は……」
「用事があるならしょうがないけど。できれば、すずめも参加してほしかったな」
しょんぼりと俯くエミの手を握り締めた。
「あたしがいなくても、充分楽しめるよ。落ち込まないで、あたしの分まで遊びまくって来てよ」
そっとエミは顔を上げ、優しく笑った。
「うん。すずめも、その用事……。頑張ってね」
「わかってるよ」
頷くと、エミは歩いて行った。
席に座り、となりの蓮に話しかけた。
「おはよう。昨日言ってたのって本当だよね?」
しかし音楽を聴いているらしく返事はなかった。その代わりに圭麻が声をかけてきた。
「有那に連絡しておいたよ。流那、大喜びしてるってさ。ヒナコにまた会えるんだって」
「あたしも早く会いたいなー。可愛い流那ちゃんに癒されるし、とにかく幸せになれるもん」
「泊まりは無理なんだよね?」
その時、蓮がイヤホンを外した。はっとしてこちらに目を向ける。ぎくりとしてすずめは即答した。
「ごめんね。泊まるのは迷惑かけちゃうし」
「迷惑なんて一つも思わないよ? むしろ一緒にいてくれると俺も流那も嬉しいのになあ」
じろりと蓮が睨んでいるのが痛いほど伝わった。首を横に振って、すずめは頑なに断った。
「お父さんとお母さんにも、やめろって怒られたの。だからお泊りは無理」
「そっか。残念だな。まあ、いつでも会えるしね。たくさん遊びに行こう」
「いろんな場所にね」
圭麻は納得したように口を閉じ、すずめも息を吐いた。
「ちゃんと約束守ってるんだな。偉いぞ」
蓮の囁きが聞こえた。すぐにすずめも答える。
「たぶん二度とエッチはしないと思うけど、念のためにね」
「油断禁物だからな。あいつは女好きだし」
「別に女好きってわけではないよ。圭麻くんは」
死んでしまった母の寂しさを忘れたくて彼女を作り、自分が落ちこまないようにしているのだ。特にすずめは母にそっくりで、そばにいるだけで胸が暖かくなる。圭麻にとってすずめは、もしかしたらかけがえのない存在なのかもしれない。
担任が教室に入って来て、学校生活が始まった。クラスメイトがいる場所では蓮と距離を置かなくてはいけない。黒板を見つめ、授業に集中した。
事件が起きたのは放課後になってからだった。すずめが帰り支度をしていると、圭麻に肩を叩かれた。
「ヒナコ、こっちに来て」
「なあに?」
きょとんとした顔でついて行くと、蓮と弁当を食べている空き教室に移動した。そしてネクタイを渡される。
「ちょっとしたゲームだよ。これから、俺のネクタイをヒナコが結んで。制限時間は一分。間に合わなかったら罰ゲームね」
「ええ? あたしネクタイ結んだことないよ……」
「けっこう簡単だよ? 大丈夫。ヒナコにもできるって」
「そんなあ。わ、わからないよ……」
「よし、さっそくスタート。頑張れっ」
ゲームが始まってしまい、仕方なく圭麻の首にネクタイをかけた。見よう見まねで巻き付けたり輪っかを作って通してみたりするが、全く結べない。結局一分が経ってしまい、よれよれのネクタイを返した。
「ほら、だから言ったでしょ? 難しすぎるよ」
「じゃあ罰ゲームね。目つぶって」
頷いて目を閉じた。圭麻が近づいてくると無意識に感じた。ゆっくりと体が触れ合い、そして……。
「できないって話してるのに、無理矢理やらせて楽しんでるなんて性格悪い奴だな」
尖った言葉が横から飛んできて、はっと声のした方に顔を向けた。同じく圭麻も蓮を鋭く睨んでいる。
「蓮……。いたのかよ」
「ここで寝てたら、お前らが来たってだけだ。せっかくの睡眠が台無しだな」
ため息を吐き、面倒くさげに呟く。
「しょうがねえな。家に帰って寝るか」
「俺のどこが性格悪いんだよ。いつもヒナコを傷つけてる蓮の方が性悪だろ」
イライラしている口調に、すずめは冷や汗が流れた。蓮はちらりと二人の姿を見る。まさに一触即発の状態だ。全身が震え、すずめは掠れた声で囁いた。
「や……やめてよ……。蓮くんも圭麻くんも落ち着いて……」
このままでは絶対に喧嘩が始まってしまう。すずめの恐怖をよそに、圭麻は繰り返した。
「俺はヒナコを愛してるんだ。ヒナコのためなら何だってしてやるってくらい愛してる。蓮にはやらないからな」
ぐいっと抱き締められ、体から血の気が引いた。腕を組んで蓮も言い返す。
「そんな馬鹿で魅力の欠片もない女、ほしくねえよ。くれるって言ってもお断りだ」
ガーンとタライが落っこちてきた。確かに馬鹿だし魅力など全くない村人だが、かなりショックを受けた。そこまではっきりと話さなくても……。
「そうか……。まあいいけど。ちなみに蓮はヒナコをどう思ってんの?」
「どうって?」
「好きなのか? 嫌いなのか? どっちだよ」
ばくんばくんと心臓が跳ねる。蓮の瞳に自分はどんな姿で映っているのか……。しかし蓮は答えず、大股で歩いて行ってしまった。なぜ教えてくれなかったのかと不安と迷いが浮かんだ。ようやく手を放した圭麻に、冷たい視線を向けた。
「蓮くんがイラつくことは言わないでってお願いしたでしょ? いい加減にしてよっ」
「喧嘩にはならなかったんだし、問題ないだろ? もう六時だ。俺たちも早く帰ろう」
圭麻は勝手に会話を終わらせ、並んで昇降口に行った。
「途中まで送るよ」
気を遣ってくれたが、一人になりたくて首を横に振って断った。夏は六時でもわりと明るい。平気だからと短く伝え、空しい思いがバレないように走って帰った。




